太田述正コラム#7210(2014.9.29)
<中東イスラム文明の成立(その13)>(2015.1.14公開)

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<脚注:首切りを巡って>

 自国民2人の首切りでもって対Isis爆撃を決めた米国政府、そしてその決定を支持した米国民一般を窘める目的だと思うが、ロサンゼルスタイムスに、米国人自身も首切りをやってきたではないか、というコラムが出ていたので、大昔の話や、刑の執行として行われた場合を除いて、具体例を紹介しておく。

 「・・・アメリカ原住民とピルグリム達が最初の感謝祭で食事を共にしてからわずか2年後の1623年、ピルグリムの司令官のマイルズ・スタンディッシュ(Myles Standish)は、敵のインディアンの酋長の首を刎ね、プリマス砦の杭のてっぺんに突き刺した。・・・
 米軍の諸部隊は、1945年に日本兵の首を刎ね、写真撮影用に自分達の戦車の上にこの首を立て掛けた。
 米軍諸部隊は、1991年に同じことを一人のイラク人兵士に対して行った。・・・
 オバマが独裁者バシャール・アサドを失脚させるその闘いにおいて支援することを誓約しているところの、自由シリア軍も同じことをしている。
 アサドの「極端主義者」たる諸敵とは異なり、自由シリア軍は「穏健な」勢力である、ということになっている。
 ところが、にもかかわらず、自由シリア軍は、<この>9月に6人もの捕虜の首を切ったのだ。・・・」
http://www.latimes.com/opinion/op-ed/la-oe-zimmerman-beheading-history-20140929-story.html
(9月29日アクセス)

⇒自由シリア軍の大部分は、サウディアラビア等のワッハーブ派政権が資金援助等を行っているところの、真正イスラム教徒達であり、彼らは、(このコラムの引用しなかった部分にも出てくるところの、サウディアラビア自身が首切刑を行っていることも踏まえ、また、当然のことながら、ムハンマドが捕虜に対する首切りを認めた伝承も踏まえ、)何の抵抗感もなく、これをやってのけただろう。
 つまり、自由シリア軍の構成員の大部分も、早晩、現在のワッハーブ派から、アルカーイダ系に転換し、更にはIsis系へと転換して行く、と見た方がよかろう。
 この限りにおいては、アサドが当初から発していた警告は正しかった、ということになりそうだ。(太田)
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<脚注:イエメンの現状>

 「アルカーイダに繋がりがある自爆者が、その運転する爆発物で一杯の車をイエメンのシーア派<系の>運動体の基地として使われている病院に日曜に乗り付け、少なくとも15人の人々を殺害した。・・・
 <この運動体の>戦闘員達は、スンニ派の<与>党に忠誠を尽くす兵士達との4日間の戦闘の後、<首都>サヌア(Sana)を9月21日に奪取した。
 彼らは、彼らが・・・大統領との間で彼らのメンバー達のうちの何名かを政府に入れる協定に彼らが署名したにもかかわらず、爾来、この首都からの撤退を拒否してきた。・・・
 アラビア半島のアルカーイダの地方支部である、アンサール・アル=シャリーア(Ansar al-Shariah)は、その公式ツィッター上でこの攻撃に対する責任を主張した。
 土曜日に、この集団は、サヌアの米国大使館近くに着地したロケットを発射したと述べた。」
http://www.nytimes.com/2014/09/29/world/middleeast/qaeda-group-attacks-shiite-base.html?ref=world
(9月29日アクセス)

⇒イエメンは、「人口は1994年で1267万人、アラブ人が98%でアラビア語を話す(但し出生届が十分に整備されていないため概算となる)。・・・
 国民ほぼ全てがイスラム教信者で、スン<ニ>派が[65%]、シーア派が[35%]である。<但し、>シーア派の大半はスン<ニ>派とほぼ同じ教義を持つザイド派[Zaidi]である・・・
 [スンニ派は南部および南西部、シーア派は北部と北西部に多い。]
 1990年5月<、>北イエメン、南イエメンが合併し、現在のイエメン共和国が成立。成立したイエメン共和国の初代の大統領として北イエメン大統領を務めていたアリー・アブドッラー・サーレハが務めることになる。
 1994年5月<、>旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発。しかし、南側勢力は国際的な支持を得られず、約2ヶ月で鎮圧される・・・
 2000年10月<、>旧南イエメンの首都であったアデンにあるアデン港で、イスラム原理主義勢力アルカーイダによる米艦コール襲撃事件が起こる。・・・
 2011年1月<、>チュニジアでのジャスミン革命、エジプトでの民衆革命に影響を受けて市民による反政府デモが発生(アラブの春、2011年イエメン騒乱)。この結果、サーレハ大統領は退陣し、ハーディ副大統領が翌年2月の暫定大統領選挙で当選<し、現在に至る>。・・・
 他のアラビア半島の諸国に比して近代化が進んでいるとはいえ、イエメンもまたイスラームの保守的解釈から来る人権侵害と無縁ではない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%B3
http://en.wikipedia.org/wiki/Yemen#Religion ([]内)
 ここから見えてくるのは、対米攻撃から出発したイエメンのアルカーイダ系組織が、アラブの春による民主化の一層の進展を背景とする、政権の更なる真正イスラム教化を踏まえ、政権に助け舟を出して事実上権力の一翼を担うという形で、Isis的なものへ移行しつつあるという構図だ。
 これは、イエメン国内でスンニ派がシーア派との間での構造的な南北対立問題の下にあるということに鑑みれば、まさに、(イラク、シリアの両シーア系政権打倒を当面の目標としている)Isisの動きに、呼応し、追随したものであるとも言えそうだ。(太田)
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(続く)