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太田述正コラム#7106(2014.8.8)
<中東イスラム世界の成り立ち(続)(その1)>(2014.11.23公開)

1 始めに

 他の宗教と混淆したイスラム教の教徒以外は世俗化ができない、従って、敬虔なイスラム教の教徒が過半を占める社会は、必然的にイスラム社会へ、そして更に急進的イスラム社会へ、究極的には過激イスラム社会へ、そして破滅へ、と押し流されて行く、負の連鎖的ベクトルを持つ、ということを最近の中東イスラム世界の動向は如実に示している、と思います。
 表記シリーズの最後で、トルコの扱いが尻切れトンボになっていたこともあり、その続篇として、本コラムをお送りすることにしました。

2 負の連鎖的ベクトル

 (1)急進的イスラム社会から過激イスラム社会へ

  ア AQAPとイスラム国

 「2010年に、アラビア半島のアルカーイダ(al Qaeda in the Arabian Peninsula=AQAP)<(注1)>がイエメンの丘陵地帯で力を増した時、オサマ・ビンラーディン(Osama bin Laden)は、自分達の諸能力を超える諸大志を抱いてはならないとこの集団に注意を喚起した。

 (注1)「2009年1月、<米>軍の攻撃とサウ<ディ>アラビア政府の弾圧によりアルカーイダのサウ<ディ>アラビア支部のメンバーがイエメンに活動拠点を移しイエメンのアルカーイダ支部のメンバーと合同して発足したテロ組織である。」ビンラーディンの父親はイエメン出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%80
 2011年に、AQAPの有力指導者のアンワル・アル=アウラキ(Anwar al-Awlaki)らを、米国はドローン攻撃で殺害した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Al-Qaeda_in_the_Arabian_Peninsula

 「諸国を打倒しそれらを統制できるようにすることには、何も、このような計画を、人々がこの生まれつつある国家を確立するために人々が戦ってくれるであろうことへの期待に立脚することを必要としない」と、彼は、アボタバード(Abbottabad)の屋敷で、その1年近く後に発見された手紙の中で記した。
 「そうではなく、成功のために必要な諸要素が整っているかどうかについて、詳細な検討と検証と確認が必要なのだ。…
 我々は、人々をイスラム的統治の傘で覆う準備ができていない」と。
 サヌア(Sanaa)の政府<(=イエメン政府)>よりもマシな代替物を提供する諸資源・・政府諸サービスとインフラ・・なくして<事を急げば>、イエメン人達が政府に対して抱いているのと同じ諸不満がAQAPに対して向けられることだろう、とビンラーディンは警告した。
 「我々は、全世界を我々に攻囲させた中でこれらの諸欲求(needs)に応えることはできない」と彼は記した。
 この手紙がイエメンに届いたのかどうかははっきりしないが、仮に届いていたとしたら、AQAPはビンラーディンの助言に耳を貸さなかったということだ。・・・
 イスラム国家<(前Isis)>は、その初期諸兆候からして・・・2011年<のAQAPの挫折>以来<の歴史から>、何も学んでいないようだ。
 <シャリアの押しつけ、イスラム教聖人遺跡の墓の破壊等々。>
 かくして、彼らは負け戦を戦っている。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/08/07/the_failed_islamic_states_index_aqap_islamic_state_sharia

⇒ビンラーディン「直系」のアルカーイダは自ら特定の地域を統治しようとはしなかったし、米国に対して赫々たる「戦果」を挙げたのですから、できそこないのアルカーイダ系集団に講釈を垂れる権利はあるでしょうね。
 「直系」アルカーイダを、イスラム同胞会と同じ範疇の「急進的イスラム」に分類するのはやや憚れるのですが、少なくとも、自他共に許す「過激派」であるところの、AQAPや、「破門」されたイスラム国、よりは「穏健」なことは確かです。
 ここで、私が言いたいのは、中東イスラム世界においては、「急進的イスラム」的なものは、「過激派イスラム」的なものへ、そして更に破滅へ、と堕していくベクトルが働いているらしい、ということです。(太田)
 
  イ ハマス

 「ハマス(Hamas)<(注2)>は、交渉が難航する中、ガザ戦争再開を止めるためにはイスラエルが封鎖を解かなければならないと言明した。」
http://www.theguardian.com/world/2014/aug/07/hamas-warns-restarting-war-demand-gaza-blockade-lifted-egypt-talks

 (注2)「パレスチナの政党。1987年12月14日にアフマド・ヤーシーンによって<スンニ派のイスラム>同胞団のパレスチナ支部を母体として創設された。・・・イスラエル政府は、<ハマス>がPLOに対抗する勢力となることを期待して、秘密裡に援助をおこなっていた。
 <ハマス>は教育、医療、福祉などの分野で一般民衆への地道な活動を続けたため、パレスチナ人の間で支持が拡大していった。・・・2004年12月に行われたパレスチナ地方議会選挙において過半数の議席を獲得し、さらに2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも定数132の議席中で76議席を獲得した。・・・
 <ハマス>は政権参加後はおおむね停戦を守っ<たが、>・・・多数の西側諸国は<ハマス>をテロリズム団体に指定しており、<ハマス>の政権参加を機にパレスチナ政府への支援を停止した。・・・2007年6月12日に<ハマス>はガザ地区<を>武力占拠し、2006年の総選挙後に形成されていた<PLO/>ファタ・・・との連立内閣は崩壊した。現在に至るまで、ガザ地区は<ハマス>が、ヨルダン川西岸地区はファタ・・・が事実上支配している。・・・
 アラブの春<以降、ハマスは、>・・・シリア反体制派の支持を明言し<てアラウィ派の>ダマスカスと・・・決別<し、また、>・・・イスラエルの対<シーア派>イラン攻撃に反対しない旨を発表し<た。>・・・2012年には<イスラム>同胞団出身のムハンマド・ムルシーが・・・選挙に勝利して<エジプト>大統領に就任した。ガザ政府首相イスマーイール・ハニーヤはエジプトを訪問し・・・2012年11月のイスラエル軍によるガザ攻撃の際は、<エジプトの>・・・首相がガザ地区を訪問し、ムルシー大統領が停戦交渉の仲介をおこなった。
 2013年7月<に>起こったエジプトでのクーデターにより、ムルシーが失脚。その後のエジプトは、ガザ地区とエジプトを結ぶ密輸などに使用されているトンネルを武装勢力に利用されているなどとして破壊しており、ガザ地区は経済的に苦境に立たされている。
 <ハマス>もまた財政的に困窮しており、職員の給料を分割払いにするなど苦しい状況である。頼りだったイランからの支援が、関係の希薄化で大きく縮小したことも大きいとされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9

⇒急進的イスラムたるイスラム同胞会の一環であったはずのハマスですが、ガザで過激派イスラムに変貌し、その後の紆余曲折を経て、今や、自傷行為を連発して、ガザ社会全体を道連れに破滅に向かっている、としか形容のしようがありません。(太田)

(続く)

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