太田述正コラム#7640(2015.5.2)
<『日米開戦の真実』を読む(その11)>(2015.8.17公開)

 (4)再び大川より

 「イギリス帝国主義の権化ともいうべきカーゾン<(コラム#4386、4532、4651、4717、4954、5300、5308、5310、5646、5796)>卿は、その著『ペルシア問題』の中で、もし英国が一朝印度を失うならば、断じて世界帝国の地位を保つことが出来ないと明言しております。
 また、ホーマー・リー<(注9)>という極めて特色あるアメリカの一軍人は『アングロ・サクソンの世』と題する著書の中で、「イギリスが印度を喪うということは、英国の領土内に、アングロ・サクソンのあらゆる血と火と鉄とをもってするも、到底破れたる両端を接ぎ合わせることの出来ぬ一大破綻の発生を意味する」と申しております。

 (注9)Homer Lea(1876〜1912年)。オクシンデンタル単科大学を経てスタンフォード大学に転入学するも健康上の理由で退学。彼の著書である、日米戦争は必然であると主張した『日米必戦論(The Valor of Ignorance)』(1909年)と米英間の抗争を論じた『アングロ・サクソンの世(The Day of the Saxon)』(1912年)は、大きな論議を引き起こした。
 なお、彼は、これらの戦争、抗争の帰趨に支那が大きな役割を果たすと考えていた。
 ちなみに、彼は、自身軍事教育訓練を受けたことはないが、1900年咸豊帝復辟運動の武装勢力に加わるべく支那に渡り、中将位を授けられるも翌年帰国、米国内で支那人達に軍事教育訓練を施し、1911年の辛亥革命の際には孫文に助言している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Homer_Lea

 今一人のスナサレフ<(注10)>という人は、『印度』という著書の中で「もしこの不幸蒙昧たる印度のために、自由の勝利を告げる鐘が鳴るならば、その次の瞬間に、歴史の時計は海の女王の死を世界に告げることであろう。そしてイギリスは、わずかに本店をロンドンに有する一個の世界銀行となってしまうであろう」と申しております。」(220〜221)

 (注10)不明。

⇒このくだりは、常識に属する事柄です。
 にもかかわらず、日本政府は、開戦劈頭、インド亜大陸の盲腸のようなビルマまでは占領したけれど、それが可能であるにもかかわらず、インド亜大陸本体に侵攻しようとはしませんでした。
 これは、対英米戦争の目的が、蒋介石支援兵站ルートの遮断と、東南アジアの石油等の兵站確保、すなわち、対赤露抑止(冷戦)の手段たる対蒋介石政権戦争(熱戦)の兵站遮断・確保であり、欧米植民地、就中英国植民地解放ではなかったことを如実に示すものです。 
 さて、上記くだり以降、大川は、英国のインド統治の過酷さを執拗に強調し続けるのですが、それは、垂直的及び水平的な比較・・一、インド史における英国以外の統治との比較、及び、二、英国以外の国による植民地統治との比較・・の観点が欠如した、ためにする、(韓国人による日本の植民地統治の糾弾ぶりを思い起こさせる)愚論である、ということを最初に申し上げておきます。
 まず、一についてですが、紀元前300年時点でインド亜大陸の人口は1億〜1億4,000万人と推計されているところ、それが、2000年近く後の1600年時点で、推計1億人、と、むしろ減少しており、それ以降も、19世紀後半に至るまで増加率は微々たるものだったと考えられています。
 ところが、1881年に最初の国勢調査が行われた結果は、人口は2億5,500万人へと激増していました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_India
 英国が、東インド会社を通じてインド亜大陸のほぼ全部を統治することになったのは1757年です
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE
が、結局のところ、英国統治下におかれたおかげで、初めてインド亜大陸は継続的な人口増加が可能となった、と言えるでしょう。
 この点だけからしても、過去の歴代王朝等の統治のいずれよりも、英国のインド亜大陸統治が格段に優れていたことは明らかでしょう。
 次に、二についてですが、(大川が愛して止まない)米国の「植民地統治」と比較して見ましょう。
 (いくら、北米英領植民地人の多くは英国人の屑だったとはいえ、英国人は英国人なので、)米国が独立してからに限定するとして、1800年時点で、今日米国となった領域に住んでいた原住民・・こちらも「インディアン=インド人」でした・・は約60万人であったところ、1890年代にはわずか25万人まで減少しています。
 減少の大きな理由は、暴力よりも海を渡って持ち込まれた伝染病だったという言い訳がなされており、まんざらウソではないのでしょうが、積極的に原住民を感染させた事例すら数件記録に残されており、
http://en.wikipedia.org/wiki/Native_Americans_in_the_United_States
少なくとも、積極的な感染予防対策が講じられなかったのは間違いないでしょう。
 念のため、フランスの植民地統治とも比べてみましょう。
 フランスのアルジェリア統治は、1830年にアルジェを占領した時に始まりますが、全土征服に若干の時間を要したことと、暴力と伝染病によって、アルジェリアの人口は1872年までの間に3分の1近く減少したとされています。(典拠の信憑性に論議があるようですが・・。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Algeria
 つまり、英国の植民地統治(インド亜大陸統治)は、米国やフランスの同時期の植民地統治と比較して相対的に優れていた、と言えるのです。(太田)

(続く)