太田述正コラム#7480(2015.2.11)
<日本の中東専門家かく語りき(その7)>(2015.5.29公開)

彼は、12世紀のハッティン(Hattin)の戦い<(注12)>でのイスラム側の勝利は、エルサレム王のギー・ド・ルシニャン(Guy of Lusignan)<(注13)>が率いた十字軍戦士達がサラディン(Saladin)によって率いられたイスラム軍によって敗れたものだが、それは、それまで、種々の場所群における小規模の諸小競り合いがあったればこそだ、と主張する。・・・

 (注12)1187年7月4日に、現在のイスラエルのティベリアス(Tiberias)近傍にしてハッティン死火山近傍、で行われた戦い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Hattin
 ティベリアスは、イスラエル東北部、ガリレー湖の西岸にある都市。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tiberias
 (注13)1150?〜1194年。エルサレム王:1186〜92年。キプロス王:1192〜94年。フランス西部のポワトゥー(Poitou)地方・・当時イギリス王領・・の領主たるルシニャン家に生まれ、エルサレム王の娘との結婚によって彼女と共同統治するエルサレム王に就任。ハッティンの戦いに敗れて捕虜になり、王妃が守っていたエルサレムはその3か月後に降伏し、王妃の要請に応えてサラディンはダマスカスで囚えていた彼を1188年に解放した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Guy_of_Lusignan

 人々は、十字軍達の頃、イスラム教徒達は、サラディン・アル=アイユービ(Saladin al-Ayubi)及びヌーラディン・ズィンキ(Nouradin Zinki)<(注14)>に率いられたところの、一つの国<を形成していた>と思っているが、「実際のところは、彼らは、諸城(citadels)をコントロールしながら、低いレベルで強い打撃を与える形で十字軍戦士達に対するジハードを戦っていたのだ」とナジは言う。

 (注14)Nur ad-Din, atabeg of Aleppo(1118〜74年)。トルコ系。セルジュークトルコ帝国の下、事実上独立していたシリア州の統治者となる(1146〜74年)。1148年の第2回十字軍を始め、十字軍と戦い続け、その過程で、(何度か十字軍の攻撃を受けていた)シーア派のファーティマ朝エジプトを(十字軍の攻撃を退けつつ)奪取したが、部下の、クルド人たるサラディンは事実上そのエジプトを自分のものにし、1171年にアイユーブ朝を樹立し、ズィンキ死後、ズィンキの本拠のシリアも併合するが、ズィンキの支配下にあった(現在イラク領の)モスルの併合には失敗する。
 ちなみに、ズィンキは、十字軍の都市を攻め落とすと、キリスト教徒たる大人の男性は全員殺し、女性と子供は全員奴隷に奴隷にしている。(サラディンの寛大さとは対照的だ。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nur_ad-Din,_atabeg_of_Aleppo
http://en.wikipedia.org/wiki/Saladin

 「ズィンキとサラディンがやったのは、これらの小さなブロック群を束ねて一つの大きな組織にしたことだが、最大の役割はこれらの小さなブロック群によって演じられたのだ」、と。
 
⇒既にこの頃には、アラブ人は中東イスラム世界の主役から退いてしまっていたわけですが、イスラム教が成立した7世紀から12世紀に至る500年間のアラブ人の活躍は一体何だったのか、と感慨を覚えます。
 現在、トルコとクルド人が軋轢を抱えながら、アラブ人を主体とするところの、Isisやアルカーイダ系・・どちらも、トルコ人やクルド人の12世紀における活躍を称えているナジを、その言の都合のよい部分を引いてイデオローグとしている・・と対峙している、というのも皮肉ですね。(太田)

 Isisによれば、暴力は、衝撃と抑止目的で続けるためには着実でエスカレートしていかなければならない。
 ランダムな暴力諸行為は、この文脈の中では十分ではない。
 暴虐性は、より野蛮で創造的で衝撃的になっていかなければならない。
 だから、仮に、あのパイロットの生贄がそれまでの諸殺害よりも野蛮であったとするならば、Isisは、その暴力的諸処罰の更により野蛮な実行方法を探求しているであろうことに間違いはない。
 <但し、>Isisはその野蛮さのレベルを、アドホックにではなく、決定的諸瞬間に高めることを強調しておくことが重要だ。・・・
 この戦略は、この集団の創設者が辿ったものと似ている。

⇒この、Isisの野蛮エスカレート戦略について、典拠が付されていないのは困ったものです。
 私は、これは、このコラム筆者の憶測に過ぎないのではないか、と見ています。(太田)

 アブ・ムサブ・アル=ザルカウィ(Abu Musab al-Zarqawi)<(コラム#395、482、669、727、897、1286、1296、2603、3448、3749、7447、7455、7465、7469、7474)>・・彼自身はヨルダン人だ・・は、2004年に米国人捕虜のニック・バーグ(Nick Berg)の殺戮を映像に収めるという前例を作った。
 CIAによればザルカウィによって実行されたところの、この殺害は、彼に、仲間のジハード主義者達から、「殺戮者達のシェイク(Sheikh)」という綽名を勝ち取らせた。・・・

(続く)