太田述正コラム#7124(2014.8.17)
<英米性革命(その8)>(2014.12.2公開)

 「驚くことではないが、同性愛の男性達は、性と性的関係に関する社会の見解を変えるにあたって、助けになった。
 残念なことに、女性達は、極度に限定された役割しか演じなかったことが分かった。
 というのも、映画は依然として男の世界だったからだ。
 彼女達が諸映画の中で着衣を脱ぎ捨てて自分達がどれだけ解放されていると感じたかを宣言しない限り、女性達は、自分達の諸経験について書き、誰かが自分達の作品を読んでくれることを期待するところの、出版界に閉じ込められていた。・・・
 『ディープ・スロート』等のポルノ映画は単に主流になっただけではなく、当時の紳士録記載者達がそれを鑑賞するのが写真に撮られるほどになった。
 次いで、『カリギュラ(Caligula)』<(注52)>が爆弾投下を行い、<ようやく、>みんながポルノはポルノであることに気付いた。

 (注52)「1980年の<伊米>合作映画。当時のペントハウス誌社長ボブ・グッチョーネが46億円の巨費を投じて製作した。表向きはローマ帝国皇帝カリグラの放蕩や残忍さを描いた重厚な歴史超大作であったが、実態はハード・コア・ポルノである。この映画の撮影はアメリカ映画協会(MPA)を通さず秘密裡に行われ、ニューヨークでは劇場を一館買い取って公開されて大ヒットを記録した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 それを芸術に転化することは殆んど不可能である、と。・・・
 とまれ、1968年から73年が、社会が性をどう見て何が許容できるかの形(way)を変えたことは極めて明確だ。
 シリーズ中、一回ならず出演したところの、米国でのTVの最初の同性愛の男性たる、ランス・ラウド(Lance Loud)<(注53)>のおかげで、『グリー(Glee)』<(注54)>や『モダン・ファミリー(Modern Family)』<(注55)>における同性愛カップル達の描写に違和感を感じる人々は殆んどいなくなった。

 (注53)1951〜2001年。米国のTVパーソナリティ、雑誌コラムニスト、ニューウェーブ・ロックンローラー。学歴不明。『ある米国の家族』(前出)は、サンタバーバラに住んでいた、彼の家族をそのまま取り上げたものであり、この番組の中で、彼はカミングアウトした。HIVで死去。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lance_Loud
 (注54)米FoxTVで2009年から始まったミュージカル・コメディ・ドラマ・シリーズ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Glee_(TV_series)
 (注55)「<米>ABCで2009年9月23日に初回放送された・・・コメディ・ドラマ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC
・シリーズ

 ゴア・ヴィダル(Gore Vidal)の諸作品のおかげで、大部分の人々は、『フィフティ・シェーズ・オブ・グレイ(Fifty Shades of Grey)』<(注56)(コラム#6555)>が世界中を虜にし始めた時に気分を害する(offended)ようなことはなかった。
 彼らは、単に自分達の母親達がポルノを読んでいることにぞっとしただけだった。」(D)

 (注56)英国人女性のE・L・ ジェームズ(E. L. James。1963年〜)著の2011年出版の世界的ベストセラーになったエロ恋愛小説。ジェームズはスコットランド人の父とチリ人の母の間にロンドンで生まれ、ケント大学を卒業。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fifty_Shades_of_Grey
http://en.wikipedia.org/wiki/E._L._James

 「1969年10月5日、報道写真家達は、ジャクリーヌ・オナシス(Jacqueline Onassis)<(注57)>の異常な姿を捉えた。

 (注57)1929〜94年。「第35代<米>大統領ジョン・F・ケネディの夫人。1961年から1963年まで<米国>のファーストレディであった。ケネディ大統領暗殺の5年後、ギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスと再婚。オナシスとの死別後、ジャクリーンはニューヨークに移って編集者としての人生を歩んだ。彼女は単なる大統領夫人という枠を超えて、ファッションアイコンとして世界の女性の憧れとなった。」ヴァッサー(Vassar)単科大学に2年在籍した後、奨学金を得てフランスのグルノーブル大学とソルボンヌ大学に学び、更にジョージ・ワシントン大学卒。新聞記者となる。カトリック教徒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%B9

 彼女は、柄入りのヘッドスカーフを付け、ツーピースの上はボディコンの白で、<下は>黒っぽいミニスカートという整ったセクシーな趣で、『私は好奇心の強い女(黄)(I Am Curious (Yellow))』<(注58)>の16:30からの回を、マンハッタンのシネマ・ランデヴー・シアター(Cinema Rendezvous Theater)で見終わり、急いで出てきたばかりだった。

 (注58)1967年のスウェーデンのドラマ映画。1968年の『私は好奇心の強い女(青)I Am Curious (Blue)』の続篇。タイトルは、スウェーデンの国旗の色に因んで付けられた。監督はヴィルゴット・シェーマン(Vilgot Sjoman。1924〜2006年)
http://en.wikipedia.org/wiki/I_Am_Curious_(Yellow)
 シェーマンは、スウェーデンの労働者階級の家庭に生まれ、15歳で働き始めるが、後にストックホルム大学で学び、更に、奨学金を得てUCLAで映画を学ぶ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vilgot_Sj%C3%B6man
 「本作は1968年、<米国>でその上映を巡って裁判問題にまで発展し、知識人たちを巻き込み最終的に勝訴を勝ち取り、ポルノ解禁の先駆的作品と位置づけられた。日本では71年に45ヵ所のカットという形でようやく公開された。・・・<(なお、>2002年、<日本で>ついにノーカット完全版(4ヵ所のみ修正)、が>公開<された。)>」
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=26148

(続く)