太田述正コラム#7865(2015.8.23)
<皆さんとディスカッション(続x2728)>

<太田>(ツイッターより)

 「朝鮮日報記者…<は>語る…日本人は、「内の世界」では「和」を重要視する。…
 一方「外の世界」は、内の「和」を乱す恐怖と無秩序の世界であって、除去すべき脅威と見なされる。…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/22/2015082200362.html
 全然ダメ。
 ツッコミどころはどこか、各自考えてみていただきたい。

<太田>

 (東京経済大学の大崎正瑠の論文「日本・韓国・中国における「ウチ」と「ソト」」
http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/hans/125/oosaki.pdf
からの引用に私のコメントを付す。)

 まず、そりゃ、韓中にもあるだろって話。↓

 「・・・日本の「ウチ」「ソト」の問題は、韓国の「ウリ」「ナム」、中国の「一家人/自己人」「熟人」「外人」の問題であると言ってもよいだろう。・・・」

 しかし、日本は「ウチ」同士でも親しき仲にも礼儀ありだ。↓

 「・・・しかし日本人の場合は、「ウチ」のメンバー<といえども、>・・・「親しき仲にも礼儀あり」で、相手の心の中にまで立ち入るようなことはあまりしない。韓国人や中国人から見れば、日本人の親しさは薄情に映るだろう。筆者の体験では、韓国の「ウリ」や中国の「一家人」「自己人」は、日本人より遥かに情の濃い付き合い方をする)。」
 しかも、日本人は「ソト」にも優しい。↓

 「次に「ソト」・・・<についてだ。>
 遠山淳・・・は、・・・日本語には英語の“ stranger” に相当する語がないという。・・・“stranger” とは、異文化の人々や未知の人々(文化・民族・性・年齢・宗教・身体的障害・性的志向などの違いをもつ人々)を指す。・・・遠山によれば、違和感(strangeness)の度合いは、「知らない人」「変な人(奴)」「外人」「異人」と上昇する<が>・・・単なる「知らない人」と「異人」とでは雲泥の差であり、相違性の温度差が非常に大きい<ものの、>見知らぬ日本人のことを「外人」とか「異人」と思ったり、使ったりすることは<基本的に>ない・・・。・・・日本人は今まで短期的にはあったが長期的には民族に侵略されたり、支配されたことがなく、「見知らぬ人」にはあまり警戒してこなかった。
 <すなわち、>日本人にとって「見知らぬ人」「他人」「余所者」は、文字通り単に面識が無い程度のことであった。いわば隣人の延長、あるいは親戚の延長のイメージである。・・・日本人にとって面識が無い人「見知らぬ人」でも、相手が「善い人」と信じれば相手に協力するし約束も守ってきた。だから「見知らぬ人」「他人」「余所者」でも、よほど変な人でなければ相手をそれほど疑うこともせず信じてきた。日本においては「性善説」が普及してきた。」

 要するに、日本の「ウチ」と「ソト」の区別は、韓中における区別に比べれば、殆んど区別されていないに等しい。
 人間主義、というのはそういうものなのであり、人間主義の伝染力/感化力に鑑みれば、従って、大崎の下掲の主張は、首肯し難い。↓

 「日本でもこれから少しずつ「見知らぬ人」「他人」「余所者」の見方が変化してくるものと思われる。」

<太田>(ツイッターより)

 仏列車内のテロ未遂事件、犯人を取り押さえたのは、米国人3人組・・海兵隊員ならぬ、空軍、州兵、民間人・・と英民間人1人。
 仏国人の貢献は緊急ベルを押した時にガラスで手を切った俳優1人のみ。
 ほか不詳負傷者1人。
 仏人乗務員らは乗客を見捨てて専用室に鍵をかけて閉じこもり乗客は恐慌をきたした。
http://www.bbc.com/news/world-europe-34023361
 両大戦の時とほぼ同じ構図だ。さすが真正もできそこないもアングロサクソンは勇ましいねえ。
 仏国人の柔弱さは、英仏百年戦争以来、英人に痛められ続けたせいもあるが、だらしないこと夥しいな。
 ところで独国人は乗り合わせてなかったんか?

<太田>

 関連記事だ。
 アメちゃんの3人は、幼馴染で一緒に欧州旅行中だった。↓
http://www.nytimes.com/2015/08/23/world/europe/3-heroes-who-stopped-train-attack-were-boyhood-friends.html?ref=world
 
 ジョン・ブルは、「何もしなくても殺されるのなら何かして死のうと思った。」と。
 彼の言によれば、操縦士と思われるフランス人も犯人と戦ったとさ。(事実ならフランスの名誉はかろうじて保たれたということだが・・。(太田))↓
http://www.latimes.com/world/europe/la-fg-briton-france-train-attack-20150822-story.html

<NB8L.1zY>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

戦国時代って普通に人身売買してたんじゃなかったっけ?
伴天連を排除した所で国内で取引されるだじゃね?

<BcKmoNrk>(同上)

戦国時代の日常茶飯事「掠奪・奴隷狩り・人身売買」について
http://kousyou.cc/archives/4686

非日常に置いて人身売買なんてどこも同じだけど、ルター曰く『殺戮し強奪し放火しあらゆる災害を敵に加えることが、キリスト教的であり、愛の行為なのである』日常・非日常に限らずこんな言い訳する奴等は弾圧すべき対象でしょ。

<太田>

 以下については、BcKmoNrkクン提示の典拠も参考にさせてもらったよ。

 鎌倉、室町時代には、自発的に自分を売る行為が見られたが、これは自分の意思に反して拉致され、売られるところの奴隷とは言えない。↓

 「自力救済の時代である中世日本では、人身売買は民衆にとって餓死を免れるセーフティーネットとしての面も持つ行為であった。身売りすることで近い将来に餓死する事だけは避けえたからである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

 また、戦国・安土桃山時代の「乱妨取り」は、戦闘に掠奪が伴うことが珍しくなく、褒美として黙認されたところ、モノとともにヒト(大人の女性・子供)も掠奪の対象になったもの↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A
であり、目的は、強姦and/or身代金稼ぎ
http://kousyou.cc/archives/4686 前出
だった、と受け止めるべきだろう。
 (大人の男性が対象ではなかったことに注意。)
 つまり、奴隷労働をやらせるための掠奪ではなかったと見ることができるので、やはり奴隷とは言えない。
 以上の出来事と、伴天連の所業とを、「人身売買」で一括りにして同一視する、NB8L.1zYクンの主張は誤りだってことさ。

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 ええこちゃ。
 だけど、人間主義なき地が継受するのは容易じゃなかろうて。↓

 「掃除当番・給食…日本型教育を輸出へ 海外「規律養う」・・・」
http://digital.asahi.com/articles/ASH8L3V5FH8LUTIL01B.html

 韓国も頑張っておるね。↓

 「韓国式の教育を行うパレスチナの技術高校・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/22/2015082200374.html
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太田述正コラム#7866(2015.8.23)
<私の現在の事情(続x64)>

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