太田述正コラム#7120(2014.8.15)
<英米性革命(その6)>(2014.11.30公開)

 1960年代の性的許容性は、ジョン・アップダイク(John Updike)<(注36)>が、ニューイングランドのプロテスタント的中流階級の不安(angst)の下での静かな至福の真っ最中における妻のスワッピングの赤裸々な描写である、『カップルズ(The Couples)』を書くことを可能にした。

 (注36)1932〜2009年。米国の作家・詩人。ハーヴァード大卒。『カップルズ』は1968年出版。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AF

 『カップルズ』は、『ポートノイの苦情』<(前出)>のように、アップダイクを、ベストセラー一覧の筆頭に躍り出させ、(『姦通的社会(The Adulterous Society)』なる真面目な随筆の題名と共に)タイム誌の表紙に載せた。
 ホフラー氏は、アンディ・ウォーホル<(前出)>のフェリーニ(Fellini)<(注37)>的な性的出歯亀達(voyeurs)、女装の男性同性愛者達(drag queens)、社交界の金持の名士達・・ハースト・メディア帝国の長期にわたる会長の娘であるブリジッド・バーリン(Brigid Berlin)<(注38)>、不運のイーディ・セジウィック(Edie Sedgwick)<(注39)>・・、そして種々の客員セレブ達・・サルヴァドール・ダリ(Salvador Dali)<(注40)>、アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)<(注41)>、ルー・リード(Lou Reed)<(注42)>・・のパレードを魅力的に捉える。

 (注37)フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini。1920〜93年)。イタリアの映画監督、脚本家。大学に行っていない。「フェリーニ映画には巨乳巨尻の女性が多く出てきて「フェリーニ的」画面を構成する。猥雑な女たちの娼館や道化師のサーカスはフェリーニのお得意素材である。ペシミズムも語られはするが、基本にあるのは生きていく意志であ<り、>・・・ヒューマニズムで<ある。(典拠が付いていない)>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B
 (注38)1939年〜。父のリチャード・E・バーリン(Richard E. Berlin)は、32年間にわたって、ハースト・メディア帝国の会長だった。1964年にウォーホルに出会い、彼の取り巻きの中心的メンバーとなる。大学に行っていない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Brigid_Berlin
 (注39)1943〜71年。米国の「女優・ファッションモデル。1960年代に制作されたアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演。60年代のファッション・アイコンとして注目された。」大学に行っていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF
 (注40)1904〜89年。「スペインの画家。シュルレアリスムの代表的な作家・・・マドリードのサンフェルナンド美術学校に<学ぶ。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AA
 (注41)1926〜97年。ユダヤ系米国人たる詩人。同性愛者。1950年代のビート世代の指導的人物達の1人。軍国主義、経済唯物論、性的抑圧に激しく反対した。コロンビア大卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Allen_Ginsberg
 (注42)1942〜2013年。ユダヤ系米国人たるミュージシャン。両刀使い。シラキュース大卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lou_Reed

 ウォーホルは、彼の鬘・・初期の頃から銀色・・を付けて、工場として知られた彼のニューヨークのスタジオにいつもいて、彼に忠誠を尽くす助手達がせっせと働いて、ウォーホルのシルクスクリーン<(注43)>群(silk-screens)やリトグラフ<(注44)>群(lithographs)を創造した。

 (注43)「孔版画の技法の一種であり、インクが通過する穴とインクが通過しないところを作ることで版画の版を製版し、印刷する技法である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3
 (注44)「版画の一種で、平版画にあたる。水と油の反発作用を利用した版種で、製作過程は大きく「描画」「製版」「刷り」の3行程にわかれる。ほかの孔版画、凹版画、凸版画などに比べると複雑で時間も多く要するが、クレヨンの独特のテクスチャや、強い線、きめ細かい線、筆の効果、インクの飛ばした効果など、描写したものをそのまま紙に刷ることができ、多色刷りも可能で、版を重ねるにつれて艶を有した独特の質感が出てくる。19世紀頃、<欧州>で偶然から原理が発見され、以降ロートレックなどの画家が斬新で芸術性の高いポスターをこの方法で描いた。以前は巨大な石(石灰岩)に描いていたため石版画(石版印刷術、リトグラフィ)とも呼ばれるが、近年は扱いやすいアルミ板を使うことが多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95
 
 ポール・モリセイ<(前出)>が、(ウォーホルの「スーパースター達」によって、その場で即興的に作られた)ウォーホルの映画群の監督をしたのは公然の秘密(it's no secret)だ。
 モリセイは、ウォーホル同様、カトリック教徒であり、彼は、一貫して、厳格な反麻薬、反福祉国家で通した政治的保守主義者だった。
 (彼は、バリー・ゴールドウォーター(Barry Goldwater)<(注45)>を支持した。)

 (注45)1909〜98年。ユダヤ系米国人たる政治家、上院議員、1964年の共和党大統領候補。アリゾナ大学に学ぶ(父の死亡で中退)。第二次世界大戦勃発後、入隊した陸軍航空隊パイロットとして活躍し、戦後も軍に留まり、少将として退役。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

 ウォーホルのこの名高い温室の文脈の中で、ホフラー氏は、モリセイは「変わった人物(odd bird)」であったと記す。
 しかし、急進的天邪鬼たるポール・モリセイは、非道徳的映画群を作るのに放蕩者である必要はないことを少なくとも証明している。」(G)

(続く)