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太田述正コラム#7486(2015.2.14)
<オンリー・イエスタデー:米国の黒人虐殺(その2)>(2015.6.1公開)

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<参考1:FBIによる黒人作家監視>

 「1919年・・<エドガー・>フーヴァー(Hoover)<(コラム#3775、4555、4942、4945、4989、5317、6214)>のFBIにおける最初の年であるとともに、ハーレム(Harlem)ルネッサンスの最初の年・・から1972年・・フーヴァー死去の年であるとともに、ナショナリスト的な黒人諸芸術運動の頂点の年・・に至るまで、FBIは、米全国的に著名なアフリカ系米国人の作家達の半分近くの者達の作品を読み、彼らを監視し、ファイルにし続けた。
 この点で、たまにしか黒人の著作に関心を示さなかったところの、他の主要な米文学研究の機関の大部分の上を行っていた・・・。・・・
 フーヴァーは、黒人の読み書き能力<の向上>と黒人の急進主義との出現しつつあった同盟と彼が見たところのものによって影響されていた(exercized)・・・。・・・
 また、時に応じて、後のアフリカ系米国人作家達が米国内の社会主義的かつ共産主義的諸政治と同盟関係を形成した、という事実があった・・・。
 <実際、>ライト(Wright)とウェブ・デュ・ボイス(WEB Du Bois)は、どちらも共産党の成員になったし、ヒューズ(Hughes)はその「主要なシンパ」になったし、マッケイ(McKay)は「トロツキーに完敗され、顕著なるマルクス主義理論家としてロシア語で出版をした・・・。」
http://www.theguardian.com/books/2015/feb/09/fbi-monitored-african-american-writers-j-edgar-hoover
(2月11日アクセス)

<参考2:FBI現長官による反省>

 「FBI長官のジェームズ・コメイ(James Comey)<(注3)>・・・は以下のようなくだりを含むいくつかの「間違いない諸真実」を開陳した。

 (注3)1960年〜。ウィリアム・アンド・メアリ大卒(化学と神学)、シカゴ大ロースクール卒。ブッシュ政権下で司法次官(United States Deputy Attorney General)。
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Comey

 「米国史の多くの諸時点において、法執行部門は、現状維持的執行を行ったが、その現状維持は、しばしば、好かれていなかった諸集団にとって謀略的なまでに不公正だった」。
 彼は、FBI自身の人種主義的歴史という核心に迫り、マーティン・ルーサー・キングを盗聴する決定<(コラム#4989)>を正当化できないと、そして、司法長官がこの行為を合法とした命令を「事実や実体に基づかない」、と描写した。・・・
 彼は、当たったブロードウェー・ミュージカルの『アヴェニューQ(Avenue Q.)』<(注4)>の中の「みんなが少しずつ人種主義者だ」という歌を引用した。
http://takingnote.blogs.nytimes.com/2015/02/12/f-b-i-director-james-comey-on-how-everyones-a-little-bit-racist/?ref=opinion

 (注4)「2003年3月にオフ・ブロードウェイで初演され、2003年7月ブロードウェイに進出・・・。・・・大学を卒業したものの職にあぶれた<男(主役)>は、あぶれ者が多く集まるニューヨークのQ番街のアパートに引っ越す。そこには、・・・個性的な住人たちが住んでいた。人生の目的を探す<彼>を取り巻く、若者たちの青春と恋愛模様をコメディータッチで描く。」引用されたのは、2幕構成のこのミュージカルの第1幕で6番目に歌われる歌のタイトル。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BCQ
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 (3)キリスト教儀典としての黒人虐殺

 「その全てのグロテスクな暴虐性に関し、リンチ殺人が当時のキリスト教によって正当化された宗教的意義(significance)を持った行為であったことを我々は否定することができない。・・・
 より特定的には、それらは南部の福音主義とその当時の清浄さ(purity)、<聖書>直解主義(literalism)、及び、白人至上主義の独断的教義(dogma)の諸儀典だった。
 ・・・キリスト教は、それを通して、大部分の南部人達がいかなる類であれ、苦悩と死を概念化し、理解する(make sense of)ところの、主要なレンズだった。・・・
 その暴力が、キリスト教の象徴主義と意義が含意されて(be laden with)いるところの、宗教的行為であると想像することなくしては、黒人男性達の諸身体に痛みを加え拷問を行うことができたなどとは想像できないだろう。
 白人の南部の神は、白人の女性に体現されているところの、清浄さを要求したのだ。
 白人の南部人達は、<黒人との間で、>分離でもって障壁を構築することとした。
 しかし、その障壁が侵害(breach)された場合は、その障壁を補修し、黒人達、とりわけ黒人男性達、によって代表される道徳的汚染に対して彼らの自由を再確認するためには、リンチ殺人がその方法だったのだ。
 (もとより、それは黒人達に限られていたわけではない。
 1915年にリンチ殺人されたレオ・フランク(Leo Frank)はユダヤ系だった。)
 侵害と感得されたものはしばしば性的なものだった。
 それは、黒人たる強姦者は、白人の女性なるもの(womanhood)のキリスト教的清浄さを汚す(defile)ことに着手した「悪魔」であり「獣」である、という神話によって定義された。・・・
 当時の黒人達は、白人たる南部人達のキリスト教の実践に根差したものであることを理解していた。
 NAACPの指導者のウォルター・ホワイト(Walter White)<(注5)>は、1929年に、「リンチ殺人がキリスト教以外の宗教の下で存在することができるかどうかは極めて疑わしい」、と記した。

 (注5)1893〜1955年。ハリソン(William Henry Harrison)大統領の子孫にしてブロンドの髪と青い目を有するも、この大統領が黒人女性達との間になした子供の一人の子孫。
http://www.biography.com/people/walter-white-9529708

(続く)

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