太田述正コラム#7360(2014.12.13)
<近代資本主義とは何か(その4)/私の現在の事情(続x46)>(2015.3.30公開)

4 近代資本主義とは何か

 「ベッカートは、資本主義について、我々が自分自身に伝えているところの諸神話・・いかに政府が邪魔しなければそれが最もよく機能するか、いかにそれが奴隷制とはきれいに縁を切ったか・・の多くは、その500年の歴史の間そうであったのと同様、今日においても誤りである、と執拗に主張する。
 ベッカートの説明の中では、奴隷制は資本主義の興隆の中で決定的(pivotal)役割を演じただけではなく、国家もまた決定的役割を演じたのだ。
 諸政府は、銃器群を補給し、道路群を建設し、諸関税を施行し、また、それによって資本主義がつくられ、それが栄えるのを続けられるようにしたところの、諸市場の規制を行った。
 ベッカートは、この物語を必ずしも選良達を通じてではなく、綿という、彼らの富にとって中心的であった商品を通じて伝える。
 18世紀より前においては、綿は欧州人達にとって稀少商品だった。
 しかし、ペルー<(注1)>からメソアメリカ(Mesoamerica)<(注2)>から日本<(注3)>、エジプト<(注4)>、そしてインド<(注5)>に至るまで、地球全域にわたって、綿はふんだんに生育していた。

 (注1)「ペルーではインカ帝国以前の墓から木綿の布が見つかっている。・・・<そして、>綿花を川の上流で栽培し、それを使って漁網を作り、海岸の漁村との交易に使っ<てい>た。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B6%BF
 (注2)「メキシコ及び中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指<す>・・・。地理的には、北は、メキシコのパヌコ川からシナロア川あたりまで、南はホンジュラスのモタグァ河口あたりからコスタリカのニコヤ湾あたりまでであるが、この境界線は歴史的に一定していたわけではない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB#mediaviewer/File:Mesoam%C3%A9rica.png (地図)
 「現在までに見つかっている木綿栽培の最古の証拠はメキシコで見つかっており、約8000年前に遡る。・・・スペイン人が16世紀初めにメキシコに到達したとき、原住民は綿花を栽培し、綿織物の衣服を着ていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B6%BF 前掲
 (注3)「戦国時代後期からは全国的に綿布の使用が普及し、三河などで綿花の栽培も始まり、江戸時代に入ると急速に栽培が拡大。各地に綿花の大生産地帯が形成され、特に畿内の大阪近郊などにおいて生産が盛んになった。木綿問屋も形成され、綿花産業は大きな産業となり、綿を染める染料の藍や綿花栽培に欠かせない肥料となる干鰯などの関連産業も盛んとなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B6%BF 上掲
 (注4)「ムハンマド・アリー朝<のエジプト>は、豊かな農業生産力によって莫大な産出を誇る綿花が経済を支え、エジプト政府主導による近代化改革路線は形を変えて続けられていました。親<欧>的な2人の総督、サイード・パシャ、イスマーイール・パシャのもとでスエズ運河が建設されていました。<英国>とフランスはエジプトのプランテーションに多額の投資をし、・・・イスマーイール・パシャは<欧州>の銀行などから多額の融資を獲得し、カイトウメン(海島綿・シーアイランドワタ・エジプト綿・ピマ綿・ Gossypium barbadense)の導入が始まりました。しかし、1870年代、南北戦争が終結して<米>国産の綿花が国際市場に大規模に流入すると国際綿花価格の下落が引き起こされ、エジプト経済は大打撃を受けました。外債は瞬く間に膨張し、1875年にはスエズ運河会社株を<英国>に売却することを余儀なくされ、翌1876年、エジプト財政は破産し、財政部門は債権者である列強の管理下(植民地時代)に置かれることになります。」
http://yasuda.iobb.net/wp-cotton/3%EF%BC%8E%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
 (注5)「インドは木綿の原産地といわれ、綿布は古くからインドの主要輸出品であり、ポルトガル王マヌエル1世(在位:1495年 -- 1521年)の命により、1498年5月20日、ヨーロッパ人として初めてインドのカリカットに到着した、ヴァスコ・ダ・ガマに始まる大航海時代も主要輸出品の位置づけは変わりませんでした。インド綿布はルネサンス時代にヨーロッパにもたらされましたが、その軽さ、手触りの柔らかさ、あたたかさ、染めやすさなどによって爆発的な人気をよび、17世紀以後インドに進出したイギリス東インド会社はこの貿易によって莫大な利潤を得ました。」
http://yasuda.iobb.net/wp-cotton/3%EF%BC%8E%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 19世紀末にそうなるところの、支配的(dominant)作物では当時まだなかったけれど、これらのそれぞれの地域は活況を呈していた地方諸市場を持っていた。
 彼らは、自分達自身の綿を生育させ、個々の家庭が大部分の作業を自分達自身で行う形で、より糸(yarn)へと紡績し、次いで諸織物へと手で織われていた。
 奴隷制は、資本主義が破壊したところの、旧弊の制度ではなく、資本主義を可能にしたところの、資本主義にとって不可欠(integral)な代物だった。
 綿の、世界で最も儲かる全球的商品への変貌は緩慢なものだった。
 ベッカートは、16世紀における欧州諸帝国の出現こそが、その最初の転換(pivot)であったことを銘記する。
 コロンブスのアメリカ大陸との最初の邂逅は、発芽したての極東における香料貿易とともに、アメリカ原住民の諸土地の盗用(appropriation)、及び、18世紀末における世界史における最大の強制的移住たる奴隷化されたアフリカ人達、という結果をもたらしたところの、1世紀にわたる奪い合い(scramble)の火蓋を切ることとなった。
 奴隷が生育した諸商品の貿易を促進するために商人階級が勃興したが、この階級<の出現>は、ベッカートが大変骨を折って強調したことだが、発展途上の欧州諸国家の助力によってのみ、可能となったのだ。
 例えば、最初のイギリス諸植民地の多くの植民を行った私的に所有された株式会社群は、国王勅許状(royal charter)があって初めて存在することができた。
 ベッカートは、伝統的に「商業資本主義(mercantile-capitalism)」と呼ばれてきたプロセスのブランド名を「戦争資本主義(war capitalism)」に変更する。
 というのは、暴力がその中心に存したからだ。
 それなくしては、ベッカートの物語の次の部分であってかつ最も重要な部分であるところの、産業革命は起こらなかったはずなのだ。

