太田述正コラム#7428(2015.1.16)
<カール5世の帝国(その10)>(2015.5.3公開)

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(脚注)フニペロ・セラ列聖へ

 私の留学先のスタンフォード大学のすぐ裏手を走っている州際フリーウェイ280号
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6/@37.427474,-122.169719,12z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x29cdf01a44fc687f
は、別名ジュニペロ・セラ・フリーウェイ(Junipero Serra Freeway)とも言う
http://en.wikipedia.org/wiki/Interstate_280_(California)
のだが、ジュニペロ・セラをスペイン語読みすれば、フニペロ・セラであるところ、本日、彼を、列聖すると現法王が言明したとの記事
http://www.latimes.com/world/mexico-americas/la-fg-vatican-junipero-serra-canonization-20150115-story.html
を読み、当時の懐かしい記憶が蘇る一方、私は、セラの悪しき事跡を多少なりとも知っていることから、それに強い違和感を覚えたので、このシリーズのテーマとも関わることもあり、セロをここで取り上げることにした。
 上記記事のさわりは次の通りだ。

 「フランシスコ法王は、フニペロ・セラを列聖すると述べた。・・・
 <彼>は、2つ・・・奇跡が確認されて初めて列聖できる、との通常の規定に囚われないつもりだ、と述べたのだ。・・・
 セロは、18世紀のフランシスコ会会員であり、カリフォルニアに9つの伝道所(mission)群を創設し、カリフォルニアとメキシコにかけての初期の<イエズス会による>キリスト教崇拝所群を復興した。・・・
 彼は、スペインのマヨルカ(Mallorca)島に1713年11月24日に生まれ、スペインの宗教アカデミーで神学の博士号を取得し、キャリアを積んだ後、36歳の時に、新世界の伝道の仕事を志願した。・・・
 1758年に、彼は、他のスペインのフランシスコ会会員達の集団を率いて、<現在メキシコ領の>バハ(Baja)とアルタ(Alta)のカリフォルニア・・現在の米国の州の当時の名称・・の住民達に伝道すべく派遣された。
 その11年後、彼は、サンディエゴ(San Diego)に居を定め、残りの年月の大部分をそこで過ごした。
 彼は、1784年に<現在の>モントレー(Montery)近くのカルメル(Carmel=カーメル)<(コラム#5138)>伝道所で死去した。」

 この記事には出てこないが、セラの悪しき事跡を、ガーディアンのコラムニストのジョージ・モンビオット(George Monbiot)が次のように総括している。

 「セラは、現実には、奴隷労働を用いた強制収容所群であったところの、一連の「伝道所群」を設立した。
 土着民達は武器の脅しの下で駆り立てられ、19世紀にアフリカ系米国人奴隷達に給養されたカロリーの5分の1で諸畑で働かされた。
 彼らは、過剰労働、飢餓、及び疾病によって、驚くべき率で死亡し、繰り返し収容場所を変えられ、土着民は絶滅した。
 カリフォルニアのアイヒマン(Eichmann)たるフニペロ・セラは、法王庁によって1988年に列福された。
 彼は、もう一つ奇跡を認定されれば、聖人に列せられる。」
http://www.monbiot.com/2010/01/11/the-holocaust-we-will-not-see/ (元はガーディアン同日付掲載コラム)

 上記コラムは、セラに関する日本語ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%8B%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%A9
で典拠の筆頭に出てくるが、このウィキペディアは、「セラが率いるフランシスコ会によるカリフォルニア支配が始まって3年の間に、カリフォルニアのインディアンの3分の1から4分の1が死んだ。」としている。
 そもそも、伝道そのものも、残酷極まるやり方でなされた。
 同じウィキペディアによれば、以下の通りだ。

 「セラが指導したフランシスコ会士の支配による最初の3年の間、インディアンたちの大人と子供が76人が洗礼を受けさせられ、これを拒否した131人が殺されて埋められた。同時期にフランシスコ会がインディアンに対して行った他所での<伝道所>状況は以下のとおりである。
「サンノゼ・コモンデュでの<伝道所>」−洗礼数94人、殺害数241人
「プリジマ・デ・カデゴモでの<伝道所>」−洗礼数39人、殺害数120人
「ヌエストラ・セフィオラ・デ・グアダルーペでの<伝道所>」−洗礼数53人、殺害数130人
「サンタロザリア・ド・ムレゲでの<伝道所>」−洗礼数48人、殺害数113人
「聖イグナチオの<伝道所>」−洗礼数115人、殺害数293人」

 ところが、ロサンゼルスタイムスの前掲記事は、全くこのようなことに言及していないし、そもそも、セロに関する英語ウィキペディアにも全く言及がない。
 想像するに、米国のカトリック教徒達が、セロの列聖を強く推しており、ウィキペディアも彼らが都合の悪いことは落として書いているのだろうし、カトリック系読者の反発を恐れて、カリフォルニア南部紙であるロサンゼルスタイムスは、やはり、セロの悪行への言及はさけたのだろう。
 (カリフォルニアを基盤としない、その他の米国の主要メディアの電子版は、さわらぬ神に祟りなし、ということか、このニュースをそもそも報じていないように見える。)
 米国の主要メディアも落ちるところまで落ちたものだし、フランシスコ法王も、あえて、規定を回避してまでセロを列聖することで、就任以来の彼のカトリック教会の近代化に向けての姿勢等を評価してきたところの、私を含めた世界の人々の期待を甚だしく裏切ったと言うべきだろう。

 ここで、二つ疑問が残る。
 一つは、どうして、南北アメリカ大陸の全スペイン植民地の中で、北端のカリフォルニアにおいて、最も醜悪な土着民統治が行われたかのか、だ。
 私の暫定的仮説は、セラの人格的歪みによる、というものなのだが、自信がない。
 もう一つは、カリフォルニアの土着民(インディアン)のごく少数の末裔達は、セラの列福、列聖に反対してきた(日本語ウィキペディア上掲)ところ、どうして、その大部分がカトリック教徒であるとはいえ、カリフォルニアにも多いヒスパニック・・中南米の土着民(インディアン)の末裔が大部分・・が連帯して、セラの列福、列聖に反対しないのか、だ。
 これについての私の暫定的仮説は、彼らは、その大部分が、不法入国者かその子孫であることから、米国に過剰適応している者が多いため、というものだ。
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(続く)