太田述正ブログは移転しました 。
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太田述正コラム#7807(2015.7.25)
<皆さんとディスカッション(続x2699)/米国の最新の太平洋戦争修正史観>

<太田>(ツイッターより)

 「…憲法18条には意に反する苦役、これはダメですよということが書いてあります。
 そして徴兵制度の本質は、意思に反して強制的に兵士の義務を負うことです。
 ですから、徴兵制は明確に憲法違反なんです。
 これは憲法解釈で変える余地は全くありません。…
 自民党の憲法改正草案の中にも…意に反する苦役はダメですよ、ということが書いてあります。
 自民党の憲法改正草案が実現したとしても、全く変わらないということは申し上げておきたいと思います。…」
http://blogos.com/article/124398/
 安倍首相、こんな答弁をしていたの。
 徴用(兵役以外の業務に強制的に就かせること)は合憲だけど、徴用中に、苦役( つらく苦しい労働)はないの。
 兵役だけが苦役だとでも言うの。
 私学助成はダメですって憲法89条に書いてある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%AD%A6%E5%8A%A9%E6%88%90
けど、助成してるのは、一体どうしてくれるの。
 誰が書いた答弁かしらないけど、その場しのぎの答弁をするなって。

<太田>

 「答弁」じゃなく、「対談」だったね。

<太田>(ツイッターより)

 「トルコ軍は24日、シリアとの国境沿いの拠点3カ所を初めて空爆し…ISの司令部など3つの標的を攻撃し…少なくとも35人を殺害した…
 「エルドアン<政権>は外国人戦闘員の流入などでISの台頭を許し、<クルド人勢力>への支援を渋った」として国内のクルド人の離反を招<き、>…6月の総選挙で2002年から単独政権を維持した公正発展党(AKP)が過半数割れする一因にもなった。…
 トルコでは連立政権の樹立を巡る協議が進<んでいない。>…」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM24H6D_U5A720C1FF1000/?dg=1
 意外な展開だが、国内政局対策だったとすると理解できるな。ISの反撃が見物。

<太田>

 その他の記事は、明日回しにします。
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 一人題名のない音楽会です。
 庄司紗矢香の4回目です。

Schubert : Rondo for violin and strings in A major, D.438(1816年作曲)(注) 指揮:Jacek Kaspszyk オケ:Sinfonia Varsovia 佳曲。彼女の楽しそうな演奏が聴く者も幸せな気持ちにする。
https://www.youtube.com/watch?v=GLWHpkiKPSs

(注)シューベルトの生前には出版されず、1897年に出版された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Rondo_in_A_major_for_Violin_and_Strings,_D_438_(Schubert)

Schumann : Intermezzo from Violin Sonata No.3, WoO 27(1853年作曲)(注)  ピアノ:Nelson Goerner 佳曲。
https://www.youtube.com/watch?v=DkNRuPsav_c

(注)ハンガリーのバイオリニスト・指揮者・作曲家のJoseph Joachimに献呈されたところの、4楽章からなる、第一楽章はAlbert Dietrich、第二楽章はシューマン、第三楽章はブラームス、第四楽章は再びシューマンが作曲したうちの第二楽章に相当。
https://en.wikipedia.org/wiki/F-A-E_Sonata
https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Joachim

Brahms : Double Concerto in A minor, Op.102 チェロ:Tatjana Vassiljeva 指揮:山田和樹(注) オケ:Ural Philharmonic Orchestra フィッシャーの二つの演奏(コラム#5335、6450)と比較して見て欲しいが、ここは、むしろ山田に注目すべきだろう。 名曲。素晴らしい演奏。
https://www.youtube.com/watch?v=j1F4ccM75nc

(注)1979年〜。東京芸大指揮科卒、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝(2009年)、現在、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督兼芸術監督。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%92%8C%E6%A8%B9

Brahms : Violin Sonata No.3 in D minor, Op.108(1888年初演)(注)  ピアノ:Nelson Goerner 名曲。
https://www.youtube.com/watch?v=T-65DVUUaf4

(注)ドイツの指揮者・ピアニスト・作曲家のHans von Bulowに献呈。初演ではブラームスがピアノを担当。
https://en.wikipedia.org/wiki/Violin_Sonata_No._3_(Brahms)
https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_von_B%C3%BClow

(続く)
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          --米国の最新の太平洋戦争修正史観--

1 始めに

 本日は、コラムシリーズにすべきものを、一挙にお話することにしたいと思います。
 取り上げるのは、ジェームス・ブラッドリー(James Bradley)の『支那の蜃気楼--米国のアジアにおける大災厄の隠された歴史(James Bradley;The China Mirage: The Hidden History of American Disaster in Asia)』です。
 例によって、この本の書評類をもとに、内容のさわりをご紹介し、私のコメントを加えることにしましょう。

