太田述正コラム#7448(2015.1.26)
<カール5世の帝国(続)(その6)>(2015.5.13公開)

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<参考:ロサンゼルスタイムスに掲載されたセラの列聖に係る新たなコラム(追加)>

 ロサンゼルスタイムスが、同じ日付で、グレゴリー・オルファリア(前出)による、セラ列聖賛成のコラム
http://www.latimes.com/opinion/op-ed/la-oe-orfalea-serra-sainthood-20150125-story.html
(1月26日アクセス)も掲載していたことを見逃していたことに気付いたので、これについても、そのさわりを紹介することとした。

 「カリフォルニアのインディアンの過半は、伝道所群には一度も入らなかった。
 このシステムは、(年季奉公(indentured servitude)の一形態ではあったけれど、)彼らを奴隷化したわけではない。
 それに、伝道所群に入った者と入らなかった者とを問わず、彼らを殺したものの大部分は、セラの時代のスペイン人が誰も為すすべがなかったところの、疾病、すなわち、致死的諸細菌、だ。

⇒狭いところに押し込め、狩猟採集的移動生活から牧畜を中心とする定着生活へと彼らの食習慣を含む生活習慣を激変させ、しかも、十分な食糧等を与えなかったのだから、伝道所群に入った(収容された)インディアンの方が、その外にとどまったインディアンに比べて疾病による死亡率は高かったと思われ、オルファリアのこのような筆致はおかしい。(太田)

 <また、>人為的に殺した「犯罪者達」については、それは、スペイン人ではなく、米国人達だった。

⇒上述した栄養失調や病弱化の上に鞭打ち刑まで科されたのだから、それはまさにホロコーストと言うべきであり、スペイン人の数が少なく、また、スペインが統治した18世紀における馬車や銃器の質が米国が統治した19世紀に比べると旧式であったことから、逃散した、或いは寄り付かないインディアン達を捕まえて伝道所群に押し込める能力が不十分であったために、ホロコーストがカリフォルニア所在の全インディアンにまでは及ばなかったというだけであったはずであり、ここでもオルファリアの筆致はおかしい。(太田)

 欧州人が接触した当時の土着人口(225,000人)が、スペイン及びメキシコの統治下で(150,000人へと)33%減少した。
 (1848年以降の)米国の統治下、すなわち、大部分の伝道所群は売却されるか閉鎖されるかで廃墟と化していた頃、インディアンの人口は急減し、80%も減って、1870年には30,000人になっている。
 どちらの数字も悲劇的だが、主犯が誰かははっきりしている。・・・
 私は、セラが、メキシコとカリフォルニアの両方で、インディアン達をスペインの司令官達や総督達から守ったことを発見した。
 <例えば、>カリフォルニアにやってくるまで、18年間にわたって在勤したメキシコにおいて、誰かが彼の祭壇の葡萄酒に毒を入れた。
 証拠は、彼を亡き者にしようとしたのがインディアン達ではなく、セラの文句・・彼はそれをしばしば用いたのだが、それは実によく物語っている(telling)のだが・・によれば、「彼ら<(土着民達)>自身の国において」土地を土着民達から奪い取ろうとしたことを、彼が叱責したばかりの植民者たる兵士達であったことを示していた。
 もとより、…<上述した>インディアンの悲劇は彼の目の前で起こったことだ。
 しかし、私は、殆んどのことに関して、セラは模範的だった、という結論に達した。
 1775年に、カリフォルニアで、クメヤーイ族<(前出)>が、サンディエゴ伝道所に火を付けて全焼させ、セラの側近であった僧侶を他の二人のスペイン人達と共に殺害した。
 その知らせに、セラがカーメルで接した時、彼は、深く悩んだ。
 しかし、最終的に、彼は、メキシコシティー所在の副王に宛てて驚くべき手紙を書いた。
 この叛乱のために処刑を待っていた9人のインディアン達を釈放すべきである、と。
 「この殺人者については、救済されるために生きながらえさせていただきたい。
 なぜなら、それこそ、我々が当地にやってきた目的であり、その唯一の正当化理由だからだ」と記したのだ。
 私にとっては、この「唯一の」こそ、セラにジェノサイドという汚名を着せるいかなる議論も打ち破るものだ。
 何度も何度も、セラは、スペイン人がカリフォルニアにいるのは黄金のためでも土地のためでもなく、土着の人々に良かれと思ってのことだ、と執拗に主張した。・・・

