太田述正コラム#7772(2015.7.7)
<現代日本人かく語りき(続)(その4)>(2015.10.22公開)

 「日本独自の軍事学・軍事思想の欠如・・・
 どの国も、自国の歴史、戦争体験、地政学、国民性に即した独自の軍事思想があります。例えば中国では、抗日戦争の中で、毛沢東によって遊撃戦論・・・が生み出されました。アメリカでは、南北戦争を経験したが故に、「自国軍内では決して戦争しない」という不文律の下に軍事学が構築されました。フランスでは、ナポレオン遠征を参考に軍事学が構築されました。・・・ドイツでは・・・1935年、ヴェルサイユ条約破棄と再軍備が宣言されると、全く新しい軍事学の下にドイツ国防軍が創設されました。・・・しかし、日本だけがついに独自の軍事理論を構築できませんでした。・・・

⇒保阪の軍事知識が生噛りであることが露呈しています。
 例えば、遊撃戦(ゲリラ戦)なんてものは古代から存在しており、毛沢東が生み出したものではありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%A9
 また、米国の「「自国軍内では決して戦争しない」という不文律」なんて聞いたことがありませんし、第一、当たり前過ぎて、そんなものが「軍事学」の出発点たりうるはずがないでしょう。(太田)

 たった一人、日本独自の軍事理論の創造に挑んだのが、石原莞爾でした。・・・」

⇒保阪が軍事学/軍事思想/軍事理論で何を指しているのかは、軍事学一つとっても、その意味というか、範囲が多岐、広範である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%AD%A6
ことから、定かではありませんが、上掲の記述を踏まえると、どうやら、保阪は、軍事学の中の安全保障学ないし軍事戦略
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%88%A6%E7%95%A5
のことが念頭にあるようです。
 そして、文脈からして、保阪は、石原の軍事戦略は、日本軍に採用されなかったという認識のようですが、自分の軍事戦略に基づいて、石原自身の主導の下、関東軍が満州事変を起こし、満州を日本の保護国化した、という意味で、彼の軍事戦略は日本軍に採用されたわけであり、しかも、この軍事戦略の対象が拡大されるとともに国家戦略化されたところの、大東亜共栄圏構想を掲げて、大東亜戦争が戦われた、という意味では、彼の軍事戦略は日本政府に採用されたとも言えることから、保阪の認識は誤りです。
 なお、大東亜共栄圏については、一般に下掲のような説明がなされています。↓
 「・・・日本・満州国・中華民国を一つの経済共同体(日満支経済ブロック)とし、東南アジアを資源の供給地域に、南太平洋を国防圏として位置付けるものと考えられており、「大東亜が日本の生存圏」であると宣伝された。但し、「大東亜」の範囲、「共栄」の字義等は当初必ずしも明確にされていなかった。
 用語としては陸軍の岩畔豪雄と堀場一雄が作ったものともいわれ、1940年(昭和15年)7月に近衛文麿内閣が決定した「基本国策要綱」に対する外務大臣松岡洋右の談話に使われてから流行語化した。公式文書としては1941年(昭和16年)1月30日の「対仏印、泰施策要綱」が初出とされる。但し、この語に先んじて1938年(昭和13年)には「東亜新秩序」の語が近衛文麿によって用いられている。・・・
 大東亜共栄圏を語る上で重要な概念に八紘一宇がある。この語は日本が大東亜共栄圏の建設を推進するための政策標語(スローガン)として広く掲げられた。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F
 確かに、大東亜共栄圏という用語そのものは、同じ陸軍の軍人であるところの、岩畔と堀場が作ったのかもしれませんが、概念は石原に由来する、と私は見ているわけです。
 実際、上掲の中でも言及されているように、大東亜共栄圏の基礎となる観念は八紘一宇であるところ、この観念を提起したのは田中智學であり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%B4%98%E4%B8%80%E5%AE%87
石原は、その田中が結成した国柱会の会員である上に、「満州国の建国理念や著作「世界最終戦論」は<田中の>日蓮宗の<人間主義的な(太田)>教義解釈の影響を受けている」とされている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%99%BA%E5%AD%B8
のですからね。
 大東亜共栄圏なんて、後付けのスローガンに過ぎなかった、と保阪は反論するかもしれません。
 私見においても、大東亜共栄圏構想は、対赤露抑止という目的の国家戦略の手段、小目的に過ぎなかったわけですが、先の大戦において、日本は、対赤露抑止にこそ失敗したものの、大東亜共栄圏構想に基づいて、東南アジア及び南アジアを欧米植民地から解放することには成功したのであり、しかも、その結果、東南アジアの大半と南アジアの全ての赤化を防止することにも成功したとも言えるのであって、先の大戦で日本は必ずしも敗北したわけではないし、日本軍将兵及び銃後の日本人の犠牲は決して無駄ではなかった、と言うべきでしょう。
 すなわち、石原莞爾が「創造」した「日本独自の軍事理論」は、帝国陸軍、ひいては日本政府に事実上採用され、多大の「戦果」を挙げたのです。(太田)

(続く)