太田述正コラム#7638(2015.5.1)
<『日米開戦の真実』を読む(その10)>(2015.8.16公開)

 「重大な失敗を犯したとき、誰も自らに責任があることを認めたくないという心理が働く。「誰かに自分が騙されていた」というフィクションで、自分の責任から逃れようとする。その隙間をアメリカは衝いて、新しい神話を作った。そして日本人は自らその神話を受け入れていくのである。
 神話と実証的情勢分析は同居できない。日米開戦の真実について、大川が『米英東亜侵略史』で解明した実証的な分析は戦後、GHQとそれに協力した日本人<達>・・・が作り上げた・・・神話に回収されていってしまうのである。それとともに大川周明という知識人の存在自体が日本人の記憶から薄れていくのである。」(163)

⇒私なら、後段は次のようになります。
 「この神話が生まれる環境を整備したのが、米事大主義的にして、衆目が嘘だと分かるアジア解放の大義論を展開した大川の『米英東亜侵略史』だった。
 大川すなわち日本政府がこういう嘘を付くとなれば、日本政府が他にも嘘を付いていても不思議はないという気になっていた少なからぬ日本人達が、戦後、外務省等がGHQに協力して作り上げたところの、軍部、就中陸軍が、共同謀議によって日本を無謀な戦争に引きずり込んだ、という神話に回収されていってしまうのである。それとともに、開戦時に日本政府の走狗となり嘘の片棒を担いだ大川周明という、エセ知識人にして梅毒で頭がいかれるに至っていた人物の存在が日本人の記憶から薄れていくのである。」(太田)

 「世界史<において、>・・・東洋という<小>世界と西洋という<小>世界が競争している。この二つが切磋琢磨する過程で戦争は不可欠であるとの認識を大川は示す。・・・
 西洋と東洋のどちらが優れているかという議論にはそもそも意味がない。それぞれが独自の内在的論理をもった完結した世界なのである。・・・
 日本人の精神には自ずからインド精神と中国精神が包摂されていると考える大川にとって、日本精神とはアジア精神に等しいのである。従って、日本は西洋的原理の委嘱と言う不可能な目標を追求するのではなく、東洋的原理に則って全アジア主義の理論を組み立てる必要がある。・・・
 <更に、>アジアを植民地から解放することがアジア復興の大前提であるが、その具体的方策として戦争が不可欠と考える。・・・
 大川は、イギリスの植民地主義に対しては首尾一貫して批判的だが、アメリカについては、自由・独立の気風と自由に反植民地主義的伝統を肯定的に評価する。・・・大川は日本の開国がアメリカによってなされたことは幸運だったと明言した。・・・
 たまたまアメリカのペリー提督が優れた人物であり、当時のアメリカが建国の理念である自由と独立の精神を忘れていないので日本は植民地化を免れたと、アメリカの対日政策について大川は肯定的な評価をしている。・・・
 大川はアメリカの初心が優れていたことを強調することで、現在のアメリカの堕落を際立たせようとしている。・・・
 さらに大川は、ペリーが日本人の内在的論理をよく掴んでいた人物としても高く評価している。・・・
 日本は<ペリー>の方法から学び、その後、「対話と圧力」で朝鮮や中国との外交関係を構築していく。・・・
 大川の首尾一貫した立場は反植民地主義である。大川はアジアを植民地支配から解放するためにイギリスと戦うことは不可欠で、不可避と考えたが、対米戦争についてはできるだけ避けようとし<た。>・・・
 大川はアメリカによる帝国主義的侵略の呼び水になったのが、日清戦争における日本の勝利と考えている・・・
 帝国主義の時代においては、他国の植民地となるか、他国を植民地とする列強の一員になるかしか選択肢はない。・・・
 <日清戦争でその弱体なることを知った>中国の植民地化を各国が狙いはじめた・・・。・・・<まず>付け込んできたのがロシアであり、日本は朝鮮半島、満州に覇権を確立しようとするロシアの野心を挫くために戦争に突入した。・・・
 <その戦争に日本が勝利を収めるのだが、その結果、>日本がアメリカの太平洋制覇と中国進出を妨げる主要な障害と考えるようになっ<たのだ>。」(166〜167、170〜173、176〜178、183)

⇒既にその殆んどについて批判済みではあるけれど、佐藤による大川の主張の上掲要約に目を通すにつけ、当時の日本政府(外務省?)が監修したはずの大川の主張の荒唐無稽さ、及び、米事大主義ぶり、に改めて呆れ果てるとともに、当時の日本政府と大川に対する嫌悪と怒りが湧き上がってきます。
 曲学阿世というより、恐らくは、単に浅学非才なるが故にこそ、日本政府に悪用されたところの、そんな大川に、佐藤も大層な入れ込み方をしてくれたものです。
 外務省にあれだけつれない仕打ちをされ、切り捨てられても、なお、戦後外務省の省是たる、軍部悪者論/吉田ドクトリン、につながる米事大主義に露程の疑念も抱くことなく、事実上、その省是の墨守にこれ努めるとは、佐藤は、けなげなのでしょうか、それとも、彼にとって余程外務省の居心地がよかったのでしょうか。
 ハテ?
 なお、念のためですが、日本は、日露戦争の時にまさにそうであったように、日清戦争の時も、既に、英国の支援の下に、「朝鮮半島、満州に覇権を確立しようとするロシアの野心を挫くために」戦ったのです。
 (「朝鮮半島を巡る国際情勢は、日清の二国間関係から、ロシアを含めた三国間関係に移行していた。そうした動きに反発したのがロシアとグレート・ゲームを繰り広げ、その勢力南下を警戒するイギリスであった。・・・イギリス<は、>・・・日清戦争前夜の1894年・・・7月16日、[治外法権を撤廃し関税自主権を一部回復させた>通商航海条約に[他国に先駆けて]調印し、結果的に日本の背中を押<した。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%8B%B1%E9%80%9A%E5%95%86%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E7%B4%84 )
 従って、日清戦争は、いかなる意味においても、(大川や佐藤の言うところの、)ロシアや米国の対北東アジア政策の変更の「呼び水に」などなってはいないのです。(太田)

(続く)