太田述正コラム#7450(2015.1.27)
<カール5世の帝国(続)(その7)>(2015.5.14公開)

 さて、ここで、最近のフランシスコ法皇の発言を振り返ってみましょう。

 「人工的産児制限に断固として反対・・・
 そのフィリピン訪問の間、法王は、人工的産児制限に反対する、伝統的な法王庁の教えを擁護した。」
http://www.bbc.com/news/world-asia-30890989
(同上)

 「法王は、避妊と過度の子沢山のどちらをも回避する諸方法がある、と主張した。・・・
 <しかし、>そんな方法は一つしかない。
 つまりは、セックスをしないことだ。・・・
 フェラチオや肛門性交でごまかせると思うな。
 これらの性的諸行動は、カトリック教会によって、きっぱりと禁止されている<からだ。>」
http://www.slate.com/blogs/xx_factor/2015/01/20/pope_francis_on_childbearing_tells_catholics_to_have_fewer_kids_don_t_breed.html
(1月21日アクセス)

 「法王庁は全球的な不平等について声高に語ってきた。
 そして、僧侶達の性的傾向について判断を行うことについての、法王の拒否<・・同性愛であってもとやかく言わない姿勢(太田)・・>は、彼に大勢の崇拝者を生んだ。
 しかし、フランシスコの、諸避妊法から離婚に至る、女性達の諸権利についての実績は、苛つくほど退行的だ。」
http://foreignpolicy.com/2015/01/20/is-the-pope-good-for-filipina-women/
(同上)

⇒フランシスコ法皇は、フィリピン訪問時に、セラ列聖発言、自分の宗教に対する侮辱には暴力でもって反撃するのが当然だとの発言、更には、この避妊ないし離婚に係る発言、によって、その正体を暴露した、と言ってよいでしょう。
 まず、離婚については、彼は、聖書の記述に従っていると言ってよいでしょう。(注21) 

 (注21)童貞至上主義(参考)→「結婚して自分の童貞性を離れる人もりっぱに行動していますが,結婚しないで,それを離れない人は,さらにりっぱに行動していることになります。」(コリント第一7:38)
http://ameblo.jp/littleyohane/entry-10518517237.html
 離婚禁止→「しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。」(マタイ5:32)
http://キリストの平和.jp/view_message.cgi?message_id=00046
 「不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」(マタイ19:9)
https://www.bible.com/ja/bible/81/mat.19.9.ja1955

 しかし、避妊については、聖書にはそのものズバリの記述がない(注22)ので、カトリックのカテキズム(注23)に従っているということになります。

 (注22)「旧約聖書の創世記38章に書いてある<(コラム#7321)>のは「イスラエル民族の家系を絶やさぬためには不法な性行為でも神は黙認する。家系を絶やすような避妊は、神は罰する」ということであって、単純に「性行為は夫婦間の子作りに限られる」ということを言っているわけではない」
http://ichurch.me/gesewa/c_birth_control.html
 (注23)「1992年12月に教皇ヨハネ・パウロ2世が公表した・・・『カトリック教会のカテキズム』・・・<は>、バチカン公式のカテキズムとしてはTrentの公会議以来,約400年ぶりにまとめられたものである<が、>・・・周期リズムを利用した受胎調整と、器具を用いるようないわゆる避妊をはっきりと区別し、後者を完全に否定している。」
http://www.catholic-teachers.com/2.htm
 「<カトリック教会では、>「聖伝の中に聖書が含まれる」が基本理解である。
 次のものが聖伝の主要構成要素であるとされる。
新旧約聖書
七回の全地公会議決定
地方公会(教会会議)決定
信経、教義議定(公会で制定されたニカイア=コンスタンティノポリス、ニカイア、カルケドンの三つ。使徒信条やアタナシウス信条は公式には認められていない)
奉神礼
聖歌やイコン、教会建築などの教会芸術
教会法
聖師父の教え・聖人伝
教会を形成していく人々の生きた体験の記憶
 これらの構成要素は互いに密接な有機的関係を持っており、・・・発展・成長を続けるとされる。・・・
 プロテスタントは、<カトリック教会とは違って、>聖書のみを権威ある伝統として認める。・・・ただしプロテスタントの中には、純粋に聖書のみを主張する者も居れば、逆にカトリック教会に近い伝統主義の者などもいる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E4%BC%9D
 
 つまり、フランシスコ法王は、カトリック教会原理主義者である、ということになります。
 考えてみれば、当たり前ですが・・。
 キリスト教の神を冒涜した者に暴力をふるうのは、イエス自身の行動に照らし
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_062.htm
キリスト教徒の義務である、ということになりますし、宣教に尽力し、受洗した人々にカトリック教会のカテキズムを強制したセラを列聖するのも、イエス自身の言葉に照らし(注24)、当然である、ということにあいなるわけです。

 (注24)「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。・・・」(マタイ28:19、20)

 よって、結論的に申し上げれば、フランシスコ法王に対するあらゆる期待を捨てよ、ということです。
 早くも16世紀前半にカトリック教会と決別し、爾後、カトリック教徒達を野蛮人視し、迫害し続けてほぼ現在に至っているところの、歴代の典型的イギリス人達から、そして、16世紀後半にカトリック教会とほぼ決別し、カトリック教徒達への迫害を開始したところの、豊臣秀吉らの日本人からも、カトリック教徒、とりわけ、その大親分に若干なりとも期待をかけたお前ってホントにバカだな、と嗤われても致し方がない、と反省しきりの私です。