⇒オルファリアは、黄金や土地のため、つまりは金儲けのためであれば、ある意味で合理的な目的のためなのだから、土着民迫害には自ずから限界が画されるけれど、宗教の普及などという非合理的な目的となると、土着民迫害の上限などなくなる、ということが分かっていない。
 前述したように、にもかかわらず、スペイン統治時代の土着民死亡率が米国統治時代のそれよりも低かったのは、迫害の手段が限定されていたからだけに過ぎない、と考えるべきなのだ。(太田)

 アナハイム(Anaheim)に向かう途中、武装したアクジャチェメン族<(前出)>の一団が彼の前に立ちふさがった時、彼の傍らにはたった一人のスペイン人兵士しかいなかった。
 セラは前に出て、彼ら全員を祝福したので、彼らは驚愕した。
 <また、>彼が初めてバハ(Baja)・インディアン<(注16)>達を見た時、他の神父達とは違って、彼は、彼らが、恥ずべき状態であるどころか、「まるで原罪を犯す前、エデンの園にいる」ものと思った。

 (注16)コルテスの時代から、スペイン人と接触がある狩猟採集民たるインディアン部族であり、殆んど絶滅するに至っている。
http://www.houstonculture.org/mexico/baja.html

 <更にまた、>チュマシュ族(Chumash)<(注17)>によって、ラ・コンチタ(La Conchita)周辺の泥だらけの洪水から救い出された折、どうしたらこの善意に報いることができるかと考えて、セラは涙にくれたものだ。

 (注17)カリフォルニアの中部から南部にかけての沿岸部に生息していた狩猟採集民たるインディアン部族。1900年には200人まで減少したが、現在は2,000〜5,000人まで回復している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chumash_people

 <そして、>メキシコ所在の副王への手紙の中で、もし、インディアンの女性達を慰み者にしたりインディアン達を無差別に銃撃したりした兵士達が処罰されないのなら、「こんな場所に我々が居るべきではない」と執拗に主張した。
 もとより、セラの事跡に汚点がないわけでは全くない。
 <セラに批判的な人は言う。>聖人とはなんぞや?
 (聖パウロ(Paul)や聖アウグスティヌス(Augustine)といった例を見よ。<一点非の打ちどころもないではないか、と。>)
 <それに対して、セラが行わせたところの、>姦淫とか窃盗といった諸不始末を犯した者達の「精神的改善」のために命じられたところの、鞭打ちというおぞましい慣行は、とりわけ、聖人性への適合性に障害を生じせしめる、と。
 (教会によれば、<セラに係る>第一の奇跡は、1960年にセントルイスで、ある尼僧が亡くなりかけていた時に起こったところ、)フランシスコ法皇が、このような<セラの>諸欠陥を看過して、第二の奇跡の必要なしとしてセラを聖人に列することにしたのは、一体どういうわけだ、と。
 <そこで、私見だが、>フランシスコは、同質の精神を<セラの中に>認めているのかもしれない。
 彼とセラは、どちらも象牙の塔を後にした学者だ。
 法王は、ブエノスアイレスのコレジオ・マキシモ(Colegio Maximo)<(注18)>から、都市部で汗を流せ、と僧侶達を追い払った。

 (注18)アルゼンチンのブエノスアイレス圏に所在する神学大学。
http://es.wikipedia.org/wiki/Centro_Loyola

 セラは、マヨルカの(Mallorcan)大学<(注19)>の神学者だったが、世界を半周してインディアン達に奉仕するために、その地位を全て放擲した。

 (注19)スペインのマヨルカ島のパルマ市のユイアン(Lullian)大学。
 セラは同大学の哲学のドゥンス・スコトゥス碩座教授だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jun%C3%ADpero_Serra

 フランシスコは、(映画『ミッション(The Mission)』<(注20)>の中で描かれた、)パラグアイのグアラニー族(Guaranis)のイエズス会<宣教師達>による擁護とセラ<によるカリフォルニアのインディアン達の擁護>との間の類似性を見ているのかもしれない。

 (注20)「1986年のイギリス映画。1750年代、スペイン植民地下の南米・パラナ川上流域(現在のパラグアイ付近)を舞台に、先住民グアラニー族へのキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様、彼らの理想と植民地社会の現実や政治権力者の思惑との葛藤を描く。1986年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー撮影賞、ゴールデングローブ賞脚本賞受賞。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 そして、まさに、セラがインディアン達の信頼を勝ち取るために、スペインの当局に対して真実を申し述べたように、フランシスコは、貧者のために、法王庁の官僚達や資本主義の巨人達を晒し台に晒してきているところだ。・・・」

⇒まことに見苦しい、セラ、及び、フランシスコ弁護だと言うべきだろう。(太田)
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(続く)