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太田述正コラム#7174(2014.9.11)
<新しい人類史?(その4)>(2014.12.27公開)

 (3)一神教批判

 「「リベラル・ヒューマニズムは、一神教的基盤の上に構築されている」とハラリは指摘する。
 魂、及び、人間達に創造主たる神によって与えられた(accorded)世界の中での特権的な位置を奪ってしまえば、人間達が極めて特殊であることを説明するのは困難になる。
 人間の諸起源に関する諸事実に立脚した思考実験を我々が行うならば、この任務は一層困難となる。
 我々は、自分達自身が人間の諸種中の唯一のものだと考えることに慣らされている。
 しかし、その歴史の大部分を、人類は、この惑星を、幾つかの人間類似の生物(humanoid)・・ネアンデルタール人達は単にそのうち最も良く知られているというだけだ・・と分かち合っていた。
 「百万年前の地球上には少なくとも人間(man)の異なった6つの種が徘徊していた」とハラリは記す。
 仮に、これらのうち若干、或いはこれらの全部が我々自身とともに現在まで生き残ったとしよう。
 <その場合、>幾何かの特有の(peculiar)の先験的な価値を持っているがゆえに、自然世界の残余とは区分されている、と<我々が>心に抱いている(cherished)感覚は一体どうなるのだろうか。
 人間のユニークさは、進化の偶然(accident)が生み出した(spawned)神話に過ぎないのだ」とハラリは結論付ける。」(A)

⇒こんなわけの分からないことを言っていることからすると、ネアンデルタール人は、黒人を除く、現在の人間の祖先でもある(コラム#7169)ところ、ハラリはこのことを知らないのかもしれませんね。
 一神教の人間観、世界観の歪み、で全ては説明できると思います。(太田)

 (4)進歩史観批判

 「今日の大部分の人々にとって、歴史は、脳の力の増大によって燃料がくべられたところの、人間の前進(advance)の物語だ。
 <しかし、>ハラリにしてみれば、これは単なるもう一つの神話に過ぎない。
 人間達(human beings)が時とともにより知性が増してきたという証拠はないし、歴史上の最大の諸変化の大部分は生活の質の増進を伴わなかった。
 <後で再度取り上げるところ、>農業革命は偉大な前進と喧伝されているが、「平均的な人にとって、その諸不利益は恐らくその諸利益を上回っていたことだろう」。
 大部分の人間達にとって、農業への遷移はより良い選択肢(choice)ではなく罠(trap)だった。
 狩猟採集<社会>は失われてしまったエデンの園(Eden)でこそなかったけれど、より少ない自由時間(leisure)とより大きな飢餓と疾病のリスクが伴うところの、<農業社会の>農民の生活はより悪かった<からだ>。
 では、一体どうして、農業を抱懐した諸社会は拡大して狩猟採集者達を世界の諸辺境へと追いやったのだろうか。
 それは、農業は、領域一単位あたりでより多くの食糧を提供したので、かかる諸社会に数的優位を与えたからだ。
 「この、より悪い諸条件下でより多くの人々を生存させ続ける能力、こそ、農業革命の本質なのだ。」」(A)

⇒この、農業革命は人間にとって最大の不幸をもたらした、ということに関しては、ハラリの見解に完全に同意です。(太田)

 (5)人類史概観

 「肉はエネルギーを与え、食べ物を探し回る時間を減らした。
 でかい脳を養う(power)ためには甚だ沢山の葉っぱを食べなければならない。
 だから、我々は、草食の類人猿であることを約250万年前に止めた。・・・
 ・・・<また、我々は、>直立し、その代償として、「背中の痛みと肩こり」を得た。
 <更に>また、<我々は、>火を扱うことで、諸動物を統制するとともにそれらを料理する能力を与えられた。・・・
 誰が信頼できるか(、そして誰が信頼できないか、)についての情報の交換は、言語を生み出す触媒となった。
 これは、・・・ハラリが認知(Cognitive)革命と呼ぶところのものを開始させ、その後、農業革命と科学革命が続いた。
 この三つ<の革命>は歴史の大きな時代を画すことになる。
 どちらかというとかすかな声で、ハラリは、我々の最良の日々は過ぎ去ったことを示唆するに近いことを述べている。
 我々がエデンの園において狩猟採集をやっていった頃、我々は、より健康で、より自由な時間を持ち、より搾取されていなかった、というのだから。・・・

⇒このあたりは、ハラリと私の感受性が極めて似通っている感があります。(太田)

 人類(Homo sapiens)は「生態学的連続殺人鬼」だ。
 「サピエンス(sapiens)」は賢明(wise)という意味だが、我々は笑ってしまうほどそうではない。
 我々の最初の犠牲者達は、ぞっとするような兄弟殺しがなされたところの、ネアンデルタール人達のような、地球を徘徊していた親類たる人間諸種族であった可能性が高い。
 次いで、我々は、大型植物種、マンモス群、そして大なまけもの群(giant sloths)を殺戮したが、当時は、我々はこの青い惑星上のあらゆるものを相当多く絶滅させたのだ。

⇒これでは、狩猟採集社会「エデンの園」説とはほど遠い印象がありますが・・。(太田)

 人間諸事象のもう一つの傾向は、権力の集中だ。
 すなわち、諸部族は諸民族(nations)、諸民族は諸帝国、そして諸帝国は今日の「多エスニック(ethnik)選良」の統制下にある全球的資本主義によって、それぞれ置き換えられてきた。
 ハラリは、最後のものに関してはカール・マルクスに負っているが、アルカーイダとIsisは、この欧米の流儀(way)が最良の流儀であるとはいまだに確信を持っていない。

⇒全面的に首肯できませんが、ここではツッコミません。(太田)

 <ところで、>ハラリは、人類の年代記の中のもう一つの偉大な時代・・啓蒙主義の時代・・への言及を省いている。」(B)

⇒ハラリが、私の指摘であるところの、啓蒙主義は、欧州文明によるアングロサクソン文明の歪曲的継受に過ぎない、という考えと似た考えを抱いているとも思えないのですが・・。(太田)

(続く)

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