太田述正コラム#7590(2015.4.7)
<『大川周明--アジア独立の夢』を読む(その2)>(2015.7.23公開)

⇒大川周明については、これまで何度も言及してきた(コラム#211、219、221、4157、4376、4952、5139、5188、5864、6242、6313、7250、7325、7443、7445)・・この中には、MHさんのみが彼に言及したケースも入っています・・けれど、まともに紹介したことがないところ、彼は、次のような人物です。
 1886〜1957年。「荘内中学(現山形県立鶴岡南高等学校)、第五高等学校を経て、東京帝国大学文科大学卒(印度哲学専攻)。・・・荘内中学時代は、庄内藩の儒者・・・宅に下宿し、このときに漢学の素養を身につけた。大学時代は宗教学を学ぶ中で「マルクスを仰いで吾師とした」・・・。その後、キリスト教系の新興宗教団体「道会」に加入。・・・
 大学卒業後、インドの独立運動を支援。・・・また、イスラム教に<も>関心を示す・・・
 1918年(大正7年)には満鉄に入社<し、>・・・東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務<する>。・・・
 <そして、>ルドルフ・シュタイナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC (注1)>
の社会三層化論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%89%E5%B1%A4%E5%8C%96%E8%AB%96
を日本に紹介もし・・・<たが>、学生時代に参謀本部でドイツ語の翻訳をしており、宇垣一成、荒木貞夫、杉山元、建川美次、東条英機、永田鉄山、岡村寧次らと知己があった。・・・

 (注1)シュタイナーに関する日本語ウィキペディア(URLは下掲)には、大川周明に対する言及がない。
 なお、シュタイナーは、「超感覚<を>誰しもが潜在的に持って<お>・・・り、・・・瞑想や思考の訓練によって<この感覚を>引き出すことができる<、また、>・・・精神生活においては「自由」を、法生活(政治)においては「平等」を、経済生活においては「友愛」を原則として、この3つが有機的に結びつくことが健全な社会のあり方であると説いた」(上掲)というが、私には、彼が、人間主義的なものが潜在的に人間に備わっていて、それが「友愛」的なものである、ということを直観的に見抜いていたように思われてならない。

 <その後、>1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。・・・
 <その間、>三月事件・十月事件・血盟団事件など殆どの昭和維新に関与し、五・一五事件でも禁錮5年の有罪判決を受けて服役。・・・北守南進を主張<するに至っ>たが、それはあくまでも「日中連携」を不可欠のものとしており、日中間の戦争を望むものではなかった。・・・太平洋戦争については、「最後の瞬間までこの戦争を望まず、1940年に、日本がもっと準備を整える時まで、戦争を引き延ばそうと努力した」・・・
 戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された<が、>・・・精神異常と判断<され>、・・・裁判から除外<され>た。・・・<精神病院>入院中、・・・<コーラン>全文の翻訳を完成する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E 
 つまり、大川は、儒教、仏教、マルクス主義、キリスト教、イスラム教を、ほぼこの順番に学び、(儒教の)支那、(仏教を生んだ)インド、(イスラム教の、そして、キリスト教を生んだ)中東、ひいてはアジア一般、に多大な親近感を抱いた人物であった、ということになりそうです。
 ここで一つ疑問が湧きます。
 大川が、語学に長けていた・・少なくとも、彼の経歴や関心からして、漢語、英語、サンスクリット/パーリ語、及びアラビア語は身に着けていたはず(キリスト教にも関心はあったらしいが、そのためにヘブライ語/アラム語とギリシャ語まで身に着けたとまでは考えにくい)・・としても、一体どうして、高度なアルバイトができるほどドイツ語まで熟達したのか、です。
 というのは、仏教研究なら、欧米では、ドイツは英国に及ばない
http://www.ut-life.net/study/kouki/department/indian_philosophy/
ので英語で足りたはずですし、イスラム研究なら、欧米では、ドイツは、イスラム圏に植民地を持たなかったせいもあり、英国、フランスの後塵を拝していた
http://en.wikipedia.org/wiki/Islamic_studies
ので、英語とせいぜいフランス語で足りた、すなわち、彼が熟達すべきはドイツ語ではなくフランス語であったはずだからです。
 私の想像ですが、語学に長けていた大川は、マルクス主義・・彼の関心は宗教にあった中では異質・・文献をドイツ語で読もうとし、ドイツ語まで熟達するに至った結果として、ドイツの同時代の最新の思潮にも触れることになったのではないでしょうか。
 その結果、大川はシュタイナーの思想に出会い、その思想には仏教に通じるものがある、と考え、日本に紹介したいと思った、と見るわけです。
 蛇足ながら、大川が、どうして、故郷に近い仙台の2高
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A7%E5%88%B6)
ではなく、遠く離れた熊本の5高
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A7%E5%88%B6)
に入学したのかも私には興味があるところ、単に入学がより容易だったからである可能性が大です。(太田)

(続く)