A:http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2015/0624/The-China-Mirage-explores-the-delusions-behind-US-foreign-policy-in-East-Asia
(6月25日アクセス(以下同じ)、書評)
B:http://historynewsnetwork.org/article/158407
(書評)
C:https://disqus.com/home/discussion/hnndev/review_of_james_bradleys_the_china_mirage_the_hidden_history_of_american_disaster_in_asia/ 
(上掲の投稿集)
D:http://www.npr.org/2015/04/22/401427315/bradley-s-china-mirage-portrays-a-long-running-american-mistake-in-asia
(著者のインタビューとそれに対する投稿集)
E:http://usa.chinadaily.com.cn/epaper/2015-05/08/content_20657290.htm
(書評)

 ちなみに、ブラッドリー(1954年〜)は、ノートルダム大卒の歴史ノンフィクションを専門とする著述家であり、
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Bradley_(author)
https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4RNOA_jaJP583JP584&q=James+Bradley
邦訳の出ている『硫黄島の星条旗(Flags of Our Fathers)』(共著。クリント・イーストウッドが映画化)や『知日家イギリス人将校 シリル・ワイルド』のほか、本コラムで取り上げたところの、'The Imperial Cruise--A Secret History of Empire and War'(コラム#3658、3660、3972、3974、3976等)の著者です。

2 米国における太平洋戦争修正史観

 (1)序

 「第二次世界大戦中にアジアで負傷した父親、ベトナムで死ぬところだった兄といった具合に、ブラッドリーの家族は、アジアと特別な関係を有した。」(E)

 「我々は、米国の、過去1世紀半に及ぶ、東アジアにおける破滅をもたらした外交政策の諸水源と諸導き手とを発見するだろう、とジェームス・ブラッドリーは、<この本>の中で示唆する。
 ブラッドリーは、米国のアジア認識(perception)を探索する。
 それが、未熟な(callow)政策決定者達と自薦の「指導者」達によって形成され、その認識と現実との落差、すなわち、受け止められた智慧、希望に満ちた豚の餌、そして、累積された諸誤解が、三つの主要なアジアでの諸戦争(及び若干の小さい諸戦争)に導いた、ということを・・。」(A)

 「<この本>の中で、ブラッドリーは、どうして、彼の父親が硫黄島で日本人達と戦っている自分自身を見出したのか、を問う。
 ここにおいて、彼は、無思慮な米国の諸政策、支那に対する経済的かつ家父長的利害、及び、日本もまた支那と東アジアにおいて、深刻にして競合的な利害を有していたことへの恐怖、という、その戦争のルーツをなぞる。
 その結果、彼は、父親があの人里離れた島に居合わせることになったのは、支那が日本の統制と搾取から解放されることができ、かくして、米国、及び、その英国、オランダ、そして、フランス、という帝国主義的な諸友邦が、それぞれの諸市場、諸資源、及び、地政学的地位に自由なアクセスをすることを認めるためだった、という結論に達する。」(B)

⇒つまり、ブラッドリーは、太平洋戦争は、日本と米・英・蘭・仏の間の、支那を巡る帝国主義戦争であった、と結論付けたわけです。(太田)

 (2)米宣教師達の白昼夢

 「<米>宣教師達の諸夢<は、次のようなものだった。>
 「支那人達が白塗りの教会群の中でイエスに祈り、ジェファーソン的諸原則を町役場内での諸集会で議論する。」
 <そして、>全東アジアが欧米化され、キリスト教化される。
 すなわち、「教育を受けた支那人は、英語をしゃべり、新しい人になる。彼は考えることを始める」、と恥知らずにも、1895年に、駐支米公使のリチャード・オルニー(Richard Olney)は、米国務長官に宛てて記した。
 ブラッドリーのどちらもベストセラーである、『硫黄島の星条旗』と『フライボーイズ--<勇気についての真実の物語>(Flyboys<:A True Story of Courage>)』<(注1)>は、これらの諸夢に立脚して、米国はその気になったことを行って(play favorites)きたのであって、このような習性的思考(mind-set)が、顕著な役割を果して、我々の東南アジア、支那、日本、及び、南北朝鮮に対する、今日の我々のふるまいを誤誘導している、と主張している。

 (注1)小笠原の父島における、8名の米軍捕虜の処刑と人肉食事件のノンフィクション。米国ではベストセラーになったが、邦訳は出ていない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Flyboys:_A_True_Story_of_Courage
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC/s?ie=UTF8&page=1&rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC

 この妄想(hallucination)が米国の全球的優越コンプレックス(globocop superiority)、生焼けのイデオロギー的タテマエ論(cover story)群、及び、カネ惚け、と相俟つところ、こんな一揃い(marriage)の下でひどい情緒的諸問題に苦しまないような者が果しているだろうか。・・・
 <米宣教師達は、支那人達の魂の>救済を身体全体の洗濯(cleanse)として執り行った。
 彼らは、<支那の>産業的、社会的、そして、政治的生活と諸制度とを根本的に変えるであろうところの、新しい諸観念を導入することを追求することにしたのだ。
 大部分の支那人達は微笑しつつ彼らを無視した。
 上で引用されたのと同じ米国公使は、19世紀末に、「宣教師達は、貿易と商業のパイオニア達だ。文明、学習、指示が、商業が提供するところの、新しい諸欲求(wants)を繁殖させる」と記した。・・・」(A)

⇒このような経験がある以上、中共が、権力奪取以来、諸宗教、とりわけ、カトリシズムとプロテスタンティズムを敵視し、厳しい統制下に置いているのは当然ですね。(太田)

