太田述正コラム#7914(2015.9.16)
<トクヴィルと米国(その3)>(2016.1.1公開)

 (5)フランスによるイスラム圏侵略肯定

 「・・・ライアンは、トクヴィルの民主主義への愛は、彼が、フランスのアルジェリア侵攻及び植民地化を拍手喝采することを妨げはしなかった、と明記する。
 トクヴィルは、「フランスは、国を結集させる国家的事業を必要としており、アルジェリアの征服と入植は、そのことたりえた」と信じていた。
 米国とは違って、トクヴィルは、フランス社会の根本的な不平等性が社会的一体性の主要な障害である、と見ていた。
 「フランスがアルジェリアでの成功から得られるであろうものは、国家的栄光、自信の増大、及び、連帯だった」とライアンは記す。・・・」(A)

⇒語るに落ちたというところですね。
 こんな人間の著作には、時代的制約を考慮したとしても、三文の価値もない、と言うべきでしょう。(太田)

 (6)トクヴィルに影響を与えた思想家達

 「<トクヴィルは、>[彼より前の三人の思想家達]・・・ルソー(Rousseau)<(コラム#64、66、71、1122、1257、1467、1592、1594、1665、2107、3945、6024、6125、6277、6893、6930、7080、7714、7773)>、モンテスキュー(Montesquieu)<(コラム#503、2458、4408、6455、6634、6881、7138、7802)>、及び、フランソワ・ギゾー(Francois Guizot)<(コラム#6591、6735、7536)>・・・[の諸著作]の影響を受けていた。・・・」(B)([]内はC)

⇒私に言わせれば、ルソーは民主主義独裁の提唱者ですし、モンテスキューはイギリス文明を崇拝しつつその生噛りの翻案を行った人物です(コラム#6634)し、ギゾーはイギリス文明に大いに敬意を表しつつも無理やりそれを矮小化して欧州文明の一環視することによって、欧州文明の中心的担い手たるフランスのイギリスに対する優位をこじつけた人物です(コラム#6591)。
 トクヴィルが、直接、イギリス人ないし、イギリス文明を理論化したスコットランド人、の諸著作の勉強をしなかったことが、彼の米国論を浅薄なものにしてしまったのです。(太田)

 「・・・モンテスキューの『法の精神(Spirit of the Laws)』は、「異なった政治諸体制」、とりわけ、フランスと英王制とオスマントルコ帝国、の探索を行った最初の諸本の一つだった。
 <トクヴィルが>2番目に影響を受けたルソーは、「一般意思は理性の声であって、正しい疑問を投げかけたところの多数派は常に「正しい」」と信じ、それがフランス革命へと導いた。
 このフランス革命は大失敗(disaster)だった、と、トクヴィルは、『旧体制とフランス革命(L’ancien regime et la revolution)』の中で分析することとなる。

⇒『米国の民主主義』は英訳、邦訳を所有しつつも、何度読みかけても面白くないので数頁で続むのを止めるのを繰り返し、また、『旧体制とフランス革命』の邦訳はツン読状態であったところ、今後とも、これらの愚作は決して読むまい、という決意を新たにしました。(太田)

 バンジャマン・コンスタン(Benjamin Constant)<(注2)>の、古代及び近代における自由の諸形態についての諸講義は、米国の政治社会において十全たる表現を見出したところの観念たる、答責性、を諸市民が諸政府に関して確保することの重要性を証明した。

 (注2)1767〜1830年。「スイス出身のフランスの小説家、思想家、政治家。心理主義小説の先駆けとして知られる「アドルフ」が名高い。他に自由主義思想家でも知られる。フランスロマン主義を代表する人物の一人でもある。政治評論、宗教論など多彩な執筆活動や政治活動を行った。・・・[ニュルンベルクの]エルランゲン大学<及び>エディンバラ大学<で学ぶ。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF ([]内)

 トクヴィルは、諸学校を創設し、諸教会を建設し、そして、諸病院や諸監獄を創造したところの、「自治的(self-governing)共和国」でもって、米国の市民達は彼の諸典拠において議論されていたところの諸徳を体現(exemplify)している、と見ていた。・・・」(C)

⇒「諸教会を建設」などということに言及しただけで、米国の当時の諸教会が、いまだに奴隷制を正当化していたを持ち出すまでもなく、トクヴィルのアナクロ度は度し難いものがありますが、とにかく、奴隷制を正面から批判しないトクヴィルには怒りすら覚えます。(太田)

3 終わりに

 トクヴィルの、「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない。<キリスト教(太田)>信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない」(『米国の民主主義』序文)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB 前掲
という、彼の未開性を象徴する言葉でもって、このシリーズを終えたいと思います。

(完)