太田述正コラム#7434(2015.1.19)
<欧州におけるイスラム教徒問題>(2015.5.6公開)

1 始めに

 本日のディスカッションで予告したうちの一個目の記事(コラム)
http://www.wsj.com/articles/europe-immigration-and-islam-europes-crisis-of-faith-1421450060
・・表記について考えさせられる・・についてのコラムです。

2 欧州におけるイスラム教徒問題

 「<地理的意味での>欧州には約2000万人のイスラム教徒達がおり、そのうちの500万人内外がフランスにいる。
 それは、フランスの人口の概ね8%に相当するが、英国とドイツでは、どちらも約5%だ。・・・
 <米国に比べて、>欧州の福祉諸国家はより<福祉面で>充実しており、最近まで、非市民達に対してより開かれていたため、<米国と違って、>非合法ないしは「地下」移民は少なかった。
 しかし、<米国と違って、移民達の>雇用率もまた、低かった。
 米国人達が伝統的に移民達が自分達の人口の最も懸命に働く部分であると見てきたとすれば、欧州人達はその正反対のステレオタイプを<移民達について>抱いてきた。
 1970年初頭、ドイツでは300万人の外国人達のうち200万人が労働力だった。
 しかし、この世紀の変わり目には、750万人中200万人に<低下した>。
 欧州は、第二次世界大戦のトラウマによって方向感覚を失っただけではない。
 欧州は、ナチズムの記憶と<当時>現在進行形だった植民地主義の分解、によって士気が低下し麻痺状態に陥っていたのだ。
 指導者達は自分達の顔々にある鼻々ほども単純明快な諸問題に取り組む<ことすら、>道徳的<に自分達はその>分際ではない、と感じていたのだ。・・・
 欧州人達は、米国の市民権運動から誤った教訓を引き出した。
 米国では、人種があり移民があった。
 この二つは異なった諸事柄なのであり、(少なくとも最近まで、)誠実な人々によって<両者が>混同されることはなかった(disentangled)。
 <ところが、>欧州では、この二つの諸問題は切り離すことができなかった。
 移民について心配した有権者達は、広範に、人種主義、そして、後には「イスラム恐怖症(Islamophobia)」、と非難された。
 フランスでは、反人種主義は、言論の自由と真っ向から対決した。
 ホロコースト否定を処罰する1990年のギャイソー法(Gayssot Law)<(注1)>の成立が分水嶺となった。

 (注1)フランスの法律。1945年のロンドン憲章と1945〜46年のニュルンベルク国際軍事裁判所におけるナチス指導者達の有罪宣告を踏まえ、ホロコースト否定を人道に対する罪とした。
 フランス憲法裁判所は、この法律は合憲だが、2012年のアルメニア・ジェノサイド否定法は違憲としている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gayssot_Act
 ロンドン憲章(国際軍事裁判所憲章)。「第二次世界大戦中の枢軸国の戦争犯罪を裁くための国際軍事裁判所の構成や役割を規定した憲章で、1945年8月8日、英米仏ソ四ヵ国がロンドンで調印した。ニュルンベルク裁判および極東国際軍事裁判の基本法となった。・・・第六条で戦争犯罪が定義され、新しい犯罪概念として平和に対する罪、人道に対する罪が定義された。ニュルンベルク裁判ならびに極東国際軍事裁判(東京裁判)はこの憲章に基づいて裁かれたが、東京裁判におけるパル判事やまたウェッブ裁判長も指摘したように事後法で裁くことの法理的な矛盾が問題として議論されてきた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E6%86%B2%E7%AB%A0#.E3.83.AD.E3.83.B3.E3.83.89.E3.83.B3.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E8.BB.8D.E4.BA.8B.E8.A3.81.E5.88.A4.E6.89.80.E6.86.B2.E7.AB.A0

 活動家達は、ロビー活動を通じ、奴隷貿易、植民地主義、外国の諸ジェノサイドといった種々の歴史的諸出来事についての議論を制限することによって、かかる諸保護を広げようとした。
 これは、制度的な強制力(muscle)によって補強された。
 1980年代、フランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)大統領の社会党は、少数民族の有権者達を糾合し、彼らの諸利害に反することを行った者達を追い回すために、人種主義SOS(SOS Racisme)と呼ばれた非政府組織を設立した。
 昔からあったところの、共産主義に鼓吹された、「人々の間の人種主義に反対し友情に賛成する運動(Movement against Racism and for Friendship Among the Peoples)」のような諸団体は、ポリティカル・コレクトネスにほんの僅かな侵奪を行った欧州の知識人達・・9.11後の嘆きの書である『憤怒と自負(The Rage and the Pride)』を上梓したイタリアのジャーナリストの故オリアナ・ファラチ(Oriana Fallaci)<(注2)>、2005年のフランスの郊外<イスラム教徒>諸ゲットーにおける暴動が失業に起因することに疑義を提示した哲学者のアラン・フィンケルクロート(Alain Finkielkraut)<(注3)>、西アフリカからの移民達の諸問題における一夫多妻制の役割について思いを巡らしたロシア学者のエレーヌ・カレール・ダンコース(Helene Carrere d’Encausse)<(注4)(コラム#955)>・・に対する諸訴訟の脅し(そして時にはその実行)に専ら専念するようになった。

 (注2)1929〜2006年。先の大戦中は反ファシスト・パルチザン、戦後は戦争ジャーナリストとして活躍。1960、70、80年代に彼女が行った、キッシンジャー、パーレビ、ホメイニ等、世界の著名人達とのインタビューは有名。同時多発テロの後、イスラム過激派達、及びイスラム教一般を批判する本を3冊上梓し、イスラム教徒に寛容過ぎる欧州は、ヨーロッパならぬユーラビアになってしまった、と指摘し、大変な物議を醸した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Oriana_Fallaci
 (注3)1949年〜。フランスの随筆家、公共知識人。ポーランド系ユダヤ人でアウシュヴィッツの生き残り。Ecole normale superieure de Cachan卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alain_Finkielkraut
 (注4)1929年〜。「フランスの歴史学者。・・・<ソ連>併合前のグルジアの政治家であった父ジョルジュ・ズラビシュヴィリ(Georges Zourabichvili)の子としてパリで誕生。パリ政治学院やソルボンヌ大学で学ぶ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9
 この挿話は、彼女についての仏語ウィキペディアには出てこない。
http://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%A9l%C3%A8ne_Carr%C3%A8re_d'Encausse

 <かかる>言論<規制>諸規定(Speech codes)は、移民達や彼らの子供達を労働力へ参入させたり犯罪を減少させたりするのを促進することには殆んど資さなかった。
 しかし、それらは、欧州の有権者たる公衆達をすくませ、政治家達を批判から遠ざけ、特定の枢要な諸事項を諸タブーへと変えてしまった。
 <こうして、>移民と民族的な諸論点は、多国籍的欧州同盟を構築する論点と固く結びつけられるに至り、有権者への答責性を巨大な政策諸分野から除去する結果となった。
 <このため、>「反欧州的」諸感情が興隆し続けている。・・・
 2013年1月には、・・・フランス人の74%が、イスラム教「はフランス社会と両立しえない」と語った。
 この数は昨年減少したが、今や、ほぼ間違いなく増大しているはずだ。・・・」

3 終わりに

 このコラムの筆者のクリストファー・コールドウェル(Christopher Caldwell)は、米国のネオコン雑誌のWeekly Standardの上級編集者ですが、米国文明の欧州文明に対する優位意識が垣間見えるところが噴飯ものではあるものの、欧州について言っていることは概ね全うであり、参考になります。