太田述正コラム#7370(2014.12.18)
<新イギリス史(続)(その2)>(2015.4.4公開)

 (3)イギリス史に係る神話の克服

 「もう一つのアプローチは、爾後の、ノルマンのくびき<(注7)>から第一次世界大戦に至る、神話の中において、我々の過去がどのように装いを凝らされた(packaged)か、を考察するものだ。

 (注7)「ノルマン人の圧政に対しアングロ=サクソンの過去を美化するというモティーフ、征服直後から<イギリス>人の間で存在していた。それは近世にはいり「ノルマンのくびき」説として甦り、実際の社会を動かす力を発揮するようになってきたのである。アングロ=サクソン的過去を称揚し、その復活をめざす人々にとって、ウィリアム征服王は異国の暴君であり、ノルマン・コンクェストはまさに国家の悲劇であった。ウィリアムは外国人であり、教皇の支持を受けたフランスの征服者であり、外国人の一団を率いてアングロ=サクソンの優れた国制を覆して人々を奴隷に貶めたのである。彼らにとっては、現代<イギリス>人の先祖はノルマン人ではなく、アングロ=サクソン人であった。そしてアングロ=サクソンを支持する見方は強く生き残り、プロテスタント支持、議会支持と結び付けられてゆくのである。」
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/1_rekishi/1_10.pdf

 ここでは、トゥームズは、完璧に鋭い(pithy)諸洞察を提供する。
 例えば、いかにノルマン人達が「大陸における終わりなき諸紛争にイギリスを巻き込んだ」か<(注8)>、について描写する。
 これこそが、本物の「ノルマンのくびき」だったのだ、と。」

 (注8)ウィリアム(1027/28〜87年。ノルマン公:1035〜87年。イギリス国王:1066〜87年)がフランス国王に臣従を誓うノルマンディー公のまま、イギリスを征服してイギリス国王となった
http://en.wikipedia.org/wiki/William_the_Conqueror
ことから、彼や彼の子孫たる歴代イギリス国王は欧州大陸に関わらざるをえなかったということ。
 彼は晩年の15年間を殆んどノルマンディー公領で過ごしており、最後の1か月をフランス国王のフィリップ1世との戦いに費やし、
http://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/william_i_king.shtml
亡くなると公領の首都であるカーン(Caen)に埋葬され、公領は長男ロベール(2世)が継承し、イギリス王国はロベールの弟のウィリアム(2世)(1080?〜1100年。イギリス国王:1087〜1100年)、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A01%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A02%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)
次いでその更に下の弟のヘンリー(1世)が継承することになる。
 ヘンリー1世(1068〜1135年。イギリス国王:1100〜35年。ノルマンディー公:1106〜35年)は、その後、ノルマンディーに侵攻してロベール2世を破り、その目を刳り抜いて幽閉し、公領を奪取する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC1%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)
 このヘンリー1世もフランスでの戦争中に亡くなったが、遺骸のうち、内臓はノルマンディーに、本体はイギリスに、埋葬されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_I_of_England

3 シェークスピアの意義

 「トゥームズは、「シェークスピアは、<当時の>イギリスの近過去の歴史を、ローマの歴史と同じくらい偉大な芸術的対象(subject)に仕立て上げた」と記した上で、もう一つの効果的な対比を行う。
 すなわち、「フランスは、対照的に、1765年に至るまで、自身の歴史に関する一つの戯曲(play)も持った試しがなかった」<(注9)>と。…

 (注9)シャルルマーニュからルイ14世に至る欧州史を描いた、ヴォルテール([1694〜1778年])の『歴史哲学(La Philosophie de l'histoire)』(1765年)([邦訳あり])
http://fr.wikipedia.org/wiki/Essai_sur_les_m%C5%93urs_et_l'esprit_des_nations
を指しているように思われるが、これを戯曲(play)と言えるのか疑問が残る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB ([]内)

 シェークスピアによる民族的自己ドラマ化(national self-dramatisation)は、恐らく、イギリス人達をして、自分達自身を特殊な存在であるとみなすように仕向けたのであり、恐らく、現在でも依然としてそう仕向けているのだ」と。」

⇒シェークスピアは、その戯曲を通じて、現代英語を確定させただけではなく、(米国人のそれとは違って、より正当性のある、)イギリス例外的存在意識をイギリス人の間で確立させた、というわけです。
 私に言わせれば、シェークスピアのような偉大な戯作者、いや、文学者、を生み出したこと自体が、イギリス例学的存在意識の確立に貢献しているのです。(太田)

4 トゥームズ批判

 彼自身の衝撃的諸見解を、彼はまことにもって巧みに論述しているけれど、私はその全てに同意することはできない。
 ディズレーリ(Disraeli)を引用した後、彼は、「首相達による、面白いことはもとより、記憶に残るような諸言及(remarks)は、保守党の首相達によってのみなされている」ということだろうか、と問いかける。
 それに対しては、こう答えることができるのではなかろうか。
 <保守党以外で、>「我々の任務は何か。それは、英国を英雄達が生きるに値する(fit)国にすることだ」(<自由党の>ロイド・ジョージ(Lloyd George))、或いは、<労働党の>「一週間というのは、政治においては長い時間だ」(ウィルソン(Wilson))、或いはまた、<同じく労働党の>「犯罪に厳しく(tough)、犯罪の諸原因にも厳しく」(ブレア(Blair))さえ<ある>、と。
 この最後の人物に関しては、トゥームズは、異なった判断を有するが、それは、今回も借り物の判断だ。
 すなわち、ブレアは、「ノンポリ保守党員であって、全くもって労働党の人間などではない」と。」

⇒チャーチル「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
サッチャーは、フクヤマの説のことを聞かされると、歴史の終わりじゃなく、「ナンセンスの始まりだわ!」と返答したとされる」(コラム#7336)、といった具合に、確かに、保守党の政治家の言の方が気が利いているようには思えますね。
 (ところで、上掲のチャーチルに係る日本語ウィキペディアは、今まで気付かなかったけれど、傑作です。
 「チャーチルは就任早々「内務大臣は、外国に従属している、または指導者が敵国政府指導者と関係を持っている、あるいは敵国政府のシステムに共感をもっていると認められる組織のメンバーを誰であろうとも裁判なしで無期限に投獄できるものとする」という防衛規則18Bの修正規則18(1a)を制定してイギリスを言論弾圧国家に変貌させ、ファシスト、共産主義者、敵性外国人を次々と逮捕した」・・戦時中の日本が負けちゃいますね・・といった記述が随所に見られます。
 ご一読をお勧めします。)(太田)

(完)