太田述正コラム#7824(2015.8.2)
<意外な取材(その3)/英東インド会社(その5)>(2015.11.17公開)

           --意外な取材(その3)--

5 雑誌原稿を巡って

<ZX>(8.1 12:58)

 お世話になっております。先日は本当にありがとうございました。

 原稿ができたのでお送りさせていただきます。
 ご確認いただき、できれば8月2日(日)中、遅くとも3日(月)11時までにご連絡いただきたく存じます。

 駐留負担は以下の数字を参考に入れさせていただきました。
http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_keihi/keihi.html

 また、謝礼の支払い先口座も教えていただけますでしょうか。

 お忙しいところお手数をおかけして申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

<太田>(8.2 10:01)

 修正した原稿案をお送りします。

 大幅に修正したのは冒頭の部分だけです。
 もちろん、より「平坦」にされても構いませんが、この部分をそのまま採用されないのなら、その他の部分も一切使用されないようにお願いします。
 口座は、原稿が確定してからでよろしいでしょう。
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冒頭部分:

[ZX案]

 一方で、中国の対日本宥和政策が進んでいるという見方もある。防衛省OBで評論家の太田述正さんが言う。
「今年4月、安倍首相と習近平の首脳会談が実現し、関係改善を進めることに同意しました。昨年11月の時とは一転、笑顔で握手を交わしていたのが印象的です。尖閣諸島で一時的な衝突事故が起きる可能性はありますが、実際に中国が日本を相手に戦争をしかけてくることは、考えにくいでしょう」

[太田対案]

 一方で、中国の尖閣諸島等をめぐっての対日攻勢は、日本に集団的自衛権行使の解禁等、米国の保護国的状況からの離脱を促すためのやらせであったという衝撃的な見方もある。防衛省OBで評論家の太田述正さんが言う。
「昨年11月、安倍首相と習近平の首脳会談が初めて実現しました。この間、安倍さんがやったことといえば、尖閣諸島等で中国側に歩み寄るどころか、昨年7月の集団的自衛権行使を解禁するという「反中国的な」閣議決定であったことを思い出してください。」
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⇒本日(8.2)13:00過ぎにZXさんから電話がありました。
 この部分については、上からの指示でそうなったとのこと。
 木曜の取材の最後に、彼女に向かって、「ご健闘を祈る。(私の主張の核心が御誌に)載ったら、歴史に残るよ。」と呼びかけた趣旨を改めて説明し、また、もう一度「主張の核心」を説明しました。
 ところで、この冒頭部分は、読めば分かるように、私以外の人の話を引用した部分(私には非開示)に続く部分であるわけですが、その後、再び、私以外の人の話を引用した部分(同左)が入り、その後、更に、長文の私の話の引用部分が続きます。
 この長文部分については、殆んど手を入れる必要がないくらい素晴らしい出来でした。
 彼女、私の懸念に反して、(若そうにお見受けしたけれど、)相当優秀な記者だと思いました。
 で、私の対案(を「平坦」にしたもの)でもって、彼女、上に対して頑張ってくれそうな気がしています。
 (彼女が、それならもう少し冒頭部分を膨らましたい、と言ったので、中途半端に膨らませるとかえって読者に誤解されかねないから、止めた方がいいと伝えておきました。)
 私の要請に応じ、(本来、そこまではやらないのだそうですが、)確定原稿を明日午前中に送ってくれることになりました。
 コメントがあれば、明日夕刻まで受け付けるそうです。(太田)
 
(続く)
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--英東インド会社(その4)--

 「・・・これは、国家と議員達における、特殊利益追求(rent-seeking)<(注20)>をも示唆していた。・・・」(D)

 (注20)レントシーキング=準地代。「企業がレント(参入が規制されることによって生じる独占利益や、寡占による超過利益)を獲得・維持するために行うロビー活動等を指す。これによる支出は生産とは結びつかないため、社会的には資源の浪費と見なされる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

 (5)英東インド会社の終焉

 「・・・東インド会社がムガール帝国の首都のデリーを捕獲した1803年までに、この会社は260,000人前後・・英陸軍の規模の2倍・・の民間治安部隊を錬成していた。・・・
 それでも、最近の巨大諸企業のように、東インド会社は、恐ろしく強力であると同時に経済的不確実性に対して奇妙に脆弱だった。
 ディワニの供与のわずか7年後に、この会社がベンガルの公庫(treasury)の富を獲得した時に、一夜にしてその株価が倍増したのだけれど、ベンガルにおける略奪と飢饉が期待土地諸収入の巨大な減損をもたらし、東インドのバブルが崩壊した。
 東インド会社は、150万ポンドの負債、及び、王室に対して支払われるべき100万ポンドの未納の税金の請求書を負う羽目になった。<(注21)>

 (注24)「1.配当金の引き上げ。従来の配当率は7から8%程度であったものが、ベンガル獲得により<英>東インド会社株は本国での投機の対象となった。その結果、1771年には、12.5%まで引き上げられた。2.東インド会社の主力商品である茶の売り上げが<英領北米>植民地で全く振るわなくなった。大量に購入した茶は不良在庫品となった。3.商事会社の運営に長けていた東インド会社の社員も、徴税業務、すなわち当時のベンガルの人口2,000万人を統治することに関しては従来の会社運営のシステムでは限界があった。4.南インドにおけるマイソール王国、北インドにおけるマラータ同盟との敵対関係が継続していた。そのための軍事費も会社側の負担であった。5.さらに、1770年には、人口の25%が餓死するベンガル大飢饉(en:Bengal famine of 1770)が発生した。このことにより東インド会社の徴税活動は困難となった。
 これらの複合的な要因が重なり、<英>東インド会社は、財政危機に直面することとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE

 この事実が公になると、欧州中で30もの銀行群がドミノ倒しのように倒れ、交易は停止するに至った。・・・
 しかし、リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)の場合とは違って、東インド会社は、本当に、大き過ぎてつぶせなかった。
 そこで、1773年には、世界で最初の攻撃的な多国籍企業が史上初の大救済策で救われることになった。
 これは、一つの国民国家が、倒産しつつある企業を救う代償として、規制し、それを甚だしく統御する権利を抽き出した最初の事例だ。・・・
 ・・・ディワニの供与から約90年後にして、ヘースティングス(Hastings)<(注22)(コラム#1847)>自身の裁判から60年後に起こったところの、1857年のインド大蜂起<(セポイの反乱)>の後、英国議会は、ついに東インド会社をその権力から引きずりおろした。

 (注22)Warren Hastings。1732〜1818年。初代ベンガル総督(Governor-General of Bengal。1773〜85年)。1787年に腐敗を咎められて弾劾されたが、長い裁判を経て1795年に釈放された。1814年に枢密顧問官に就任。パブリックスクールのウェストミンスター校卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Warren_Hastings
 「<英国>政府は、ヘースティングスを総督に就任させ、東インド会社は、<英国>政府の管理下におかれ、行政業務を義務付けた。1783年には、閣僚の1人を責任者とする監督局が設置された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE 前掲

 1857年5月10日、東インド会社自身の治安部隊が彼らの雇用者に対して立ち上がり、9か月もの不確かな期間の後、この叛乱が成功裏に粉砕されるや、この会社は、これが最後となるところの、ガンジス川(Ganges)に沿った諸市場(bazaar)町において何万人もの叛乱容疑者達が絞首刑にしたり殺害したりしたこと、で名前を轟かせた。
 これは、英国の植民地主義の全歴史中、恐らく、最も血腥い挿話だ。・・・」(A)

(続く)