(続く)
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--私の現在の事情(続x46)--

本日は、四つのことを果たすつもりで出かけ、三つちょっとを果たしました。
 一つ目は、昨年の12月15日(土)にも年賀はがきを買った新宿中央郵便局(新宿駅西口)に赴き、年賀はがきを買おうとしたのです。
 昨年は、買ったら、(全く予期していなかったのですが、)貯金箱とカレンダーをくれたので、今回もそれを期待したのですが、今回は、昨年の枚数だと貯金箱の贈呈を受けられないことが掲示から分かったので、カレンダーももらえないとふみ、それならと、日を改めて、自宅の最寄りの郵便局で買うことにしました。
 (そもそも、前の自宅の最寄りの郵便局を含め、昨年の新宿中央郵便局を除き、年賀はがきを買った時に、郵便局からポケットティッシュー以外のものをもらったためしがありません。)
 その上で、もともと予定していたのですが、(優待カードを持っている)小田急百貨店の家具売り場を覗いてみたのです。
 驚きましたね、かねてから関心のあるオットマン・・正確にはオットマン付リクライニングチェア・・が沢山置いてあったけれど、ダイシン百貨店やネット上のとは、桁が違うと言ってよいほど高いんですから・・。
 南口の紀伊国屋書店まで行く時間が残っていなかったので、小田急百貨店内の書店をひやかしたのですが、収穫ゼロ。
 で、二つ目ですが、13:00から、年末恒例のスタンフォードの(殆んど)同期忘年会に出席。
 私がオーディオの話をすると、スピーカーは百万円未満なら5万円だろうが15万円だろうが大同小異である、いう声があり、また、もう一人からは、百万円以上したコンデンサースピーカー、それとやはり百万円以上したアンプ、を米国から取り寄せたが、湿気の多い日本では本来の音を出せないままだ、といった話が出たりして、私は口あんぐり。
 久しぶりにカラオケ付きの会だったのですが、カラオケが始まった頃に私だけ外へ。
 帰り際に、再び、スピーカー買うんだったら100万円以上のにするように、と念を押されました。
 三つめです。
 新宿西口発練馬車庫行きのバスに生まれて初めて乗ったのですが、これが、予想に反して山手線を渡り、(首都圏在住でない人には何のことか分からないでしょうが、)江戸川橋くんだりまで行った後に再び山手線を渡る、というものすごい迂回ルートで、1時間5分バスに乗ってましたね。
 途中、土地勘のある場所ばかりで、懐旧の念に浸れて悪くなかったですが・・。
 で、桜台駅近くの練馬車庫から、西武池袋線を1駅ぶん歩いて、練馬駅前の不動産屋へ。
 実は練馬区にマンションを持っていて賃貸に出していたのですが、某読者のご助力を得ながら、大枚をはたいてリフォームしたというのに、賃借人が1年9か月足らずで引き払うことになったので、賃貸に出した際に仲介をしてくれた不動産屋に調整に赴いたのです。
 前回、賃借人が決まるまで5か月もかかったので、今回もどうなることやら、と心配しています。
 早く次の賃借人が決まってくれないと、100万円のスピーカーを買うどころか、緊縮生活を余儀なくされかねません。
 しかし、わざわざ、不動産屋まで足を運んだおかげで、思いがけなくもカレンダーがもらえ、一つ目の目的の一部を果たすことができました。 
 最後に、四つ目ですが、自宅への帰途、五反田で乗り換える際に、昨年もそうしたのですが、駅前の「洋服の青山」に立ち寄り、セール品の小物を買い、プレゼントのハローキティグッズをもらってきました。