太田述正コラム#7304(2014.11.15)
<インダス文明・瞑想・ヨガ(その1)>(2015.3.2公開)

1 始めに

 昨日完結した「宗教の暴力性?」シリーズで取り上げたアームストロングの本からの引用で、この本の中に、「インドでは、ヨガは略奪(plunder)と強奪(pillage)の儀典的準備を意味した」というくだりがある旨紹介されており、これを裏付けるような記述をネット上ですぐには発見できなかったのですが、仏教と結び付けられている瞑想に比べ、我々日本人の感覚からすると、瞑想的要素も含まれているにもかかわらず、ヨガに対する英米の知識人の現在の評価は低いのかも、という印象を持ちました。
 (ちなみに、この本を巡るアームストロングのインタビューが新たに掲載されていたのです
http://www.latimes.com/books/jacketcopy/la-ca-jc-karen-armstrong-20141116-story.html#page=2
が、紹介するほどの内容はありませんでした。)

 そこで、本日のディスカッションで示唆したように、「(仏教的)瞑想とヨガとはどこが違うのか」を考えてみたいと思いたったのですが、調べている過程で、「どうしてインダス文明は農業文明だったのに人間主義的文明たりえたのか」という、かねてからの疑問への仮説的な答えを思いついたので、これらについて、コラムにまとめることとした次第です。
 とにかく、以下述べることは、全てが仮説であると言っても過言ではないだけに、皆さんの活発なコメントや積極的批判を期待しています。

2 インダス文明

 ヨガの日本語ウィキペディアには、次のような記述があります。

 「<ヨガは、>・・・インダス文明に、その遠い起源をもつ可能性が指摘されている。同文明の都市遺跡のモヘンジョ・ダロからは、坐法を組み瞑想する神像や、様々なポーズをとる陶器製の小さな像などが見つかっている。」
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC

 ちなみに、ヨガの英語ウィキぺディアにも、「ヨガの起源はヴェーダ期よりも前のインドの諸伝統にまで遡るとの推測がなされてきた」
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Yoga
という記述があるところです。
 そこで、私は、以下のように想像を膨らませてみました。
 インダス文明(5,300年前〜3,300年前。最盛期は4,600年前〜3,900年前))
http://en.wikipedia.org/wiki/Indus_Valley_Civilization
の人々は、「坐法を組み瞑想」した、つまりは、念的瞑想(仏教的瞑想)・・サマタ瞑想ないしヴィパッサナー瞑想+サマタ瞑想・・を実践したのであり、そのおかげで、彼らは、農業文明下での非人間主義化を免れていた、と見るわけです。
 彼らは、同時に、ヨガの原型であるところの、「様々なポーズをと」って体操・・柔軟体操やストレッチ・・もやっていた、とも見るわけです。
 どうして、農業文明は数多あれども、(そもそも非人間主義化しないメカニズムを内包していた日本文明は別にして、)インダス文明だけが、(しかも、長江文明等の稲作文明に比べて相対的に非人間主義度の高い麦作(小麦/大麦作)文明であった(上掲)というのに、)念的瞑想を「発見」し、非人間主義化を免れることができたのでしょうか。
 インダス文明には外敵がいなかったのではないか、ということを以前記したところですが、この際、このことをもう少し敷衍してみましょう。
 まず、「アジアでは、<4,000年前>頃から中国のオルドスや華北へ遊牧民の北狄が進出し」た
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5
というのですから、インダス文明に遊牧民の脅威があったとは考えられません。
 最初に猛威をふるった遊牧民として、匈奴、スキタイ、キンメリアがあげられます(上掲)が、匈奴が遊牧国家を形成したのは2,200年前であり、時代が違うし場所も遠く離れています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4
し、「スキタイ(Scythae・・・)は<2,800年前〜2.300年前>にかけて、ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族および遊牧国家」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4
ですが、これも少なくとも時代が違いますし、南ウクライナのキンメリアも、勢力が盛んだったのは2,900年前であり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA
時代がやはり違います。
 肝心なのはこれからです。
 インダス文明人はドラヴィダ人であったという有力説(上掲)に拠ることとし、インド亜大陸の東方及び南方には狩猟採集生活を送っていたところの、同族のドラヴィダ人がいた、と想定するわけです。
 どうして彼らが狩猟採集生活を送っていたかですが、「小麦・・・は、温帯から亜寒帯にかけて栽培され」る作物ですし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%82%AE
「大麦<は>・・・寒冷と乾燥を好む」作物
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%82%AE
ですから、高温多湿のヒンドゥスターン大平原では当時農業社会は形成されていなかったと思われるからです。
 (高温多湿地域に適した稲作は、約1万年前に長江流域で始まり、水田稲作も約8,000年前に同流域で始まっていますが、朝鮮半島や日本への伝播すら約3,000年前であり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C
インダス文明の頃にはインド亜大陸へは伝播していなかったのではないでしょうか。)
 さて、私は狩猟採集社会の人々は人間主義的であったと考えているところ、それがゆえに、インダス文明の人々は、この同族から攻撃を受けることがなかったと思われる上、インダス文明の人々の間で、農業社会化に伴う非人間主義化傾向が現れる都度、人間主義を維持していた同族との交流を通じ、彼らは、反省を余儀なくされ、一体自分達はどうなってしまったのか、と沈思黙考する者が現れ、そのような背景の下で、念的瞑想が再人間主義化させてくれることを「発見」した、と私は想像したのです。
 
(続く)