太田述正コラム#7222(2014.10.5)
<香港の騒動の正体>(2015.1.20公開)

1 始めに

 10月3日のディスカッション(コラム#7217)中で紹介済みの「香港の騒動の背後にキリスト教諸教派がある、というもっともらしい<が、有料記事なので本文が読めない>記事」を引用したコラムがあったので、その部分訳をご披露し、私のコメントを付したいと思います。

2 香港の騒動の正体

 その前に、本日の別の記事の一部も掲げておきましょう。

 「<中共当局の香港の騒動についての見方>の背後には、ロシアと中共における公的思考の中に深く根を張っている物の考え方(mentality)が蟠踞している。
 独裁的な(authoritarian)頭の者にとっては、「自発性(spontaneity)」などありえないのだ。
 国家はあらゆる諸組織をコントロールできるし、しなければならないのだ。
 自発的に組織された(self-organized)群衆などというものは存在しないのだ。
 もし、人々が、香港の中心ビジネス街やキエフ<中心部>のマイダン(広場)(Kiev’s Maidan)のテント群の中で寝ているとすれば、誰かがその経費を支払うとともに、そう彼らを指示しているのであり、そうしているのが我らの国家でないとすれば、それは誰か他の者であるはずなのだ。・・・
 もとより、その大部分が学術的ないし慈善的であるところの、米国の多くの諸機関が、人権諸セミナーやジャーナリズム訓練を世界中の諸集団に提供していることは事実だが・・。」
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/foreigners/2014/10/beijing_blames_hong_kong_protests_on_united_states_why_dictatorships_blame.html

 「米国の多くの諸機関」が、今次香港での騒動に関し、経費を支払ったり指示したりしていないことは確かでしょうが、そもそも、これら諸機関のやっていることは、内政干渉すれすれの余計なおせっかいである、と言うべきでしょう。
 それはともかく、今次香港の騒動に関しては、まさに、経費を支払い指示している者がいること、従って、その限りでは、中共当局の見方は正しいことが、下掲のコラムによって、ほぼ明らかになったと言えそうです。

 「香港の民主主義志向の<今次>諸抗議に関して、私がこれまで読んだものの中で最も興味深いものの一つが、これまで比較的関心が向けられなかった側面に触れている。
 ウォール・ストリート・ジャーナルの一記事が、この運動の主要組織者達の若干についての宗教的背景に光を当てている。
 鍵となる人々の多くがキリスト教徒達であることが分かったというのだ。
 デモの開始と組織化に関して、鍵となる役割を演じてきた活動家集団の17歳の指導者たるジョシュア・ウォン(Joshua Wong)は、福音主義プロテスタントだ。
 <また、>主要な抗議集団であるところの、中央街占拠運動(Occupy Central)の3人の指導者達のうちの2人は、キリスト教徒達だ。
 <更にまた、>香港の元カトリック司祭がもう一人の大支援者だ。
 この記事は、「キリスト教は、諸デモにおける目に見える要素であり続けてきた。祈祷諸集団、十字架群、そして街路で聖書群を読む抗議者達・・。」と記している。
 これが全く予期できないことであるはずがなかった。
 WSJの報道者が記しているように、諸教会は、中国共産党が依然キリスト教徒達を中共市民達の忠誠心に係る<自分達の>競争相手達であると見ているところの、支那大陸部においてとは甚だ対照的に、「香港社会の構造(fabric)の中に深く組み込まれている(embedded)のだ。」
 ところが、ニューヨークタイムスやCNNのような、<米国の>他の指導的なメディア諸組織の多くは、この点に言及することを怠ってきた。
 これは、大きな欠落として私に衝撃を与える。・・・
 どうして、キリスト教要因に対してこのように殆んど関心が向けられてこなかったのだろうか。
 思うに、それは、無知と当惑(embarrassment)の組み合わせ<から>なのだ。
 欧米諸国の大部分のジャーナリスト達は、<宗教>懐疑論者達か世俗主義者達だ。
 彼らは、宗教的信条を古臭い(quaint)奇妙なもの(oddity)・・一種のエキゾチックなどうでもいいもの(irrelevance)・・と見なす傾向がある。
 そして、これらの欧州または米国出身の報道者達は、<自分達が、>キリスト教によって歴史的に形成された環境からやってきていることから、偏見を抱いているように見られることについてもまた、心配しているのだ。
 これは近視眼的だ。
 その諸起源においては、キリスト教は中東の産物であり、それが、ユダヤ教やイスラム教と丁度同じくらい「欧米的」になった、というだけのことだからだ。
 <しかも、>現代におけるキリスト教は、完全に全球的な存在だ。
 カトリック教会はローマに本部があるかもしれないが、今日においては、カトリック教徒達の過半を大きく超える教徒が、欧州や北アメリカの外に住んでいる。

