太田述正コラム#7438(2015.1.21)
<カール5世の帝国(続)(その2)>(2015.5.8公開)

しかし、セラは、捕虜達の解放を求めるとともに、その件について、副王に手紙で以下のように訴えた。
 「殺人者については、<キリスト教によって>救済されるように生かしておくべきだ。というのも、それが我々がここに来た目的であるし、そのことの唯一の正当化理由なのだから」と。
 そうすることで、セラは、彼の人生を、土地や黄金への欲望ではなく、愛の福音に立脚して形作った(modeled)のだ、とオルファリアは述べた。
 そして、こういうことによって、稀少諸金属を探し回る中で、カリブ海地域の土着民達を奴隷化し拷問したところの、コロンブス(Columbus)とは異なっていた、と。・・・
 セラは、サンディエゴとサンフランシスコの間に9つの伝道所を設立し、6,000人のインディアン達に洗礼を施した。
 彼は、原住諸部族を、福音を是非とも必要としている、異教徒達(heathens)であると見ていた。
 彼らは、農業をやっていなかったし、土器の製造や冶金、或いは、堅固な(substantial)諸建造物の建設もしていなかった。
 しかし、彼らは、土地でもって生きていく複雑な方法を持っており、食糧供給源を追って毎年沿岸から丘陵地帯へと移動し、また、彼らの諸財を貯蔵したり運んだりするための精緻な諸籠を織った。
 彼らは、茂み(chaparral)に火をつけて焦がし(manipulated)、より多くの食べ物を採取したり動物達の狩りをしたりした。
 <スペイン人達が持ち込んだ>牧牛場経営や放羊場経営は、後になってからの、一帯(landscape)を焼くことを禁止する法律とあいまって、彼らの伝統的経済を崩壊へと導いた。
 <キリスト教に>改宗した者達は、自分達の従来のやり方を止め、欧州人達のように食べ、衣服を纏い、行動するように強いられた。・・・
 しかし、インディアン達は、彼らの従来の食糧供給源が縮小すると、諸伝道所、及び、ロサンゼルスとサンフランシスコという、スペイン人の諸町に群れ集い始めた。
 彼らが狭い諸収容場所に集うようになると、天然痘、はしか、ペスト、その他の諸疾病が急に増え(spiked)、彼らの数は急減した。
伝道期の終わりである1830年代時点で、それまでに洗礼を受けた80,000人のうち、60,000人が既に死亡しており、そのうち、25,000人は10歳未満の子供達だった。
 アメ公(Yankee)の侵攻<(注9)>とゴールドラッシュ(Gold Rush)<(注10)>がとどめを刺した。

 (注9)「メキシコが1821年にスペインから独立し、カリフォルニアの<欧州>人支配を終わらせた。伝道所はメキシコ支配の下でその重要性を減らし、放牧や交易が増加した。1840年代半ばまでに<米国>人の存在が増加したことでカリフォルニア北部は、スペイン語を話す人々が支配的な南部と分化した。・・・
 <そして、1846.5〜48.2年の米墨戦争で、カリフォルニアは米国領となった。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
 (注10)「<米墨戦争が終わる直前の>1848年1月、<現在州都の>サクラメントの約40マイル (64km)東、シエラネバダ山脈の麓にあるサッターズミルで金が発見された。これがカリフォルニア・ゴールドラッシュの始まりとなり、カリフォルニアの人口急増への大きな誘因となった。坑夫や商人達が現在の州道49号線沿いの町に入り、金がカリフォルニアのどこでも(特にシスキュー郡)発見されたので、シスキュー・トレイル沿いに開拓地が次々に出来た。・・・1855年までに、あらゆる大陸からおよそ30万人のフォーティナイナーズ<49ers>が到着した。インディアン部族のヤヒ族は彼らによって蹂躙され、絶滅させられた。」(ウィキペディア上掲)

 1855年には、カリフォルニアに残っていたインディアンは、わずかに50,000人になっており、諸鉄道の到来<(注11)>とともに、彼らは、すぐに新参者達によって凌駕されてしまった。・・・

 (注11)「1865年に南北戦争が終わると、カリフォルニア州は急速に成長を続けた。個人の坑夫達はほとんど大規模な会社による鉱業に置き換えられた。鉄道の建設が始まり、鉄道会社も鉱山会社も多くの労働者を雇用し始めた。決定的な出来事は1869年の大陸横断鉄道開通だった。・・・カリフォルニア労働者の比較的保護された時代は鉄道の開通と共に終わった。その後の数十年間、中国人・・・労働者・・・を抑圧<的に使用>し、政治家は反中国人の法制化を進めた。」(ウィキペディア上掲)

 セラの批判者達について聞かれた・・・サンタバーバラ伝道所のフランシスコ会神父のジョン・ヴォーン(John Vaughn)<(注12)>・・・は、 「他にどう釈明したらよいか分からないのだが、セラがやった若干の諸事柄に係る諸欠陥を見つめたいのであれば、何名もの米国の大統領達についても同じことを言わなければなるまい。

 (注12)ウェールズ由来の「小さい」という意味の姓。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vaughan_(surname)

⇒ここまでに登場した、現在カリフォルニア在住するところの、セラ関係者達4名のうち、インディアン系は、ロン・アンドラーデ(先祖はカリフォルニア土着民)とルーベン・メンドーザ(先祖はラテンアメリカ土着民?)の2人ですが、どちらも、姓が広義のスペイン系であるところが、スペインによる土着文化/文明破壊を象徴しています。
 江戸時代までの日本の一般庶民達と同じで、彼らの祖先も姓を持たなかった可能性が大ですが、明治維新に伴い、自発的に姓を名乗った日本の一般庶民達と違って、彼らは、姓を持つという欧州文明のしきたりを一方的に押し付けられたと想像されるのですからね。
 しかも、名前の方だって、ロンとルーベンですから、欧州化している点が決定的です。
 そして、もう一つの悲劇は、ラテンアメリカ土着民を先祖とする(?)側がスペイン人や米国の白人の側、つまりは旧抑圧者側に立って、カリフォルニア土着民を先祖とする、旧被抑圧者側と「対立」的見解を抱いていることです。(太田)

 彼らは、彼ら自身の時代の産物なのだ」、と述べた。」(A)
 
(続く)