太田述正コラム#7128(2014.8.19)
<英米性革命(その10)>(2014.12.4公開)

 その期に及んでも、ホフラーは、対象とする(at hand)記念碑的(landmark)プロジェクトを、必ず、その大部分を、ヴァラエティ誌のバックナンバー群か関係者達の備忘録群で見つけた最も淫らな諸引用を繋ぎ合わせる形で取り扱う。
 その引用が、そのプロジェクトにほんのちょっとしか関わっていない者からのものであっても、それが、本来的に十分きわどく(juicy)性的であれば、物語の流れや単純な読み易さを犠牲にして、それは登場させられるのだ。
 こうして、ゴア・ヴィデルが書いた一人の性転換者の小説である、『マイラ・ブレッキンリッジ』<(前出)>について論じている時に、ホフラーは、ヒットしたミュージカルである『キャバレー(Cabaret)』 (1972)<(注61)>の元になるものの著者である、クリストファー・イシャーウッド(Christopher Isherwood)<(コラム#6342)>がいかにローマでヴィダルを訪ねて、「見栄えの良いプロンド嬢達たるデンマーク人等が未来派的な(futuristic)ジェノサイドでは対象から外されるべきである、という冗談を言ったか、という長くて無意味な脱線を行うのだ。

 (注61)「1966年にブロードウェイで初演されたミュージカル・・・<米国>のクリストファー・イシャーウッドの短編集『ベルリン物語』を、イギリスの劇作家ジョン・ヴァン・ドゥルーテンが『私はカメラだ』という戯曲にしたものをベースにミュージカル化された。ナチスの支配が強まるベルリンで、場末のキャバレー「キットキャットクラブ」を舞台に、歌姫サラと作家志望の<米国>人クリフとの恋と破局を描く。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC_(%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB)

 <また、>劇である『真夜中のパーティ(The Boys in the Band)』 (1968)<(注62)>・・異性愛者たる<男性>配役達が、同性愛者達貸し切りの誕生パーティに呼ばれ、賞に当たった者が贈り物として、男性の売春夫を贈呈される・・の場合で言えば、<一般の>人々の同性愛の男性達に対する受け止め方(perceptions)にこの劇がどう作用したのかを示すために、台本上のやりとりが引用されることは決してないのだ。

 (注62)「1968年初演のオフ・ブロードウェイ舞台劇およびそれを基に制作された1970年の<米>映画。・・・仲間の誕生日パーティに集まったゲイたちの一晩の出来事を描く。<映画については、>ハリウッド映画史において初めて「ゲイを真正面から描いた」作品」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A4%9C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3

 そして、ホフラーの本の『真夜中のパーティ』に関する章の最後から2番目の段落に達するまで、彼は、その登場人物達が、「性的志向性(sexual orientation)は、所与のものであって、観衆達を性的に刺激するための秘訣(secret)として、治療されたり暴露されたりすべきものではないことを提示し[、それによって<、新しい>] 地平を切り開いた」、と説明することがないのだ。
 推測するに、『性爆発』の<このような>散漫で注意欠陥多動性障害(ADHD)的なアプローチは、始めに出てくる、この著者の主張であるところの、『バスに乗った青年達(The Boys on the Bus)』<(注63)> からポール・マザースキー(Paul Mazursky)<(注64)>の妻をスワップする喜劇(dramedy)である『ボッブとキャロルとテッドとアリス(Carol & Ted & Alice』 (1969年)<(注65)>に至るまでの制作の「全て」の背後にいた芸術家達は、「何らかの形で連接(connect)されており」、「一つの共同体(community)を形成していた」、を裏付ける(validate)ことを企図したものだろう。

 (注63)1972年の米大統領選をカバーしたレポーター達をティモシー・クラウス(Timothy Crouse)が描写したノンフィクションであり、パックジャーナリズムについて出版された最初の論考集。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Boys_on_the_Bus
 「パックジャーナリズム【pack journalism】とは・・・《packは群れの意》群れをなして事件を追いかけ、好奇心をあおりたてるようなジャーナリズムの報道ぶりを批判的にいう言葉。 」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/177282/m0u/
 (注64)1930〜2014年。米国の「映画監督、脚本家、俳優。」ニューヨーク市立大学ブルックリン校卒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
 ユダヤ人の両親の下にニューヨークのブルックリンで生まれる。無神論者。1953年に結婚した妻と生涯を共にした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Mazursky
 (注65)マザースキー脚本・監督の1969年の米国の喜劇映画。ナタリー・ウッド等が出演。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bob_%26_Carol_%26_Ted_%26_Alice
 日本語でこの映画の筋が載っているサイト。↓
http://movie.walkerplus.com/mv8369/

 このような、人を圧倒させる(over-arching)徹底的に人工的な営み(construct)の想像を絶する重圧は、存在したところの、並置された人々ないし諸出来事の間の真の関係性(linkage)がない場合にすら、というよりも、ない場合には特に、円滑な間断なき進行、ないし、軽い(transitional)言葉遣い(language)、への恒常的必要性を生み出すのだ。」(F)

(続く)