太田述正コラム#7286(2014.11.6)
<米国知識人のロシア認識(その2)>(2015.2.21公開)

 「<プーチンの側近・・・は、>・・・NATO加盟国のエストニアやラトヴィアのような、米国に支援されているところの、諸国の中で運用されている「ソフト・アパルトヘイト」を見る・・・。
 彼は、そこでは、ロシア語をしゃべる人々は差別されているというのに、米国は何も言わないと語る。
 彼にとっては、これは間違いなく米国がロシアを支配(dominate)しようと願っている兆しなのであり、こういったことをロシア人達は許容しないだろう、と。
 そして、スウェーデンのカール12世、<プロイセンの>フリードリッヒ大王、ナポレオン、及び、ヒットラーに言及した。
 <彼は、>「ロシアの運命(fate)は、」それを支配(rule)しようとする「いかなる超大国をも滅ぼすところにある」と語るのだ。」(PP65)

⇒緩衝地帯を実効的なものにし、恒久化するための、尖兵が、緩衝地帯に送り込まれたロシア人であるところ、彼らを駆逐するような政策を緩衝地帯の政府がとることも、また、かかる政府を緩衝地帯外の欧米の国が支援することも、ロシアに対する侵略とみなす、とホンネに近い気持ちをプーチンの側近が吐露しているわけですが、このコラムの筆者らが、こんな言について、妄想として聞き流しているのは明らかです。
 なお、カール12世、ナポレオン、ヒットラーの3名を、ロシアの中心部の侵略を企て、それに失敗した君主として並記する「伝統」がロシアにはあり、
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_XII_of_Sweden
この側近はその「伝統」に従い、それにフリードリッヒ大王を付け加えているわけですが、カール12世が1700年に北方戦争を開始した時に、それをイギリスが後押しをしたこと(上掲)、啓蒙主義が欧州のイギリス継受の試みであってフリードリッヒ大王が「啓蒙」専制君主の代表格であったこと、ナポレオンとヒットラーが、欧州のイギリス超克の試みであるところの、ナショナリズムとファシズムの、それぞれ、代表的推進者であったこと、からして、プーチンのロシアが、プロト欧州文明への回帰を名実ともに目指している、とする私の指摘の信憑性が、自分で言うのも何ですが、一層増すというものです。(太田)

 「マクフォールは、プーチンが極めてイデオロギー的であると考えている。
 「人々はプーチンを実際的(pragmatic)で外交政策において一種の現実主義者(realist)であると評(call)している。<しかし、>私は、それは文字通り(exactly)誤りである、と考えている」と。
 クリミア紛争の2か月半前に、マクフォールは、プーチンについて、「私は彼を信じ難いほどイデオロギー的であって、彼のイデオロギーが合理性の邪魔をしている」とも言っていた。」(PP66)

⇒その対象が人間であれ国家であれ、非合理と合理の複合的存在なのであって、マクフォールによる、このような、特定の外国についての、あれかこれかの二値的評価はおかしい、と言うべきでしょう。
 それに、そもそも、人間や国家によって、非合理と合理の定義も両者の線引きの位置も異なっています。
 プーチンのロシアがもっぱら非合理的存在であると見る自分、或いは米国の知識人一般こそ、全球的観点からは非合理的存在なのかもしれない、という思考実験が彼らにはできないとみえます。
 累次申し上げているところの、(故郷を捨て去って米国に到来したところの、大部分の)米国人には、(故郷にとどまったところの)外国人のことが理解できないこと、に加えて、米国人が、文明において対蹠的な存在から安全保障上の脅威を受けたことがない(=唯一の脅威はイギリス)、という特異な歴史しか持たないことが、安全保障フェチのロシア人を理解することを二重に困難にしているのです。(太田)

 「<但し、マクフォールは楽観的だ。>
 彼の楽観主義は、部分的には彼の研究から来ている。
 過去100年にわたっての「圧倒的軌跡は、諸専制主義<国家>の絶滅と諸民主主義<国家>の成長と諸拡大に向けてのものだった<、だからロシアも民主主義国家になるだろう」と。
 残りの部分は、彼の本性から来ている。
 「私は楽観主義者であり、楽観主義はその定義からして、<実際の>諸結果がどうであったかとは関係がない」と彼は言う。

⇒語るに落ちた、といったところです。
 マクフォール自身、内心、ロシアが将来真の民主主義国家になるという確信が持てなくなっている、ということなのでしょう。(太田)

 民主主義について論じるたびに、マクフォールは、諸民主主義<国家>は諸専制主義<国家>よりも平和的であることを力説する。
 民主主義<国家>で民主主義<国家>と戦争をしたものはない、と。」(PP68)

⇒ここでは、前段とは違って、断定的ですが、遺憾ながら、二つの民主主義国家同士で戦われた日米戦争の存在が、ここでも、マクフォールの浅薄性を裏付けています。
 いや、仮にマクフォールの断定が正しいのだとすれば、当時の日米のどちらかが民主主義国家ではなかったのか、どちらかが一時的に専制主義国家化していたか、ということにならざるをえません。
 日本では首相がひっきりなしに代わったのに、米国では大統領がずっとローズベルトであったこと、日本では、世論は主戦論で政府も主戦論であったのに、米国では開戦直前まで、世論は圧倒的に非戦論で行政府だけが主戦論であったこと、の2点をとっただけでも、米国が民主主義国家ではなかった、或いは、米国が一時的に専制主義国家化していた、と言えそうですが・・。(太田)

 「その両親が第二次世界大戦後にハンガリーから亡命したところの、駐露米大使館武官・・・は、ロシア人のメンタリティを理解するためには、「カナダが支那で、メキシコが中央アジアとカフカスであったら」と想像してみることだという。
 「その場合、我々の世界の見方はどう変わるのかを」と。
 若干のロシア人達が真の脅威と感じるものを米国人達は妄想(paranoid)と見ているが、それが極めて異なって見えてくるかもしれない」と。」(PP64)

⇒この武官は、その出自からして、筆者やマクフォールよりはロシア認識の筋が良いものの、譬えの構想力がイマイチです。
 武官は、彼が挙げた譬えだけではなく、それに、米国の東海岸が欧州と陸続きで、イギリスに使嗾された、或いはイギリスかぶれの、或いはまた、イギリス・コンプレックスの元首を戴く欧州の大国から、次々に侵略を受けてきた、とも想像してみよ、と少なくともつけ加えなければならなかったのです。
 もとより、それだけではまだ不十分なのであって、そこに更に、支那(モンゴル)と中央アジア/カフカス(イスラム教)が複合したところの対蹠的な文明を持った存在による、タタールの軛下の2世紀に及ぶ艱難辛苦についても言及しなければならなかったのです。(太田)

(続く)