 (3)米商人達の貪欲

 「1850年には、大英帝国の収入の20%が支那への阿片の密輸出からのものだった。・・・
 19世紀を振り返れば、米国のビジネス諸利害は、英国の麻薬貿易独占を許さないところにまで来ていた。
 フランクリン・デラノ・ローズベルトの祖父のウォレン・デラノ(Warren Delano)は、一家の財産を阿片を支那に搬入することで築いた。
 ウォレンの娘にしてフランクリンの母親のサラ(Sara)は、<ウォレン家の>欧州風白人居留構内を離れることがなかったにもかかわらず、魔法的思考の支那<というイメージ>をフランクリンの若い頭に吹き込んだ(conjured)。
 このヴィジョンは、フランクリンのもとにとどまり続けた。
 そのことが、戦時中の米国の政治に係る彼の諸意思決定に影響を及ぼした、ということを、ブラッドリーは説得力ある形で主張する。・・・」(A)

 「・・・フランクリン・デラノ・ローズベルトは、自分の生涯でさしたるカネを稼いだわけではない。
 彼は、常に諸公職にあったからだ。
 <しかし、>彼は、デラノ家の財産によって支えられていた。
 そして、その財産は、ウォレン・デラノの阿片財産に由来していた。
 彼は阿片密輸出者であり、支那における最大の米阿片会社のために仕事をした。・・・
 支那貿易にはお茶も絹もあった。
 それはその通りだ。
 しかし、最大の儲けは阿片だった。
 それは支那では違法だったが、いかなる非合法ドラッグ類と同じく、それは無茶苦茶に儲かった。
 英国人達は最大のプレヤー達だったが、米国人達だって大きなプレヤー達だったのだ。・・・
 コネチカット州のミドルタウン(Middletown)のサミュエル・ラッセル(Samuel Russell)は、トルコ内の供給源から、それを支那に送り込んだ。
 その彼が、ウォレン・デラノを訓練した。・・・
 彼らは支那の犯罪ギャング達と取引した。
 阿片は非合法だったので、彼らは政府とは関わらなかった。
 そして、彼らは支那に分け入ることはなかった。
 彼らは、漢語を学ばなかった。
 しかし、これらの最初の<米国>商人達は、米国に戻ってこの米国内における支那の蜃気楼・・すなわち、彼らは支那を知っており、古き支那は去ろうとしており、より米国のような、民主主義的にしてキリスト教化したところの、新しい支那という蜃気楼・・を創り出したのだ。・・・」(D1)

⇒米国人達は、支那に、精神的阿片であるキリスト教(プロテスタンティズム)と肉体的阿片である阿片そのもの、とをセット販売して大儲けをしていた、ということです。(太田)

 「私は、最近、『砲艦サンパブロ(Sand Pebbles)』を鑑賞した。
 これは、1920年代央の国民党・軍閥・共産党の内戦時代に支那の内陸部へと揚子江を奥に向かって航行していた砲艦(gunboat)についての魅惑的な(mesmerizing)1966年の映画だ。
 この映画が決して説明しないのは、この船がそこにいたのは、欧州と米国の帝国主義者達が何十年にもわたる一方的な協定群によって掴み取った商業的諸権利と治外諸法権を守るためであったことだ。
 1784年に、支那貿易で儲けようと熱心だったビジネスマン達によって一部資金提供されていたところの、「支那の女帝」という米国の船が広東に到着した。
 そして、19世紀になってからかなり経って、そのうちの一人がフランクリン・デラノ・ローズベルトのお爺さんであったところの、若干より大勢の米国人達が、阿片貿易でもって諸財産を作った。
 米国が<、現在のように、>支那の債務国になるはるか昔、大勢の米国のビジネスマン達が儲かる支那貿易で巨大な財宝群を手にしようと夢見たわけだ。・・・」(B)

 (4)愚かな米本国の有力者達

「米本国では、1882年の支那人排除法(Chinese Exclusionary Act)<の成立>は、いかなる範疇(stripe)の米国人達をも、世界における支那の実相(way)をもっと学ばせることに資しはしなかった。
 後に、パール・バック(Pearl S. Buck)<(コラム#1174、2651、2828、2830、3074、3161、3932、3934、3936、3938、3965、4051、4112、4146、4150、4462、4492、4656、4726、6393)>は、敬神賛歌だの地の塩<(注2)>だの、米国人達の諸価値を体現したところの、気高き支那の農夫を我々に紹介することになり、後に、ヘンリー・ルース(Henry Luce)<(コラム#2934、3074、4092、4112、4150、4266、6208、7242、7280)>は、タイム誌、ライフ誌、及びフォーチュン誌を十分なる大法螺でもって埋め尽くすことで、蒋介石のような、安っぽく(two-bit)腐敗したファシストを民主主義的徳の聖像(icon)へと変身(morph)させた。・・・」(A)

 (注2)「「地の塩」とは、「地の塩、世の光」と対になっていることも多いの<だが、>・・・塩は食物の腐敗を防ぎ、光は暗闇を照らし出・・・す。塩のように世の中の腐敗を防ぎ、光のように悪の浄化する存在になるよう、イエスキリストが山上で信徒に語りかけたとされてい<る。>」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1272647322

