太田述正コラム#7552(2015.3.19)
<チョムスキーの米人種主義糾弾>(2015.7.4公開)

1 始めに

 本日、「ディスカッション」では取り上げなかったところの、2件中の最初の1件を、まず、ご紹介しましょう。
 ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)<(コラム#2541、3596、3631、4242、5179、7528)>は、米国を全否定しており、さすがの激しい米国批判者たる私でさえついていけないところがある人物です・・そんな米国に、彼、よくもまあ住み続けているもんだ、と言いたくなります・・が、このインタビュー 
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/03/18/noam-chomsky-on-the-roots-of-american-racism/?ref=opinion&_r=0
の中で、彼が展開する、米国の人種主義批判には傾聴させるものがある、というか、この種の話は、日本人は、とにかく、常に反芻を続けるべきである、と思った次第です。

2 チョムスキーの米人種主義糾弾

 「・・・当時の指導的な経済学者達によって生み出され、発展途上の面々に対してしかつめらしく教え諭されることでお馴染みの「健全なる(sound)経済学」の諸原則を米国が頭から拒否することで生み出されたことはよく知られている、いや、よく知られなければならない。
 <つまり、>新しく解放された<旧英領北米>諸植民地は、イギリスの模範に従って、生まれたばかりの工業・・最初は繊維、その後は鉄、その他・・を保護するための諸高関税を含む、経済への甚だしい国家介入を行ったのだ。

⇒このことを知らない日本人が意外に多いことには驚きます。
 それどころか、英国や米国が、自由貿易の旗手であった、と思い込んでいる人が少なくありません。(太田)

 実はもう一つ、「仮想(virtual)関税」があった。
 1807年に、ジェファーソン(Jefferson)<(コラム#225、503、518、811Q&A、1630、1763、2074、2077、2492、3028、3374、3452、3665、3687、3715、3802、3863、4111、4463、4591、5830、5832、5836、5844、5846、5850、5878、5941、6079、6279、6291、6448、6492、6548、6960、7038、7082、7093、7125、7403、7455、7492)>大統領は、外国からの奴隷の輸入を禁止する法案に署名した。
 彼の州であるヴァージニア州は、米国で最も豊かで最も強力な州であり、もはやそれ以上奴隷達を必要としていなかった。
 むしろ、同州は、この貴重な商品を南部の拡大しつつある奴隷諸領域のために生産し始めていた。
 これらの綿摘み機械群の輸入禁止は、かくして、ヴァージニア州経済に相当の後押しとなったのだ。
 それは理解できることだった。
 奴隷輸入業者達を代弁し、チャールズ・ピンクニー(Charles Pinckney)<(注1)>は「ヴァージニア州は諸輸入を止めることで裨益するだろう。同州の奴隷達の価値は高くなり、同州は自分が欲する以上のものを得ることだろう」、という突撃(charge)を行ったものだ。

 (注1)1757〜1824年。米憲法署名者の一人にして南カロライナ州知事、米下院議員。
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Pinckney_(governor)

 こうして、まさに、ヴァージニア州は、拡大しつつあった奴隷社会への奴隷の主要輸出者になったのだ。・・・
 ご立派なことに、ジェーファーソンは、少なくとも、彼自身が関係者であったところの、奴隷制が「最も持続的な(remitting)専制であるとともに、最も不面目(degrading)な従属」であることを認識していた。
 そして、ワシントンにあるジェファーソン記念館は、彼の「神は正義(just)であって、彼の正義の処断(justice)が永久に実行されない(sleep)ことなどありえない、ということを考えると、私は、まさに、この私の国のために戦慄を覚える」、という言葉を展示している。
 この言葉は、ジョン・クィンシー・アダムズ(John Quincy Adams)<(コラム#1472、1630、3028、3802、6960)>の、それと瓜二つであるところの、建国期の何世紀にも及ぶ犯罪・・「それに対して、私が信じるに、神がいつの日か審判を下されるであろうところの、この国(nation)の凶悪な諸原罪中の…かくも無慈悲かつ不実なる残酷さでもって我々が絶滅させつつあるアメリカ原住民達という不幸な人種」の運命・・についての諸省察、とともに、我々の意識に銘記されなければならない。・・・
 最も役に立つ神話群は早期に流布し始め、今日に至るまで続いている。
 初期の神話群の一つは、インディアン達のキリスト教への改宗は「この農園(plantation)<設立>の第一の目的(principal end)である」、と宣言したところの、イギリス国王がマサチューセッツ湾植民地に1629年に与えた勅許状だ。
 この植民者達は、さっそく、一人のインディアンが平和の徴として下向きにした槍を持っていて、その口からは、植民者達に対して「やってきて我々を助けてくれ」と懇願する文句が吐かれているところの、この植民地の大印章(Great Seal)を作った。
 これぞ、「人道的介入」の最初の事例だったのかもしれないが、奇妙にも、同じようなことが、<その後、>何度も起きることになるのだ。・・・
 米国の初代の陸軍長官のヘンリー・ノックス(Henry Knox)<(注2)>将軍は、原住民のインディアンにとってメキシコとペルーの征服者達のふるまいよりも、もっと破壊的な[手段による]徹底的な(utter)米国(Union)の最も人口の多い諸部分における全インディアン達の根絶(extirpation)」と描写した。

 (注2)1750〜1806年。ボストン市内で書店を経営しながら独学で軍事等を学んだ。米独立戦争で活躍。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

 ノックスは、それに続けて、「未来の歴史家達は、この人種の破壊の諸原因を非常に濃い諸黒色で記述する(mark)かもしれない」、と警告した。
 英雄的なヘレン・ジャクソン(Helen Jackson)<(注3)>のように、小数の、いや極少数の、それをやった人々がいた。

 (注3)Helen Maria Hunt Jackson。1830〜85年。詩人、著述家、インディアン取扱い改善活動家。
http://en.wikipedia.org/wiki/Helen_Hunt_Jackson

 彼女は、1880年に「反故にされた諸条約、及び、自分達の国を愛する者達の頬を恥で赤く染めるところの、非人道的な暴力諸行為、の悲しき暴露」の詳細な物語<(注4)>を提供した。

 (注4)'A Century of Dishonor'のことではないかと思われるが、出版されたのは1881年。
http://en.wikipedia.org/wiki/A_Century_of_Dishonor

 ジャクソンの<この>重要な本は殆んど売れなかった。
 「過去4世紀間の白人ないし欧州の血統の人々の拡大…はこの拡大が起った場所に既に住んでいた人々の大部分にとって永続的な便益を孕んできた」・・<実際のところは、>これらの人々は、明白に(notably)、「根絶され」、或いは零落と悲惨さへと追いやられた・・と説明したセオドル・ローズベルト(Theodore Roosevelt)<(コラム#624、1473、1614、3450、3473、3574、3586、4381、5081)>への人々の贔屓によって、彼女は無視され放逐された。
 国民的詩人であるウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)<(注5)(コラム#4860)>が、「くろんぼ(nigger)は、インディアン野郎(Injun)のように、一掃(eliminate)されることだろう。それは、諸人種、ないし歴史の法則なのだ…より優れた品質のネズミ達がやってくれば、全ての劣ったネズミ達は取り除かれる(clear out)ものなのだ」、と書いたのは、<当時の米国人の>一般的理解を捉えたものなのだ。・・・」

 (注5)1819〜92年。「<米>国の詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

3 終わりに

 コメントは必要ないでしょう。
 嫌悪感だけです。