太田述正コラム#7796(2015.7.19)
<米独立革命の罪(その5)>(2015.11.3公開)

 「ポラスキーがもう一つ行っているのは、失敗し押しのけられてしまったたくさんの諸革命の光景を再現することだ。
 ジュネーヴ、及び、その他のスイス、ポーランド、ベルギー、アイルランド、そしてグアダループにおける・・。
 皮肉にも、これらの諸失敗のうちの大部分の原因は、成功した革命諸国家、とりわけフランスと衝突した点にある。
 ポラスキーが指摘するように、米国やフランスの革命家達が、模倣者達を鼓吹したのと同程度に、前者達は、後者達を恐れ、コントロールしようとしたところ、これらの新諸国家における諸政府こそが、革命の時代の終焉をもたらしたのだ。
 これらの諸国家の諸国境が現実のものとなればなるほど、彼らと世界主義的な革命的理念との間の緊張は高まった。・・・
 恐らく、全ての諸革命は失敗なのだろう。

⇒確かに、暴力的な革命が起きること自体が、その社会が非人間主義社会であることを示唆しており、革命の始まり以降も非人間主義がそのままであれば、革命は、一つの権力を、異なった権力が打倒し、爾後権力を掌握し続けようとする営みであることから、過去の権力の担い手たる勢力、及び、将来権力の担い手になりそうな勢力、の物理的抹殺を含む抹殺を必然的に伴うのであって、かかる権力闘争が継続する結果、革命が、遅かれ早かれ、失敗に終わってしまうのは、殆んど避けられないことでしょう。
それはそれとして、米独立革命より後の、そのチェーンリアクションとして生起した諸革命の多くが、それまでの人類史上の諸革命に比し、流血の程度を含め、失敗の度合いが甚だしく大きいものになったのは、一体どうしてなのでしょうか。
 既に部分的には述べていますが、私なりの全般的見解を、改めて後述するつもりです。(太田)

 <また、>恐らく全ての歴史は失敗した諸革命の歴史なのだろう。
 <この本>は、諸革命の「諸欠点、諸矛盾、そして、諸首尾不一貫性」について、著者は、主として、「[それら諸革命の]大胆不敵性(daring)の証」であるということにしたかったのかもしれないが、ペイン的或いはウォルストーンクラフ(Wollstonecraft)的、な人々たる、部外者達と遍歴者達に焦点を当てることによって、その物語を浪漫的な悲劇へと仕立てざるをえなかった。・・・」(D)

 (4)女性

 「政治的革命によって開かれた諸可能性に留意しつつ、ベッツェ・ヴォルフ(Betje Wolff)<(注18)>、イサベル・ド・シャリエール(Isabelle de Charriere)<(注19)>、そしてメアリー・ウォルストーンクラフト(Mary Wollstonecraft)は、女性達の役割を自分達の諸本の中で鋳造し直したところ、これらの諸本は、欧州全域で、翻訳され、評論され、議論された。

 (注18)1738〜1804年。オランダの作家。フランス革命の際に、フランスに在住していた彼女は、危く断頭台の露と消えるのを免れたとされる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Betje_Wolff
 夫が亡くなってからは、もう一人のオランダ人女性作家と同棲しつつ共著を出し続けた。愛国派が敗れてから、この作家と一緒にフランスに赴いたもの。
https://en.wikipedia.org/wiki/Aagje_Deken
 (注19)1740〜1805年。裕福な家に生まれ、後半生をスイスで送ったオランダの作家。もともとスイスとフランスの滞在歴があり、フランス語で作品を発表し続けた。ルソーに心酔。
https://en.wikipedia.org/wiki/Isabelle_de_Charri%C3%A8re

 彼女達は、核家族の諸徳に疑問を投げかけ、専制的な父親達と対決し、恋い焦がれた求婚者達に肘鉄を食らわし、結婚の必要性を否定した。・・・」(A)

 (5)奴隷

 「革命的旅行は18世紀末でありふれた時間つぶしであり、遍歴者達の日誌群は彼らの諸経験の即時性を捉えた。
 とはいえ、ポレスキーは、日誌群が幻滅の諸瞬間を記録していたことも我々に思い起こさせる。
 1788年の米国旅行の間、フランスの弁護士のジャック・ピエール・ブリッソー(Jacques Pierre Brissot)<(コラム#6887)>は、彼が見た「自由の諸奇跡」及び「自由の驚異的な諸効果」に拍手喝采した。
 しかし、南部を訪問した彼は、奴隷貿易を知るところとなるが、これは、彼の米国的生活についての予想(preconception)を揺るがす悩ましい現実だった。
 自分自身の自由のために戦った者達が、「人々からこの同じ祝福を奪う」ことがどうしてできるのだ、と彼は自問した。・・・
 ・・・オラウダ・イクィアーノ<(前出)>は、自分の自由を買い奴隷貿易について書いたし、タデウシュ・コシチュシュコ<(前出)>は南北アメリカで戦争を行い、帰国して彼の生まれたポーランドの結局は失敗に終わる革命を指導したし、アンナ・マリア・ファルコンブリッジ(Anna Maria Falconbridge)<(前出)>は、英国の奴隷制廃止論者達の支援を得つつ、シエラレオネに定住しようとしたところの、黒人パイオニア達の悲惨な諸境遇の年代記作家になった。・・・」(E)

(続く)