 「それは、門戸開放政策と呼ばれた。
 そして、我々<米国人達>は、救い主・・支那の介助友人(helpmate)・・なのだった。
 ご存知のように、1930年代の米国第一の著者のパール・バック、及び、1930年代の米国第一の出版者のタイム誌のヘンリー・ルース、は新しい支那について書いた。
 もしも我々がちょっとだけもっとカネを支那に与えたら、それはキリスト教化され民主主義化されることになるのだ、と。
 この夢は実現するのだ、と。
 毛沢東がこの夢を潰し、それから30年間というもの、我々は支那との対話を止めた。・・・
 ここにおけるプロパガンダは、蒋介石によって率いられたキリスト教国支那こそ未来であったところ、毛は、単なる無頼漢(bandit)だ、というものだった。・・・」(D)

 (5)蒋介石一族の騙しのテクニック

 「何年間にもわたって、ワシントンの外交政策エリート達と迎合的なマスコミは、蒋介石と彼の肉感的な米国化した妻・・この二人を宣教師達の息子であるヘンリー・ルースは彼の影響力ある「タイム」の中で繰り返し褒め称えた・・に対する公衆の支持が形成されるのを助けた。
 他方で、何百万ドルもが蒋介石と彼の妻の<実家である>強力な宋家に気前よく与えられ、国民党が実際に日本軍と戦っているという幻影を醸成した。
 このカネは、しばしば消えてしまった。
 (我々のイラクとアフガニスタンの戦争「同盟者達」に送られてどうなったか分からないあの何十億ドルの全てのことを思え。)
 ブラッドリーが記すように、「蒋介石は外国からの戦利品を処理(handle)した」という所感について、トルーマンは、後に、「蒋介石と彼の同盟者達は盗人達だ」と叫んだ時に、同意した。
 最終的に、1949年に、米国のお気に入りの、蒋介石と国民党は、毛沢東の共産党によって敗北させられ、米国は、その変化を、ニクソンとキッシンジャーがそれぞれの秘密の旅で北京に行くまで認めようとしなかった。・・・」(B)

 (6)日本

 「米国人達は、支那の巨大な人口が欧米化され米国化したがっている、という幻想と結びつきつつ、その支那が自身の国益を有していたということを無視し、支那を誤解し誤判断してきた、というのがブラッドリーの主張(contention)だ。
 このことは、日本が、支那を統制したいと思って満州に侵攻し、米国がこの行為を侵略である、とただちに非難したところの、1931年以降において、最も明白になった。
 日米両国にとって、最大の賞金は支那だった。
 <こうして、>日本と米国は戦争への道を辿った。・・・」(B)

 「フランクリンの従兄のセオドアの日本フェチぶり(obsession)もまた、その島国とその国民への現実の親交関係(intimacy)から来たものではなかった。
  [セオドア・]ローズベルト」の<北東アジアにおける>日本版モンロー主義<の承認>は、日本がロシアを押し戻し、英米門戸開放政策を尊重し、支那が、英米海軍の活動領域(channel)として、キリスト教化し米国化するのを助けることを仮定(assume)していた。・・・
 ローズベルトは、日本的な政治的ごまかしの専門家である金子男爵<(注3)(コラム#1614Q&A、1627、3520、4466、4486、4488、4524、4669、5730)>によって売り込まれたところの、この空想的計画に乗っかった(play into)。

 (注3)1853〜1942年。「ハー<ヴァ>ード大学法学部(ロー・スクール)に入学。ハー<ヴ>ード大学入学前に、ボストンの弁護士オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア(後にハー<ヴァ>ード大学教授、連邦最高裁判事)に師事し、・・・ハー<ヴァ>ード大学入学後、小村壽太郎と同宿し勉学に励む。・・・またジョン・フィスク(ハー<ヴァ>ード大学哲学教授)にも個人的に教示を受け<て>・・・いる。・・・在学中に大学のOBである、セオドア・ルーズベルトと面識を得る。・・・ハー<ヴァ>ード大学を卒業し法学士 (Bachelor of Laws) の学位を受領。・・・伊藤博文のもとで井上毅、伊東巳代治らとともに大日本帝国憲法・皇室典範、諸法典の起草にあたる。のちに憲法制定の功績により男爵とな<り、また、>・・・ハー<ヴァ>ード大学から憲法制定等の功績により名誉法学博士号(L.L.D)を受けている。・・・<後に、>子爵に叙爵される。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A0%85%E5%A4%AA%E9%83%8E

⇒金子はそんなケレン味のある人物ではありません(上掲)し、日本版モンロー主義を売り込んだのはローズベルトの方です(コラム#4466、4486)。
 ブラッドリーは錯乱状態でこの本を書いたのか、と言いたくなります。(太田)

 金子は、テディ<(セオドア)>とハーヴァードの<紋章の>浮彫を共有しており、この身びいきは、例えば、それが日本の得になるのであれば、<セオドアをして、>朝鮮を、朝鮮にとって惨めにも、喜んで売り渡せしめることも可能であったところ、<彼は、>事実そうしたのだ。・・・」(A)

