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太田述正コラム#7860(2015.8.20)
<ヤーコブ・フッガー(その1)>(訂正後バージョン)(2015.12.5公開)

1 始めに

 先般、今や企業形態の全球的標準になっている株式会社の起源であるところの、イギリスの東インド会社を取り上げたばかりですが、今度は、欧州型企業の創始者とも言うべきヤーコブ・フッガー(Jacob Fugger)を取り上げたいと思います。
 手がかりにするのは、グレッグ・ステインメッツ(Greg Steinmetz)の新刊、『史上最も金持ちだった男--ヤーコブ・フッガーの生涯と時代(THE RICHEST MAN WHO EVER LIVED: The Life and Times of Jacob Fugger)』の書評群です。

 なお、ステインメッツは、米コルゲート大卒、ノースウェスタン大修士(ジャーナリズム)で、何紙かに勤務した後、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のベルリン支局長、ロンドン支局長を歴任した元ジャーナリストであり、現在、ニューヨークの資金管理企業の証券アナリストをしている、という米国人です。
http://authors.simonandschuster.com/Greg-Steinmetz/404299854
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[ヤーコブ・フッガーについて]

 1459〜1525年。ドイツのアウクスブルク(Augusburg)・・現在はミュンヘン、ニュルンベルクに次ぐバイエルン州第3の都市だが、紀元前15年にローマ皇帝アウグストゥスによって築かれた城にその起源を持つことから、ドイツで最も古い都市の一つに数えられる。
< https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF >
 裕福な商人の家に生まれる。14〜28歳の間の大部分をヴェネツィアのドイツ商人館(house of German merchants)で、フッガー家の代理として送った可能性が大。40歳の時に18歳のアウクスブルク大市民(Grand Burgher)の娘と結婚するも子供を授からず、甥のアントンらにフッガー家は引き継がれることになった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jakob_Fugger
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[検証:フッガーは本当に史上最も金持ちだったのか]

 「ヤーコプの後継者アントンの代には、<フッガー家の>資産は<金貨>710万フローリンと最大になった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC%E5%AE%B6
というのだから、それがアントンが亡くなった1560年
https://en.wikipedia.org/wiki/Anton_Fugger
時点のことだと仮定するとして、710万フローリンは、(1グレーン=0.06479891グラム、56グレーン=1フローリン、であるから、)0.06479891×56×710万=金25764047g=金2.6万kg に相当する、ということになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Anton_Fugger
 他方、それから約150年後の1705年のことではあるが、「淀屋<(コラム#7858)が>・・・闕所時に<徳川幕府に>没収された財産は、金12万両、銀12万5000貫(小判に換算して約214万両)、・・・家屋1万坪と土地2万坪、その他材木、船舶、多数の美術工芸品などという記録が有る。また諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫(膨大に膨れ上がった利子によるもの<)>・・・にものぼった>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E5%B1%8B
というのだから、「家屋・・・美術工芸品」は無視するとして、「17世紀前半には東アジア全域で金銀比価の平準化が進み、一旦は1:13前後に収束していく傾向が見られた。だが、貞享・元禄年間に金・銀輸出の制限が取られたこと(金銀輸出の制限については新井白石の[1715年の]海舶互市新例が著名である)<等から、>・・・小判と丁銀の含有率に基づく比価は1:10前後を維持<することとなっ>た」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%8A%80%E6%AF%94%E4%BE%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%88%B6%E4%BA%92%E5%B8%82%E6%96%B0%E4%BE%8B ([]内)
ということから、1705年の金銀交換レートを1対10とすると、1貫=100両=3.75kg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AB
なので、淀屋の資産としての銀12万5000貫は、純金1万2500貫(純金125万両)相当ということになり、純金12万両と合算すると、純金137万両=純金1.37万貫(=純金51375kg)≒5万kgとなり、これに更に、債権たる銀1億貫=金1000万貫=金3750万kg、を加えると、金3755万kgとなる。
 他方、フッガーの資産は、金2.6万kgですから、淀屋が持っていた現物の金銀を全て金に換算した額である5万kgだけで、約2倍、債権の金換算額を加えれば、実に千数百倍、ということになる。
 (当時の金の価値が日本と欧州でほぼ同じであったという前提に立っている。)
 ちなみに、現在の金価格、1g=0.5万円
http://gold.mmc.co.jp/market/gold-price/
で計算すると、フッガーの(貴金属?)資産は2.6×500=1300億円、淀屋は貴金属資産が5×500=2500億円、貴金属資産プラス債権が3755×500=1877500億円≒188兆円だったということになる。
 しかも、アントンは、ヤーコブの残した資産を2倍に増やしたとされている
https://en.wikipedia.org/wiki/Jakob_Fugger 前掲
から、ヤーコブの頃は、約650億円だった、ということにもなる。
 よって、本のタイトルだけからしても、著者は大法螺吹きであるか、欧州しか見ていない視野狭窄症か、ということになりそうだ。
 (なお、現在の世界の富豪番付では、一位のビル・ゲイツは資産が10兆円弱もある。
http://www.geniuslab.net/
 しかし、それぞれの時代の世界のGDPないし総資産を母数とする割合でもって、筆者のステインメッツは考えているようであることからすれば、現在の最富者たるゲイツが、有史以来の最富者である、とは到底言えないだろう。)
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(続く)

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