太田述正コラム#7262(2014.10.25)
<露・日・印は同類?(その1)>(2015.2.9公開)

1 始めに

 パンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra)(注1)(コラム#5646、5741、5907、6241)の論考については、これまで、好意的に紹介した場合(コラム#5907)も批判的に紹介した場合(コラム#6241)もありますが、本日の、内容的には表記の論考
http://www.nytimes.com/2014/10/25/opinion/pankaj-mishra-nirandra-modis-idea-of-india.html?ref=opinion
には呆れてしまい、20歳も年下の彼といえども、ここは一つ根底的批判を加えざるべからず、と思い立った次第です。

 (注1)1969年〜。印アラハバード大卒、ジャワハルラル・ネール大修士(英文学)。仏教をテーマとする米国で受賞した小説で英語圏デビューを果たす。今年には、米国でノンフィクション部門の賞も受賞。この間、英米の高級紙や高級雑誌で評論家として活躍。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pankaj_Mishra

2 ミシュラの指摘

 「1976年に、V.S.ナイポール(Naipaul)(コラム#2646、2826、2828、2832、4682)は、インドは「傷ついた文明である」と宣言した。
 インドの政治的かつ経済的な機能不全は、より深い知的危機を隠ぺいしている、と。
 その証拠として、彼の祖先の国を1962年に初めて訪問した時以来、上級カーストたる中産階級のヒンドゥー教徒達の間において彼が気付いた若干の奇妙な症候群を、彼は指摘してきた。
 これらの、生まれの良いインド人達は、「洋物(phoren<:foreignのインド訛り>)」の諸消費財、及び、欧米から認知されること、に夢中であること、並びに、「外国の手(foreign hand)についての尊大な(self-important)妄想(paranoia)、という本性を表した、と。
 <すなわち、>「外国に係る備忘用伝票(chit)抜きには、インド人達は自分達自身の現実(reality)を確認(confirmation)することができないのだ」とナイポール氏は結論付けたのだ。
 ナイポール氏は、自分達の<古からの>聖典群は欧米科学の諸発見と諸発明を既に含んでいるのであって、その古代の智慧によって再活性化したインドは遠からず退廃している欧米を打ち負かす(vanquish)だろうと主張したところの、多くのヒンドゥー教徒達のやっかいな(prickly)虚栄心にもまた、ぞっとさせられた(appalled)。
 (戦士カーストである)クシャトリヤの倫理を通しての国家形成を奨励した(exhortation)おかげで、インドの新しいヒンドゥー教ナショナリストたる統治者達の中心的偉人(icon)へと仕立て上げたところの、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)<(注2)>のような19世紀の宗教的復興論者(religious revivalist)達の「黙示論的なヒンドゥー教の言辞(terms)」に、ナイポール氏は、とりわけ、警戒心を抱いた(wary)。

 (注2)1863〜1902年。「インドの宗教家。ヨーガ指導者。・・・彼はラーマクリシュナの主要な弟子であり、ラーマクリシュナ僧院とラーマクリシュナ・ミッションの創設者である。彼は師の教えを知性によって体系化し、世界に通じる言葉として発信した。・・・西ベンガル州の州都カルカッタ(以下コルカタ)・・・に、クシャトリヤ階級の貴族の子として生まれた。・・・父の職業は高等裁判所の弁護士だった。・・・コルカタの長老協会研究所(ゼネラル・アッセンブリー・インスティテューション)、のちのスコティッシュ・チャーチ・カレッジで哲学を学ぶ。教科課程の間、彼は西洋論理学やジョン・スチュアート・ミル、スペンサー、ヘーゲルなどの西洋哲学、ヨーロッパ諸国の歴史を勉強した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%80

 ナイポール氏は一般化し過ぎているけれど、彼が、上級カーストたるナショナリストの原我(イド=id)<(注3)>の地図を作成したこと(mapping)が、知的不安感(insecurity)、混乱、及び攻撃性という、有用なるミーム<(注4)>を創造したことは確かだ。

 (注3)フロイトにおけるエス(Es)、すなわち、「無意識的防衛を除いた感情、欲求、衝動、過去における経験が詰まっている部分・・・本能エネルギーが詰まっていて、人間の動因となる性欲動(リビドー)と攻撃性(死の欲動)が発生していると考えられている部分」、のラテン語訳。ちなみに、自我(das Ich)は、「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」、超自我(Uber-Ich)は、「自我とエスをまたいだ構造で、ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想などを自我とエスに伝える機能を持つ」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91
 (注4)「 (模倣のように)非遺伝的な手段によってある人から別の人へ渡される文化的単位(アイデア、価値または行動パターン)」
http://ejje.weblio.jp/content/meme

 そして、<今日、>このミームは、<インドにおいて、>次第により多く、再び、認識されるに至った、
 今日のインドのナショナリスト達の新しい世代は、被害者意識(victimhood)と狂信的愛国主義(chauvinism)との間を、よろめきながら、しかも、不吉な意味合いをもって(with ominous implications)、進んでいる。・・・
 インドの新首相であり、ヒンドゥー教ナショナリズムの<政党である>BJP(Bharatiya Janata Party)の主たるイデオローグであるところの、ナレンドラ・モディ(Narendra Modi)が、古からのヒンドゥー教徒の、イスラムと英国の統治の下での奴隷としての1000年超と彼が呼ぶところの、怒りと恥(rage-and-shame)に燃料をくべている<のは、まさにその表れなのだ>。

⇒ここまでの、インドについてのミシュラの指摘は、いささか衒学的な臭みはあるものの、概ね的外れではありません。(太田)

(続く)