⇒この嫌味たっぷりの筆致は、少なくとも錯乱ではなく、単に、ブラッドリーがハーヴァード大に対して抱いている学歴コンプレックスがしからしめたのでしょうね。(太田)

 「日本が真珠湾を攻撃したことについては、事実上全ての米国人が、当時も今も、それは、無辜の米国に対する、汚い、正当化できない攻撃であった、と信じている。
 ナチスによる欧州における諸征服に対してははるかに少しの憂慮しか抱いていなかったところの、大部分の米国人達は、「ジャップ達」が、フランクリン・ローズベルトの「汚辱の日(Day of Infamy)」である12月7日<(米国時間)>にしでかしたことについて、憤激した。
 それは、(著名人物達中、ごくわずかの、ノーマン・トーマス(Norman Thomas)<(注4)>、ロバート・タフト(Robert Taft)<(コラム#6206、6383)>、J/エドガー・フーヴァー(J. Edgar Hoover)<(コラム#4952、4945、4989、6214)>、等、だけが反対したところの、)米国の西海岸のニセイとイッセイを西部の砂漠の収容所群に収容すること、残忍な太平洋戦争を戦うこと、及び、日本の市民達に向けられた二つの核爆弾群によってそれを終わらせること、の道徳的かつ法的な正当化をもたらした。

 (注4)1884〜1968年。米国の長老派の牧師にして、社会主義者、平和主義者。6度米社会党の大統領候補になった。プリンストン大卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Norman_Thomas

 長年にわたって、ブラッドリーのような著述家達は、米国ではなく、日本のみが、戦争を引き起こし、拡張主義的な軍国主義国家で、その支那における指導的役割を放棄せよとの米国の諸要求を受諾するとの妥協を拒んだ、との支配的なコンセンサスに挑戦してきた。
 ブルース・M・ラセット(Bruce M. Russet)<(注5)>の殆んど忘れられてしまった1971年の本である、『明白かつ現在の危険の不存在--米国の第二次世界大戦への懐疑的な見解(No Clear and Present Danger: A Skeptical View of the U.S. Entry into WWII)』の中で、そうではなく、(英国、オランダと協調しての)石油や諸原料の、これらのどれも持っていなかった日本への諸禁輸は、戦争の到来に著しく貢献したとし、「日本にとっての原料の欠乏の脅威は明白であり、諸禁輸は、日本を、意図していたところの屈服ではなく、米国との戦争へと駆り立てることとなったエスカレーションだった」、とラセットは結論付けた。・・・

 (注5)1935年〜。「<米>国の国際政治学者。<エ>ール大学国際関係論・政治学教授。・・・ウィリアムズ大学およびケンブリッジ大学卒業後、<エ>ール大学大学院で博士号取得。学術雑誌Journal of Conflict Resolution 誌の編集長を1972年から2009年まで務めた。「民主主義国は互いに戦争することが少ない」という民主的平和論(democratic peace)の代表的論者。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88

 驚くべきことに、ブラッドリーは、ローズベルトも彼の国務長官であったコーデル・ハル(Cordell Hull)<(コラム#530Q&A、625、1384、1385、2428、3780、3782、3789、3794、3944、3958、3966、3968、3978、4163、4193、4372、4699、4777、4779、4937、5069、5102、5161、5455、5908、6270、6280、7592、7737)>も、アチソン一派(Acheson & Company)が一方的に石油の諸輸送を停止していた<(注6)>こと・・日本人歴史家の入江昭(Akira Iriye)は、それは、「日本に巨大な心理的衝撃を与え」、日本政府が開戦という自殺的決定を行うことへと直接的に導いたと1981年に結論付けた・・を知らなかったということ、を明らかにしている。・・・

 (注6)「1941年には経済担当国務次官補に・・・任命され1945年8月まで同職を務め」たディーン・アチソン(Dean Gooderham Acheson。1893〜1971年)が、独断で、「1941年(昭和16年)8月<に>石油の対日全面禁輸」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2
に踏み切ったということか。

⇒下僚の行った下剋上の結果を政府が後で黙認する、というのは、何も戦前の日本政府の専売特許ではなかった、ということが分かりますね。(太田)

 <なお、>仏領東南アジア及び蘭領インドネシアの日本による席巻は、米国の工業に薪をくべていたところの、ゴム、錫、タングステンの喪失をも意味していた・・・。
 ブラッドリーの諸主張の幾許かは、既に、部分的にジョージ・ヘリング(George Herring)<(コラム#2937、2942、3066、3314)>の『植民地から超大国へ(From Colony to Superpower)』の中で認められていた。
 すなわち、「[我々は、]自負心ある国を、その選択が戦争か降伏かしかない立場に追い込んだ」、と。
 <また、>ジョン・トーランド(John Toland)<(コラム#3359、6308、7067)>の評決は、「基本的な米国の諸国益にとって枢要ではない問題・・支那の福祉・・を、最終的に、その外交政策の要石にしたことが、重大なる外交的しくじり」を可能にした、というものだった。
 (今日の、米国の、ウクライナへの深まるばかりの関与を思え。)
 実際、ジョナサン・マーシャル(Jonathan Marshall)の『持つことと持たざること(To Have and Have Not)』<(注7)>は、祖父の支那への熱情を承継したローズベルト、及び、彼の、蒋介石寄り、かつ、反共主義、の補佐官達は、そのような政策が戦争をもたらすかもしれないということを声高に言うことが決してないまま、東南アジアにおける諸原料やシーレーンの喪失は米国として耐えられない、との基本的命題」について意見の一致を見ていた、と記した。・・・」(B)

