太田述正コラム#7802(2015.7.22)
<資本主義とポスト資本主義(その2)>(2015.11.6公開)

 17世紀と18世紀の知的環境(climate)は大きな(step)変化を見た。
 欧州での破滅的な宗教諸戦争の後、グロティウス(Grotius)、スピノザ(Spinoza)、そしてホッブス(Hobbes)、といった哲学者達は、中世を通じて支配的だった軍事的諸価値、及び、キリスト教的伝統における反物質主義、を攻撃した。
 平和と安定を確保するという諸利益(interests)に即したところの、彼らの狙いは、軍事的諸英雄譚や永遠の救済への囚われ、から人々の目を逸らせて、「今」「ここ」に目を向けさせることだった。
 それと同時に、著述家達は、例えば、セルヴァンテス(Cervantes)のように、『ドン・キホーテ(Don Quixote)』で、中世の貴族の英雄的諸価値を風刺し、或いは、ラ・ロシュフコー(La Rochefoucauld)<(注4)>のように、『箴言集((Maximes)』の中で、騎士的徳よりも、人間の偽善、利己心(self-interest)、虚栄、及び貪欲、を強調した。

 (注4)1613〜80年。「フランスの貴族、モラリスト文学者。・・・彼の主著『考察あるいは教訓的格言・箴言』は、単に『箴言集』や『格言集』とも呼ばれる<が、>1659年頃から執筆を始めたと推測されており、・・・刊行されたのは1664年」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%BC

 次いで登場したのがアダム・スミス(Adam Smith)であり、1776年の『諸国民の富(The Wealth of Nations)』の中で、<彼は、>利己心を栄光化した。
 18世紀のフランスの哲学者のモンテスキュー(Montesquieu)は、『法の精神(De L’Esprit des Lois)』を書くことで、交易を尊敬すべきものにしようと試みた。
 すなわち、「…交易の自然な効果は平和へ導くことだ。互いに交易する二つの諸国は相互依存的になる。つまり、一方が売ることに利益を有せば、もう一方は買うことに利益を有する。そして、全ての諸結合は相互諸需要に立脚している」、と。
 18世紀後半に、産業革命によって、ゲームの諸ルールが劇的に変わった。
 産業革命は、過酷な(grinding)貧国から何百万人もの人々を引き上げることとなる体制であるところの、資本主義、として現在の我々が知っているもの、の諸仕組み(workings)を体現していた。
 勇ましい(red-blooded)資本主義がもたらしたのは、景気循環の諸窮境、及び、それよりももっと極端な金融循環(financial cycle)、という予期できなかった障害(snag)だった。
 それは、マルクスとエンゲルスによるものだけでは全くないところの、資本の労働に対する専制(tyrannising)に衝撃を受けた人々による、激しい諸批判を促した。
 シラー(Schiller)<(注5)>は、『人間の美的教育について(Letters on the Aesthetic Education of Man)』で、「効用」の「芸術」に対する勝利を叱りつけたし、オリヴァー・ゴールドスミス(Oliver Goldsmith)<(注6)>は、その詩『寒村行(The Deserted Village)』の中で、工業化が伴ったところの、都市化、が出来させた社会的攪乱に光を照射した。・・・

 (注5)ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller。1759〜1805年)。「ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。ゲーテと並ぶドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者である」。『人間の美的教育について』(Uber die asthetische Erziehung des Menschen)は 1795年の論考。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC
 (注6)1730〜84年。「英国の詩人、小説家、劇作家。アイルランド生まれ。・・・トリニティ・カレッジ・ダブリンになんとか入学し無事卒業<し、>・・・医学を学ぶために<欧州>各地の大学に行くがどこも修了できず1756年にロンドンに移住。生計をたてるため1760年から雑誌に随筆を寄稿した際に人気が出<、その後、>・・・小説や詩のほかにも伝記も書いた。」『寒村行』は1770年の作品。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9

 常に論争好きなケインズは、『一般理論(The General Theory)』の中で、資本主義に最上の色合いを付けた。
 すなわち、「危険な人間の諸性癖は、金儲けと私的富への諸機会の存在によって、比較的無害な諸水路に向けて運河を作ることができるところ、彼らがこの方法で満足できなかった場合、彼らは、その捌け口を、残酷さ、個人的権力と権威の無謀な追求、そしてその他の自己誇大化(self-aggrandisement)の諸形態、に見出すかもしれない。
 つまり、人は彼の同僚たる市民達を専制するより自分の銀行勘定を専制した方がマシなのだ」、と。
 これはおつな洞察と言うべきだが、向カネの立場に入れ込み過ぎている(stretched)。
 というのも、それは、もし、ヒットラー、スターリン、そして、毛沢東、が若い頃に繊維工場を経営すべく与えられていたならば、我々は20世紀における最悪の諸恐怖体験を免れていたかもしれない、と示唆しているように見えるからだ。
 資本主義はその永遠の諸真実を持っている。
 そのうちの一つは、正義にかなった(just)社会の政治経済をそれが創造することは決してなかったし、ありえない、という点だ。
 もう一つは、好況と不況は、ひどい金融諸危機と相俟って、この体制の恒久的諸様相である、という点だ。・・・」

⇒日本を無視していること、そして、イギリスにも産業革命があったかのような、また、産業革命後に近代的な資本主義が生まれたかのような、更にまた、最初から資本主義社会であったイギリスに最初から資本主義に対抗する人間主義的原理が存在していたことを無視するかのような、議論を、(当然知っていてあえて)プレンダーが行っていることは物足らないけれど、欧州と英米、及び、欧州が生み出した民主主義独裁、についての、なかなか、簡にして要を得た史的洞察である、と言えるのではないでしょうか。(太田)

(続く)