太田述正コラム#7632(2015.4.28)
<『日米開戦の真実』を読む(その7)>(2015.8.13公開)

 「1928年、父張作霖の後を継いで満州の支配者となった張学良は、南京政府及び多年にわたるアメリカの好意を背景として、東北地帯における政治的・経済的勢力の奪回を開始したので、満州における日本の権益に対する支那側の攻撃は年と共に激化し、排日の空気は全満に漲らんとするに至りました。もともと満州における日本の権益は、ポーツマス条約に基づくものであります。もし当時日本が起ってロシアの野心を挫かなかったならば、満州・朝鮮は必ずロシアの領土となったであろうし、支那本部もやがて欧米列強の俎板の上で料理されてしまったことと存じます。日露戦争における日本の勝利は、ただロシアの東洋侵略の歩みを阻止したのみならず、白人世界征服の歩みに、最初の打撃を加えた点において、深甚なる世界史的意義を有しております。このとき以来日本は、朝鮮・満州・支那を含む東亜全般の治安と保全とに対する重大なる責任を荷い、かつその重圧を見事に果たしてきたのであります。」(105〜106)

⇒大川が、白人=欧米、と考えていたのか、それとも、白人=欧米+ロシア、と考えていたのかは詳らかにしませんが、いずれにせよ、彼が、「ロシアの野心」を過去形で語っていることは、私には到底理解できません。
 日本が日露戦争勝利によって獲得した、「満州における日本の権益」は、「東亜全般の治安と保全」などという抽象的にして帝国主義的な目的のためではなく、「ロシアの東洋侵略の歩みを阻止し」続けるためにこそ、引き続き堅持してきた、だからこそ、日本は、そのイニシアティヴにより、「共産「インターナショナル」ニ対スル協定」(防共協定)を、1936年にまずドイツと締結し、37年にはイタリアを加え、39年にはハンガリー、スペイン、それに、これが肝心なのだが、満州国を加えた、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E5%85%B1%E5%8D%94%E5%AE%9A
というのに、そのことを理解し、多とするどころか、日本のこの努力を妨害する支那の愚かな勢力を、ロシア・・今やソ連(赤露)・・だけならまだしも、米国等までもが支援するとは一体何事か、と大川は、ここで、米国を一喝しなければならなかったのです。
 大川の言い様では、日本が、自ら、欧米やロシア並びのレベルにまで身を貶めてしまった形です。(太田)

 「満州事変に対して執った国際連盟の行動は、一つとして・・・アメリカ<の>・・・国務長官スティムソン<(注8)(コラム#2498、3796、4464、4671、4923、5148、5153、6212、6305)>と相談しなかったものがなく、またその指図に由らぬものがなかったのであります。・・・

 (注8)Henry Lewis Stimson(1867〜1950年。国務長官(フーヴァー大統領):1929〜33年。陸軍長官(フランクリン・ローズベルト大統領):1940〜45年)「スティムソン<の>陸軍長官<への任用は、>・・・にやはり共和党員であるフランク・ノックス<の>海軍長官<への>任用<同様>・・・、危機的な世界情勢を背景に超党派の外交・安全保障政策を展開しようとの意図を持ったものである・・・
 <スティムソンは、>日系人の強制収容の推進<したが、>・・・原爆投下の目標リストのうち、文化の中心都市であるとして京都への投下に強硬に反対しリストから外させた。・・・<また、>ポツダム宣言の起草にも影響力を行使した結果、・・・日本は国体(天皇制)を護持して降伏することができた。」エール大、ハーヴァードロースクール卒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3

⇒国際連盟に関する英語ウィキペディアは、その中で挙げられている、連盟が関与した16の紛争中、米国の関与に言及しているのは3つだけであるところ、1930年のリベリア問題は、関係企業が米国企業という事情があったからであり、実質的には、1935年のイタリアのエチオピア侵略、及び、1937年の日支戦争だけであって、1931年の満州事変に関しては、米国の関与に全く言及していないどころか、連盟による対日経済制裁は、米国が連盟加盟国でないことから、効果がないとして顧みられなかった、と記されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/League_of_Nations
 そもそも時のフーヴァー米大統領は親日的であり(コラム#省略)、対日経済制裁を行うつもりは全くありませんでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stimson_Doctrine
 大川は、よりにもよって、こんな根拠薄弱な話で米国を糾弾してどうするのか、と言いたくなります。(太田)

 彼は、1932年春、カリフォルニアとハワイとの間において、全米国艦隊の大演習を行わしめ、演習終了後もこれを太平洋に止めた日本を威嚇しました。そして、一方絶えずロンドンとジュネーヴ<(連盟)>に圧力を加え、この年3月12日には、連盟総会をして2月18日に独立を宣言した満州国に対し、不承認の決議をなさしめました。それからこの年11月末には、国際連盟はいわゆるリットン報告に基づいて、日本に対して満州を支那に返還せよという宣告を下したのであります。・・・

⇒国務長官に米海軍の指揮権などないというのに、何を馬鹿げたことを大川は言っているのでしょうか。
 また、大川がスティムソンの連盟への圧力について、具体的な根拠を示していないことがお分かりか。(太田)

 スティムソン政策の拠って立つところはあくまでも九か国条約及び不戦条約を尊重し、これに違反する行動はすべて不法なる侵略主義と認め、徹底してこれを弾劾するというものであります。・・・

⇒私見では、大川に限りませんが、日本人識者の、スティムソンドクトリン(1932年1月7日)解釈は誤りです。
 このドクトリンのさわりの部分の全文を掲げる英語ウィキペディア(上掲)は、それを次のように要約しています。
 日支両政府に対し、「スティムソンは、米国は、支那における米国の条約上の諸権利を侵害するような、支那においてなされたいかなる諸変化も認めないだろう、また、「門戸開放」は維持されなければならない、と言明した。」
 この前段は、当たり前のことですし、後段については、希望を表明しただけのことです。
 これを、大川らのように、「九か国条約及び不戦条約を尊重し、これに違反する行動はすべて不法なる侵略主義と認め、徹底してこれを弾劾するというもの」と形容するのは、言い掛かりというものでしょう。(太田)

 <スティムソンを陸軍長官に起用したことからも明らかなように、スティムソンの>この政策を完全に継承するルーズヴェルトは、今回の支那事変に際し・・・1937年10月5日、・・・「条約を蹂躙し、人類の本能を無視し、今日のごとき国際的無政府状態を現出せしめ、我らをして孤立や中立をもってしてはこれより脱出し得ざるに至らしめしものに反対するために、アメリカはあらゆる努力をなさねばならぬ」<という、いわゆる隔離演説(注9)を行ったのだ。>」(108、111、113〜114)

 (注9)この「演説は米国の孤立主義的風潮を煽り、不干渉主義者や介入者による抗議を招いた。演説の中で特定の国が直接名指しされた訳ではないが、日本、イタリア及びドイツを指すものと解釈された。ローズヴェルトは、強硬ながらもあからさまな攻撃よりは直接的でない反応として、経済的圧力の行使を提案した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%94%E9%9B%A2%E6%BC%94%E8%AA%AC

⇒隔離演説は日本だけを対象にしたものではありませんが、上出の大川による形容は、この演説(コラム#254、4697、4703、6238、6270、6280、6292)にこそ当てはまります。(太田)

(続く)