 (注7)To Have and Have Not: Southeast Asian Raw Materials and the Origins of the Pacific War(1995年)
http://www.librarything.com/work/2304001/reviews/10860137
 マーシャルは、この他にも多彩かつ多数の著書を出している
http://www.librarything.com/author/marshalljonathan
が、いかなる人物であるかは分からなかった。

 (7)フランクリン・ローズベルト

 「フランクリン・ローズベルトの東アジア政策は、ファベルジェの卵(Faberge egg)<(注8)>と同じ位複雑な物語だが、ブラッドリーはそれを落ち着き払って取扱う。

 (注8)「ファベルジェ家によ<る、>[貴金属や宝石を用いて作られた]イースター・エッグ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B0
 ファベルジェ家当主のピーター・カール・ファベルジェ(Peter Carl Faberge。1846〜1920年)の父系の先祖の「一族はユグノーで、・・・ナントの勅令が破棄された際にフランスから脱出し・・・<最終的に>ロシア地域に移住した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7 ([]内も)

 彼の<指摘中の、とりわけ>目立つ点は、諸幻想と諸妄想が公共領域における大災厄へと導いたところ、意思決定者の諸頭の中にこれらの諸幻想/諸妄想を醸成することとなる、(イデオロギーから汚い儲け(lucre)に至る既得諸権益を持った)人々が常にいた、というものだ。
 フランクリン・ローズベルトの場合もそうだったのであり、支那で生まれ漢語に堪能な、国務省の古き支那組たるジョン・デイヴィーズ(John Davies)<(注9)>は、ローズベルトは、「支那について、本質的には無知なのに自分の意見に固執する。ローズベルトは、支那の諸現実を無視した(override)ところの、諸物事の仕組み(scheme)の中における、支那が占めるべき場所に係る<確固とした>概念、を持っていた」、と記した。

 (注9)1938〜2015年。ウェールズの、ウェールズ語を用いたところの、歴史学者、TV/ラジオ報道者。University College, Cardiffとケンブリッジで学ぶ。
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Davies_(historian)

 それは、彼の母親が抱いていた、偉大なるキリスト教化された地<である支那>、というイメージだった。
 しかし、日本の<支那>占領軍が彼らの敵対者を粉砕しつつあった時、ローズベルトは、この侵攻者達への鉄鋼と石油の供給を絶つことを、日本がインドネシアのオランダに矛先を転じ、太平洋戦争を勃発させることを心配して、<一旦は>拒否している。
 <また、>彼は、とりわけ、蒋が毛と同盟関係にあるかのように装ってからというもの、大変な民衆の支持があった無宗教者で一度ならず米国と仕事をしたいというジェスチャーを見せていたところの、毛ではなく、善き南部メソジストたる大元帥の蒋を支持することにした。
 <米国の>種々の行政府の諸機関のローズベルトへのご注進競争は不協和音を奏でつつ激しいものがあった。
 ローズベルトを取り捲いて、支那ロビイストである、宋子文(T. V. Soong)<(コラム#178、179、2675、4978、5050)>、フェリックス・フランクファーター(Felix Frankfurter)<(コラム#3543、4932、5363)>、ロシュリン・クリー(Lauchlin Currie)<(注10)>、ヘンリー・スチムソン(Henry Stimson)(コラム#2498、3796、4464、4671、4923、5148、5153、6212、6305、7632)>、トミー・コクラン(Tommy Corcoran)<(注11)>、(当時、宋--蒋情宣シンジケートのために働いていた)セオドア・ホワイト(Theodore White)<(コラム#4705、6269)>・・全員がハーヴァード出・・といった、(ハーヴァード出でもある)若き目立ちがり屋(hotdog)達が、行政府全域に散らばっていた。

 (注10)1902〜93年。カナダ生まれの米国の経済学者。1939〜45年の間大統領経済補佐官。カナダの大学、英LSE、ハーヴァードで学び、ハーヴァードで博士号。共産主義者であるとの嫌疑をかけられ、晩年はコロンビア国籍となった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lauchlin_Currie
 (注11)Thomas Gardiner Corcoran(1900〜81年)。ニューディール期及びその後の米大統領の助言者。ブラウン大卒、ハーヴァードロースクール卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Gardiner_Corcoran

