太田述正コラム#7234(2014.10.11)
<宗教の暴力性?(その4)>(2015.1.26公開)

 「<宗教>信者達と<宗教>批判者達が双方ともしばしば勘違いしているのは、宗教というものは、諸信条と諸勤行(practices)に係るものというより、はるかに、アイデンティティに係るものだ、という点だ。
 「私はイスラム教徒だ」、「私はキリスト教徒だ」、「私はユダヤ人だ」等々の文句は、しばしば、ある人が信じたりどんな儀典を彼または彼女が励行するのか、についての描写というよりも、その話者が、世界の中における彼女または彼の立ち位置(place)をどのように見ているかの描写なのだ。
 アイデンティティの一つの形(form)として、宗教は、文化、民族性(ethnicity)、国籍、性、そして性的傾向(orientation)、といった、ある人の自己理解を構成する他のあらゆる諸要素と分かちがたく結びついているのだ。・・・
 いかなる宗教も真空の中で存在しているわけではない。
 その逆なのであり、あらゆる信仰は、それが植えられた土壌に根を生やしているのだ。
 信仰の人々が、彼らの諸価値を主として彼らの聖典群から抽出している、と信じるのは誤りだ。
 本当のところは、その反対なのだ。
 信仰の人々は、彼らの聖典群に、それら聖典群を、彼ら自身の、文化的、民族的、ナショナリズムの諸展望(perspectives)、そして、実に、政治的な諸展望、のレンズを通して読むことで、彼らの諸価値を挿入するのだ。・・・

⇒キリスト教の場合、プロテスタント諸派にはそのような側面もあるが、最も信徒数の多い宗派であるカトリシズムの場合、プロト欧州文明時代においても、また、カトリシズムがとりわけ全球的に布教された欧州文明時代においても、(中南米諸国における解放の神学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E6%94%BE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%AD%A6
のようなケースは別にして、)信徒の側が地域的等の特性に基づく「諸価値を」「聖典群」の解釈に「挿入する」ことは基本的にありえなかったし、イスラム教においても、最も信徒数の多い宗派である、スンニ派に関しては、サラフィー主義的な意味で真正イスラム教の内容は基本的に明確であって、事情は同じだ。(ただし、スンニ派においては、地域的等の特性に基づく、イスラム教以外の宗派との混淆等に由来するところの、非真正化が見られるところだ。)
 つまり、このコラムの筆者は、キリスト教やイスラム教の少数派の事情を一般化して論じているわけであり、いかがなものかと思う。(太田)

 <聖典類の記述に矛盾があることが、それを可能にしている理由の一つだ。>
 ユダヤ人達に対して「汝の隣人を自分自身のように愛せ」(レヴィ記19:18)と命じる聖書は、他のいかなる神を崇拝する者も「男と女と子供と幼児と牛と羊とラクダとロバとを全て殺せ」(第1サムエル記15:3)とも熱心に勧める。
 彼の使徒達に「もう片方の頬」(マタイ福音書5:39)と言った同じイエスは、自分は、「平和ではなく剣をもたらすためにやってきた」(マタイ福音書10:34)、そして、「剣を持っていない者は自分の外套を売って一つ購え」(ルカ福音書22:36)、とも彼らに言った。
 信者達に、「お前が一人の人を殺すならば、それは、全人類を殺したようなものだ」(コーラン5:32)と警告した同じコーランが、「偶像崇拝者達は、お前が彼らを見つけ次第殺害せよ」(同9:5)とも彼らに命じている。」
http://www.nytimes.com/2014/10/09/opinion/bill-maher-isnt-the-only-one-who-misunderstands-religion.html?ref=opinion
(10月9日アクセス)

⇒一般論として、コーランにも、(コーランを含む)諸啓典にはもっと、そして、コーランよりもはるかに複雑な構成の聖書にはそれよりも更に、矛盾する記述が含まれているわけだが、ここで挙げられたものは、いずれも、人類において普遍的に見られるところの、ウチ(信者間)とソト(対異端ないし異教徒)での倫理の使い分け以外の何物でもなかろう。
 どうして、このコラムの筆者が、そんな単純なことに気付かなかったかだが、島国でしかも人間主義の日本人には、英語のstrangerに相当する言葉がない
http://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/485/1/jinbun125-07.pdf
ことから、非strangerの間での微妙な違いに係るウチとソトという概念を生み出したのに対し、欧米はstrangerと非strangerにこだわる余り、そのような概念を生み出さなかったためではないか、という気がする。(太田)
 
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(続く)