太田述正コラム#7570(2015.3.28)
<『チャイナ・セブン』を読む(その3)>(2015.7.13公開)

 「習近平は今「社会主義的核心価値観」を「大衆路線」を通して必死になって喧伝している。その文書には「信仰」という言葉さえある。ほとんど宗教に近いほどの中国共産党に対する崇拝を13億の民に強要できるはずがないとは思うし、政治体制改革がなければ中国共産党の一党支配は、いずれは崩壊する。習近平が一方では激化させている言論弾圧は、「中華民族の偉大なる復興」という言葉で人民を麻痺させて、共産党肯定という枠内での言動を「自由」に認め、それを「民主」と定義する作業である。
 筆者はこれを新たに「信仰型共産主義」と定義したい。そのなかでの「共富」を目指していこうという「壮大な」実験を、習近平はしようとしていることになる。・・・
 筆者は、習近平を〈紅い皇帝〉と呼びたい。」(19〜21)

⇒チャイナ・セブンの代表者たる習近平ではなく、習近平体制ですらなく、習近平個人をクローズアップする遠藤の齟齬がこのくだりにもはっきり表れていますが、文中に登場するところの、かくも重要な「文書」の正体がどこを探しても見当たらないことは理解に苦しみます。
 「今回のは余り出来の良い著書であるとは言え<ない>」、と最初に申し上げたゆえんです。
 彼女が、状況証拠から、習近平体制の対中共人民情宣の肝が「社会主義的核心的価値観」であるとの心証を得たのだとすれば、同じく、状況証拠から、それを「人間主義的核心的価値観」だとする心証を形成するに至ったところの、私の説とどちらがよりもっともらしいか、ということになります。(太田)

 「2012年11月の第18回党大会の初日、胡錦濤は「腐敗を撲滅させなければ、党が滅び、国が亡ぶ」と中共中央総書記として最後の言葉を残し、最終日に総書記に選ばれた習近平も、ピッタリ同じ言葉を叫んだ。」(27)

⇒胡錦濤も習近平も、(そして遡れば江沢民も、)トウ小平が敷いた路線を忠実に踏襲していることが、こういったところからも明らかです。(太田)

 「崩壊原因となり得るのは腐敗だけではない。これが共産主義の国家なのかと思われるほどの貧富の格差、利権を重んじたための環境汚染、公安司法を党が指導することによって招いた民衆の憤り、そして銭に向かって進んできた改革開放後の30数年間が人々から奪ってしまった道徳心…、崩壊要件は数え上げればきりがない。」(28)

⇒1941年に満州に生まれ、1953年に帰国した遠藤が、(「環境汚染」を「汚さ」と言い換えれば、それを含め、)腐敗、巨大な貧富の格差、汚さ、不公正な公安司法、道徳心の低さ、が、政府のいかんを問わず、古来から支那の「要件」ならぬ「宿痾」であったことを知らないはずがないのに、異なことを承るものです。
 私見では、習近平体制は、中国共産党支配の崩壊を回避させるためというよりは・・もとより、中期的には回避する必要があるわけですが・・、これら古来からの支那の宿痾の抜本的除去を、日本の人間主義を人民に普及させることで実現しようとしているのです。(太田)

 「習近平の・・・両親が囚われの身となって子どもたちだけになってしまった・・・ときに、・・・母親の代わりをして一家の面倒を見てくれた・・・姉の齋橋橋<は>・・・中国返還前の香港で手広く事業展開していた夫の金を元手に不動産開発等、10数個の事業に手を出している。そこで不正があったわけではないが、習近平は自分の出世の障害要因になるといけないという理由から、姉に事業から手を引くようお願し、姉は2007年末から2012年にかけてほぼすべての事業から手を引いている。ということは、習近平は国家副主席になったときに(正式には2008年3月)、すでに5年後には国家主席になると分かっていたということだろう。・・・
 姉は、弟・・・に迷惑がかかると可哀想だと思い、その後カナダ国籍を取り、移民している。」(42〜43)

⇒何度も言っているように、習近平だけに焦点を当てすぎではある、ここは面白いですね。
 習が、いかに、用意周到な人物であるかを示しているからです。
 私は、彼が自分の一人娘を米国に留学させたのと同様、姉もカナダに移住させたのだと思います。
 その目的は、万が一自分が失脚した場合に、姉や娘を守るためであると同時に、自分自身ないし自分の妻が亡命する先を二重に確保するためでしょうね。(太田)

 「薄熙来・・・は、<習仲勲と>同じく反革命分子として批判の対象になった父親の薄一波に対し、大衆の面前で自ら殴る蹴るの暴行を加え、あお向けに倒れた父親の胸めがけてジャンプし、肋骨を3本もへし折ったことで有名だ。その薄一波は、こんな我が子を見て「これでこそ、未来の指導者になる器を持っている」と高く評価し・・・ていたというから、「紅二代」を指導者争いで勝ち抜かせようという執念はすごい。」(44)

⇒ここは、他人の本からの引用なので典拠が書いてありますが、できれば、同様のことを、遠藤自身による記述の典拠も、(必要に応じてぼかしていいので、)付けて欲しかったところです。
 なお、薄一波・熙来父子と習仲勲・近平父子を比べると、これらの断片的な挿話だけからも、後者の相対的なまともさが伝わってきますね。
 (ここで技術的なことを申し上げておきます。
 この本の中で、「習仲勲」を「習仲勋」と、しかも最後の字の「勋」の偏を「員」と、表示しているのは一貫性がなさ過ぎです。
 簡体字ならば、「习仲勋」だからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E4%BB%B2%E5%8B%B2
 私は、この本の中で登場する簡体字ないし簡体字的な字は、全て繁体字に書き換えて引用しています。)(太田)

(続く)