太田述正コラム#7252(2014.10.20)
<2014.10.18東京オフ会次第(続々)>(2015.2.4公開)

 (サウディアラビア、イラン、ソマリアでは現在でも首切り刑を行っている話をコラム#7251で記した。)
 オバマ大統領が、たった二人の米民間人を殺されただけで、米世論に突き上げられる形で、対Isis戦争をおっ始めたのを見て、日本が日支戦争を本格的に開始したことや、とりわけ、その初期において日本兵が盛んに支那人に対して蛮行を行ったこと、を欧米人に説明するのは簡単だな、と思った。
 第二次上海事変でもって日支戦争は本格化したわけだが、その前に、日本人虐殺事件が立て続けに起こっているからだ。
 しかも、虐殺された数は何百人にも上る。
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[参考]

 (最後から一つ目は若干軍人も含まれており、最後のは軍人だけだが・・。)

成都事件(1936.8.24):四川省成都で日本の民間人襲撃2名殺害、2名重傷。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%83%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
北海事件(1936.9.3):広東省北海で日本の民間人1名襲撃殺害さる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6
通州事件(1937.7.29)(コラム#5265、5323、6260、6268):盧溝橋事件(1937.7.7)直後に北京郊外の通州で日本人襲撃、兵士10名、民間人212〜213名(女性・子供を含む。朝鮮人が約半数)が惨殺された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
大山事件(1937.8.9)(コラム#6260、6262、6268):上海で日本の将校1名と水兵1名が蒋介石政権の保安隊によって射殺され、第二次上海事変のきっかけの一つになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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B:太田さんは中村修二氏に批判的だが・・。
O:彼の批判はさんざんやったので繰り返さない。
 私は、そもそも、彼に比べて、(法律知識についてもそうだが、)裁判経験が豊富・・自分の方が最初にアクションを起こしたことはないが・・であるところ、私が経験した最後の裁判では、一審の判決が、私にとって著しく不利な、杜撰なものだったので、その時点で、頭に来て、日本の司法制度(裁判官批判、弁護士批判を含む)を批判するコラムを書こうかと思った(・・控訴したから裁判が継続中だったわけだが、有料読者向けに書いて裁判が終わってから公開すれば問題はない・・)のだが、思いとどまってよかった。
 二審で、一審より桁違いに私に有利なラインで裁判所側から調停案が示され・・ここまでは、中村サンの裁判の場合とは正反対の経過を辿ったわけだ・・、にもかかわらず、私の方で調停不調にした後、この調停案より更に私に有利で概ね私の当初の希望通りの判決が下され、それが確定し、私の認識が改まったからだ。
 私は、(裁判官の質にばらつきがあるため、高裁の方が一審よりも相対的にまともな裁判官が充てられていると想定されるところ、当然のことながら、高裁において、一審よりもまともな判決が下される可能性が高いのだなあ、と自分で合点したことはともかくとして、)一審と二審との著しいぶれ(、及び、それより前に別の二つの裁判を連続して経験した際、その二つがほぼ同じ事件が対象であったというのに、法理論的に正反対と言っていいような内容の判決が下されたこと、)に注目し、日本の裁判官の裁量の幅の大きさ、換言すれば、裁判官が羈束されるはずのルール(民法、判例等)の羈束性の弱さに瞠目させられたのだ。
 そして、これほど丁寧に個々の裁判に裁判官が取り組めるというのは、民事刑事を問わず、訴訟が諸外国に比べて少ないからではないか、また、それに加えて、とりわけ民事事件の場合、原告、被告双方において、悪の権化のような訴訟参加者が、やはり諸外国に比べて少ないからではないか、と考え、これは、日本が人間主義社会だからこそである、という判断に到達した次第だ。
A:太田さんは外務省にも批判的だが・・。
O:日本の外務省批判についても、さんざんやってきているので繰り返さないが、一般的に言って、現在の外交官制度は、もはや時代遅れだ。
 在外公館の意義は、世界が小さくなり通信環境も整備された現在、著しく低下している。
 連絡事務所的なものや情報/諜報拠点的なものは必要だが、大使以下の外交官に高給をはずみ、大使等を豪邸に住まわせ、彼らに贅を尽くしたパーティーやディナーを高頻度で公費でやらせる必要などなくなっている。
 こんなものは、中世や近世の欧州の宮廷外交の悪しき名残りにほかならない。
 外務省に入った人間は、若くして在外勤務になった途端、現地の同国人社会に君臨するところの、外交団の一員となって、高給と公費でもって贅沢な生活を送るが、それを当たり前だと思い、スポイルされて行く。
 (日本の場合で言えば、小和田恆や加藤良三が典型的な例だ。)
 余りに居心地がいいせいか、日本の場合、代々外交官というケースがやたら多い。
 (当時駐英大使館筆頭参事官だったかの前駐米大使の藤崎一郎氏の自宅に、私は、英国留学中に招かれたことがあるが、「私は美術品収集が趣味でして」と美術品陳列キャビネを指さされたのにはたまげてしまった。彼、決して悪い人間ではないのだが・・。)

(続く)