⇒中南米に純粋な原住民など殆んど住んでいないというのに、ラテンアメリカをアフリカと一括りにするとは、なんと米国の知識人は、依然、偏頗な人種主義者なのでしょうか。(太田)

 <また、>福音主義プロテスタンティズムは、ラテンアメリカとアフリカに急速に普及しつつあり、そこにおけるキリスト教徒達は、自分達自身を、「欧米の諸手先」としてではなく、神の召使達として見ているのだ。
 同じことが中共についてもあてはまる。
 ・・・中共におけるプロテスタントたるキリスト教徒の数<は、>2010年には5,800万人であ<っ>て、ブラジルにおける数(4,000万人)よりも大きい。
 ・・・2025年には、中共が世界最大のキリスト教国になると予測する<学者までいる。>
 欧米のジャーナリスト達は、余り関心を向けていないかもしれないが、<この問題>は、中国共産党が決して間違いを起こさない諸問題の一つなのだ。
 同党は、宗教、就中キリスト教を、その最大の競争相手と見なしている。
 同党がそう見なしているのは恐らく正しい。・・・
 中共当局は、中共のキリスト教徒達を厳しい国家的コントロール下に置くことに巨大な努力を費やしてきた。・・・
 <中共では、>中共党員さえも含め、誰も、今日ではマルクス・レーニン主義を信じていないが、同党は、それに代わる堅固な価値体系にまだ出会っていない。・・・

⇒この筆者は、日本人が「堅固な価値体系」を持っていないと思っているようですね。(宗教的ではないし特定のイデオロギーも奉じていないと「堅固な価値体系」を持っていないと思い込んでいるのかもしれませんが・・。)
 そんな筆者にとって、中共当局が日本人の「堅固な価値体系」である人間主義を継受しようとしている、などということは、想像を絶することに違いありません。(太田)

 中共指導部は、東欧の共産党体制の没落に、法王ヨハネ・パウロ2世と彼のポーランドのカトリック教徒たる同胞達が演じた役割について、痛切に自覚している。・・・
 <また、>中共政府の統治者達は、1980年代に、韓国やフィリピンで独裁者達を打倒した民主主義志向諸運動において、それぞれの国のキリスト教徒達が、同様、大きな役割を果たした(prominent)ことも知っている。

⇒韓国に関しては、軍人政権を終わらせたところの、金泳三
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
や金大中
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD
がキリスト教徒であったことに着目するよりも、日本人としての教育を受けたことの方に着目すべきでしょう。(同じことが、台湾民主化を行った李登輝についても言えます。)
 また、フィリピンで、マルコスを追放した革命で、カトリック教会が果たした役割は限定的なものでしかなく、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9
フィリピンまで筆者は持ち出すべきではありませんでした。(太田)

 実際のところ、キリスト教徒達は、南アフリカの反アパルトヘイト闘争から米国の市民権諸運動(campaigns)に至る民衆の抗議諸運動において驚くほど重要な諸役割を演じてきた。
 もとより、自分達の諸立場を擁護するためにキリスト教教義を引用してきたところの、奴隷所有者達や独裁者達の諸事例で歴史は溢れている。・・・

⇒語るに落ちたといったところです。
 米国の奴隷制も南アフリカのアパルトヘイトも、キリスト教徒がキリスト教で正当化しつつ導入した制度だからです。(太田)

 <また、>今や、イスラム教が諸政府に挑戦する能力を完全に有していることに誰も注意喚起してもらう必要はない。

⇒熱心な信徒達が主導した「革命」は碌な結果をもたらさない、ということを言いたいがために、わざわざ、イスラム教まで持ち出したのか、と皮肉りたくなってしまいますね。(太田)

 <更にまた、>最近の東南アジア・・就中ビルマ・・の諸社会の諸激動(upheavals)を、仏教を考慮に入れずして想像することは不可能だろう。・・・

⇒ミャンマー(やタイ)では、国民の大多数が仏教徒であって、仏教徒たる青年男子全員が若い頃、一度は僧籍に入るところ、
http://ex-myanmar.asia/389
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
「革命」の担い手は古今東西青年なのですから、仏教が「考慮に入れ」られるべきは当然ではあるものの、だからどうした、と言いたくなります。(太田)

 私は、<香港で現在の騒動を指導しているキリスト教徒達>がその諸目標を達成することができ、その物語を生きて伝えることができるよう、心から願っている。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/10/04/hong_kongs_religious_revolutionaries

3 終わりに

 もはや、多言を弄する必要はありますまい。
 私が、上掲コラムの筆者の結論部分をもじれば、「<香港で現在の騒動を指導しているキリスト教徒達>がその諸目標を達成することはありえないし、そもそも彼らがその諸目標を達成することは好ましくないわけだが、いずれにせよ、彼らが、その挫折の物語を生きて伝えることができるよう、心から願っている」でしょうね。