 それは、「蒋」対「<まともな>外交」だったのであり、結局、支那ロビーによって売り込まれたところの、みせかけだけの宇宙の総体を鵜呑みにした、米行政府内の蒋派が勝利を収めた。
 この大統領の最初の経済補佐官となったところの、「ローズベルトの支那における交渉人(point man)」のロシュリン・クリーには、「蒋介石の戦争は、日本人達に対するものではなく毛に対するものである、という観念がなかった…。蒋の権力は、野蛮人<たる米国人達>による支援金を同盟者達である軍閥達に送り込むことに立脚していた<、という観念も・・>。」
 当時、米外国ファンド統制委員会(Foreign Funds Control Committee)にいた、ディーン・アチソンがローズベルトの梯子を外して自分一人で戦争を始めた、という話は、それだけでも、この本を買う値打ちがあるというものだ。・・・」(A)

 (8)数少ないまともな米国人達

 「戦後の軍人達は、<支那について、>より明確な絵を抱いていた。
 すなわち、その理由は、彼らが現地におり、経験ある人々の諸声に耳を傾けたからだ。
 支那戦域司令官の(、しかも漢語を話すことができた、)ジョゼフ・スティルウェル(Joseph Stilwell)<(コラム#5716、6342、6344、6350、6391、6413、7177)>大将は、その絵を以下のように要約した。
 「我々の同盟国である支那は、一党制の政府によって運営され、ゲシュタポによって支えられ、教育を殆んど受けていない偏頗な男を頭目としている」、と。
 彼は、毛について語っていたのではない。・・・」(A)

⇒ブラッドリーは、蒋介石がファシストであった、とのスティルウェルの見解に全面的に同意しているわけです。(太田)

 (9)戦後の米国

 ジョゼフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)<(コラム#313、2428、3148、3423、4055、4060、4150、4839、4932、4942、5182、6350、6407)>上院議員のような影響力ある有名人達(luminaries)がチアリーダー達となって、<戦後の>米国のこの地域に対する外交政策は、敵か味方かという攻撃的なスタンスをとるに至った。
 マッカーシーいわく、「共産主義者達とホモ達が4億人のアジアの人々を無神論の奴隷制へと売り払った」。
 (歴史は、彼が彼ら全員の名前を一覧表で持っていたのかどうかを我々に教えてはくれない。)
 アチソン、チャールズ・ボーレン(Charles Bohlen)<(注11)>、そして、ジョン・マクロイ(John McCloy)<(コラム#2498、3423)>・・ハーヴァードばっかしだ・・といった、我々の殺人的な冷戦封じ込め政策の起案者達は、ローズベルトの自分の意見に固執する無知という有利な立場から政策を起案し続けた。

 (注11)Charles Eustis “Chip” Bohlen(1904〜74年)。「<米>国の外交官(1929年 - 1969年)。ソ連専門家として第二次世界大戦前及び大戦中にモスクワで勤務し、ジョージ・F・ケナンの後任の駐ソ大使(1953年 - 1957年)。のち、駐比大使(1957年 - 1959年)、駐仏大使(1962年 - 1968年)。」ハーヴァード大卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3

 現在では、中共の金融に大変なお世話になっている(deep in Chinese banking pockets)というのに、我々は、支那について、ローズベルトの母親と殆んど変わらない程度の所見(perspective)しか持っていない。
 ブラッドリーは、彼の荒れ狂う批判にもかかわらず、この批判のうちのいかなるものについても、それを行ったことで、独りよがりの愉楽などに耽ってはいない。
 彼は、鋭敏(sharp)であって悲嘆にくれつつ、我々の東アジアとの国際関係について、より熟練した、建設的なヴィジョンを持て、と声をあげるのだ。」(A)

 「ブラッドリーは、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、という予防可能であった2つの戦争は、どちらも、支那についての理解の欠如の結果である」、と述べる。

⇒ここは、字面だけで言えば、当たっています。(太田)

 支那についての真のイメージについて問われたブレッドリーは、支那「は、興隆しつつある第三世界の国ではないのであって、」支那は、歴史を通じて一番の国だったのだから、「彼らの通常の地位に戻りつつあるだけだ」、と述べた。・・・

⇒ここも、字面だけで言えば、(支那の経済力に関しては、)当たっています。(太田)

 <「支那という>駆動体がどこに向かいつつあるのかを眺める代わりに、我々は、支那がどう生きて欲しいかを議論しているが、これは結局は米国を傷付けることになるだろう。我々は橋を何本もかけなければならない。米国が支那の文化をよりよく理解(appreciate)できるようになるためには、米国の学生達を支那に送ることが急務だ」、とブラッドリーは述べる。・・・

⇒ブラッドリー自身、支那がどこに向かいつつあるのかに言及していない、ということは、まさか、中共が、単に経済力が世界で一番だった時の支那に戻ろうとしているとは考えられないところ、彼にも支那がどこに向かいつつあるか分かっていないのでしょうから、それを彼以外の米国人に求めるのは無理、と言うものです。
 また、いくら米国の学生を中共に送り込んだところで、日本を属国化し、戦後一貫して多人数の米国人を米兵として日本に駐留させてきておりながら、日本について全く理解できず、それが故に、日本化戦略をとってきた中共についても全く理解の埒外にあることからして、何の役にも立たないことでしょう。(太田)

