太田述正コラム#7314(2014.11.20)
<同じ声で吠え続けることしかできないフクヤマ(その4)>(2015.3.7公開)

 「フクヤマによれば、「自由民主主義国」は、「かかる諸体制が、何万年も歴史を遡ることができるところの、人類の歴史中、最後の2世紀においてしか存在していないことから、人間社会において(humanly)普遍的なものであるとは言えない」。
 しかし、<人間社会の>発展は、一般的であると共に個別的(specific)な進化を生み出すところの、首尾一貫した・・時間の経過ととともに、文化的にばらばらな(disparate)諸社会横断的に諸制度が収斂する・・過程なの<であって、今や、自由民主主義に向けて収斂しつつあるの>だ、と。」(E)

⇒人間主義が自由民主主義的装いを纏いつつ、普遍性を回復しつつある、というのが私の見解です。(太田)

 「人類は、生物学に根差す、他者達よりも親族を優先する諸至上命題(imperative)・・それを彼は、家督主義(patrimonialism)と呼ぶ・・を内に秘めている(be possessed of)。
 成功を収めた政治的秩序は、これらの諸衝動を生産的にして公共が裨益する諸形においてチェックし再方向付けするところの、諸制度の確立を要求する(entail)。

⇒アングロサクソン文明においては、個人主義によって親族優先諸衝動を弱化させた上で、人間主義的要請を注入することによって、社会の劣化や崩壊を回避しているのに対し、日本文明においては、人間主義によって親族優先諸衝動を非親族にまで向けさせることによって、社会の劣化や崩壊を回避している、という違いがある、と私は考えています。(太田)

 産業革命と市場資本主義・・すなわち、全球化・・以来、この業(わざ=feat)を最も成功を収めた形で成就したのは、法の支配と若干の度合いの民主主義的答責性と組み合わされたところの、近代国家であり続けた。
 我々が腐敗と呼ぶものは、実は、成功を収めた諸制度の不完全な実現(ないし不在)のことなのだ。
 この著作の最初の部分は政治的朽廃に充てられているところ、それは、公共的諸制度が、時の経過とともに硬化し、家督的諸衝動の生来的再確約(reassertion)を馴致(manage)させることが次第に不可能になっていくことを証明している。」(G)

 「ブルジョワがいなければ民主主義もない」とハーヴァード大の理論家のバリントン・ムーア・ジュニア(Barrington Moore Jr.)<(注8)>は有名にも記した。

 (注8)1913〜2005年。「<米>国の社会学者。専門は、歴史社会学、近代化論。・・・ウィリアムカレッジ卒業後、1941年、<エ>ール大学で博士号取得。戦時中、Office of Strategic Servicesおよび<米>司法省に勤務。シカゴ大学を経て、1951年からハーヴァード大学教授。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2

⇒ハンティントンもムーアも、スタンフォード大学留学(1974〜76年)中に政治学科で初めてその名前を知った学者でした。同大学で、私の恩師であったノブタカ・イケ(1916〜2005年)、
http://en.wikipedia.org/wiki/Nobutaka_Ike
私に、君、マジ、学者になれるよ、と記してくれたガブリエル・アーモンド(1911〜2002年)、
http://en.wikipedia.org/wiki/Gabriel_Almond
当時、同大日本研究センター所長であったロバート・ウォード(1916〜2009年)、
http://journals.cambridge.org/action/displayAbstract?fromPage=online&aid=7528704&fileId=S1049096510000399
の3先生を含め、全員、奇しくも21世紀の最初の10年間に相次いで鬼籍に入られたところ、当時の思い出が蘇ります。(太田)
 
 フクヤマは、世界全体で中産階級が、2009年の18億人から2030年には49億人になると予測されている、との諸数字を引用する。
 彼らの所得が高まると、彼らは、自分達の財産を守る(protect)ために法の支配を要求し、次いで、自分達の社会的立ち位置(standing)を保護する(safegurad)ために政治的参加を要求する、と主張する。
 彼らは、自分達の経済的諸利害を防衛(defend)するためだけではなく、道徳的諸理由のためにそうするのだ、と。
 一定の水準の地位(status)と収入を超えると、人々は、専制的統治の諸システムが彼らを従順でない子供達のように扱った時に侮辱されたと思うようになるからだ、と。」(H)

 「戦争は、依然、政治的発展の偉大なるエンジンだ。
 なぜなら、それは、国家に権能を与える(empower)ことができ、そのことによって、戦いが終わった時に民主主義に適した存在へと仕立てるからだ。
 これが、第一次と第二次の世界大戦が終わった後に起こったことだ。
 逆に言えば、平和は代償を伴う、ということだ。
 フクヤマは、ラテンアメリカ諸国の諸政治は、その大陸が最悪の全球的紛争に巻き込まれなかったからこそ、しばしば、ひどい機能障害を起こすのだ、と主張する。・・・
 <つまるところ、>平和は危険だし戦争は地獄だ<というわけだ>。
 この物語には、慰めとなるものが殆んどない…。」(I)

(続く)