 ブラッドリーは、支那が東アジアにおいて軍国化し攻撃的である、との観念を一笑に付す。
 米国こそが、現実に、「その境界を米国の西海岸から支那にまで動かしているのであり、米軍こそが支那を包囲している」、とも述べる。
 支那の現実は全く米国のマスコミに載らない一方で、軍国化した支那、大気汚染の支那、脅す支那、といった否定的な衝撃的な諸物語だけが載る」、とも。・・・」(E)

⇒ここは、ブラッドリーの言う通りです。(太田)

3 終わりに

 結局、時間がなくなってしまったこともあり、投稿集(C)とD中の投稿部分、からは逐語訳的な引用はしないことにしました。
 投稿の中では、私が引用しなかった部分でのブラッドリーの(結論に影響はしないけれど)かなり大きな事実の誤りを指摘した台湾人による投稿、パール・バック評価が厳し過ぎるとの投稿・・私はマクロ的にはブラッドリーの言う通りだと思います・・、米国がキリスト教国であることを宣明したのは戦後ではないかとの投稿・・宣明するもしないも、米国は、建国以来、一貫してキリスト教国、というかキリスト教に毒された国であり続けて現在に至っている、と私は考えます・・、ヴェトナム戦争の原因はもっと複合的だったのではないかという投稿・・ここはブラッドリーの肩を持ちたいですね・・、が印象に残っています。
 肝心なことは、ブラッドリーの結論に正面から異を唱える投稿がほぼ皆無であったことです。
 つまり、ブラッドリーや米国のまともな連中は、太平洋戦争における日米の帝国主義的同等性までは、どうやら受忍できるようになったらしい、ということが分かります。
 
 ここで、若干の補足をしておきます。
 ブラッドリーは、太平洋戦争についての、このような、歴史修正主義論者ないしその著書を複数あげていますが、その中に、私自身が邦訳で読んで印象に残っている、下掲の2人ないしその著書が入っていません。

一、大戦中米下院議員であったハミルトン フィッシュ(Hamilton Fish。1888〜1991年)が『日米・開戦の悲劇―誰が第二次大戦を招いたのか(Tragic Deception: FDR and America's Involvement in World War II)』(1983年)の中で、「1941年11月26日<ロ>ーズベルトは、日本に・・・最後通牒(ハルノート)を突き付けた。これにより、日本は、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかった・・・。この最後通牒は、米国議会、米国民には、全く、知らされていなかった。」という趣旨の指摘を行っている。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E3%83%BB%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E2%80%95%E8%AA%B0%E3%81%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%82%92%E6%8B%9B%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4569565166
https://en.wikipedia.org/wiki/Hamilton_Fish_III
二、米東洋史・地政学者であったヘレン・ミアーズ(Helen Mears。1900〜89年)が『アメリカの鏡・日本(Mirror for Americans: JAPAN)』(1948年)の中で、「前近代までの日本の歴史を振り返ると、同時代のどの欧米諸国と比較しても平和主義的な国家であったといえる。開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、国際社会において欧米先進国の行動に倣い、「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだった。以後の好戦的、侵略的とも見える日本の行動は、我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された鏡といえる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%8F%A1%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC
という趣旨の指摘を行っている。

 その理由は、想像するに、一に関しては、著者が結構有名な人物でウィキペディアもあるのだけれど、この本を書いた時点が戦争から時間が経過し過ぎていて、内容的に目新しい話が出てこなかったからでしょう・・現に、ウィキペディアにはこの本のタイトル等は出て来るけれど、内容については全く言及がない・・し、二に関しては、無名に近い人物でウィキペディアもない上、太平洋戦争が日米(等)間の帝国主義戦争だった、つまりは、どっちもどっちだった、というところまでは受忍できるのだけれど、日本に欧米に比して文明的優位があることを認めるかのように読める点は論外だ、とブラッドリーが思ったからではないでしょうか。

 私の言いたいことはこうです。
 戦後70年経って、ようやく、ブラッドリーも米国民中の比較的まともな連中も、太平洋戦争における日米両帝国主義の同等性という観念までは受忍できるようになったものの、日本の文明的優位性などという観念は依然論外であって、優位を認めれば、究極的には、同等性すら誤りであって日本の方にこそ大義があったのではないか、という判断にだって到達し得るのだけれど、そんなことは、彼らには到底望むべくもないのです。
 そんなブラッドリーは、太平洋戦争が日本との戦争であったにもかかわらず、同等性のところでもって判断を停止してしまい、この同等な戦争において、米国は、蒋介石と毛沢東のどちらと連携して日本と戦うべきであったか、という、いわばどうでもよい議論を中心に据えてこの本を書いてしまったわけです。

 少し前に(コラム#7803で)、今回の「「講演」テーマ<は>、かみ砕いて言えば、・・・太平洋戦争<は、>・・・(キリスト教の新教たる)プロテスタント文明である米国文明/蒋介石一家と人間主義文明である日本文明との戦いであった・・・です」と記したところですが、そのことも念頭に置き、皆さんに、太平洋戦争とは何だったかについて、本日の以上の話も踏まえて、改めて、所見なり感想なりを自由に述べていただきたいと思います。
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太田述正コラム#7808(2015.7.25)
<2015.7.25東京オフ会次第(その1)>

→非公開

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