太田述正コラム#7100(2014.8.5)
<中東イスラム世界の成り立ち(その11)>(2014.11.20公開)

  ウ 欧州文明全面的継受

   ・トルコ共和国

 アラブ世界の話ではありませんが、ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Ataturk。1881〜1938年。大統領:1923〜38年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%AF
に始まる、欧州由来のファシズム・・トルコ民族ファシズム・・を掲げるケマル主義政権が1923〜2002年の間、新生トルコで政権を担ってきました。
 但し、それは、人民党一党独裁の1923〜1946年という前期と事実上の軍部独裁政権の1946〜2002年という後期に分かれます。
 しかし、トルコで、これだけ長期間、トップダウンで世俗化が推進されたにもかかわらず、イスラム主義を根絶することができず、2002年に、事実上、アングロサクソン的な議院内閣制が確立するも、イスラム政党たる公正発展党政権の下で漸次イスラム化が進展しており、その行方は予断を許しません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E7%99%BA%E5%B1%95%E5%85%9A (←事実関係のみ)

   ・エジプト

 エジプトは、前述したように、領域的にまとまっているだけでなく、被支配層に関しては、有史以来民族的一貫性があり、エジプト人としてのアイデンティティが、アラブ文化の強制的継受以降のアラブ民族としてのアイデンティティを上回っている
http://en.wikipedia.org/wiki/Pan-Arabism
ところ、自分のカリスマ的人気頼みで、ガマール・アブドゥル=ナーセル(Gamal Abdel Nasser。1918〜70年。最高指導者:1956〜70年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB
は、汎アラブの欧州由来のナショナリズムを唱え、1958年にシリアとの合邦を実現するのですが、1962年にシリアは離脱してしまいます。            
 1970年に彼が亡くなると、ひき続いてサダト政権とムバラク政権という事実上の軍部独裁政権が、これまた、事実上エジプト・ナショナリズムを掲げた政権運営を続けます。
 そこに、2011年、チュニジアに始まったアラブの春が波及し、2012年に欧州的な大統領制となるも、汎イスラム的な急進イスラム主義者が大統領に選ばれ、2013年、事実上の軍事クーデタによって、従来の軍部独裁/エジプト・ナショナリズム政権が復活して現在に至っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5 (←事実関係のみ)
 かつて英国の保護国であったというのに、エジプトに、いまだに議院内閣制を採用する機運が見られないのは理解に苦しみます。

   ・イラク

 イラクは、1948年まで、強弱はあるものの、ほぼ一貫して事実上のイギリス占領下に置かれていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E7%8E%8B%E5%9B%BD
 完全独立後の混乱期を経て、1963年から2003年まで、イラクは、汎アラブ・ファシズムのバース党(注12)政権の下にありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF

 (注12)バース党は「西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国すること<を>目的<とする>・・・汎アラブ主義政党。公式名称はアラブ社会主義復興<(Renaissance)>党」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A2%E3%82%B9%E5%85%9A
 「<バース党を支える>汎アラブ・イデオロギーは、最初に1930年代に、とりわけ、Constantin Zureiq, Zaki al-Arsuzi、及び、Michel Aflaqによって信奉された。
 Aflaqとal-Arsuziは、バース・・・党の創建の鍵となった人物群だった。
 そして、前者は、長くその首席イデオロギー担当者であり、マルクシズムの諸要素を19世紀の欧州の浪漫的ナショナリズムを相当程度追想させるナショナリズムと組み合わせた。
 また、Arsuziは、ナチスの「人種的純粋性」のイデオロギーに魅惑され、Aflaqに影響を与えたとされている。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Pan-Arabism
 「<その>一方で、<バース党においては、>「アラブ民族の優越」が強調され、アラブ人ではない少数派民族(クルド人やベルベル人等)が迫害や政治的に冷遇されることになった。事実、シリア、イラクではクルド人に対して弾圧、大量虐殺が起き、リビアやチュニジアではベルベル人が権利を抑圧され、一民族として認められず、ベルベル語の使用も制限されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 米国を中心とする多国籍軍によって2003年にバース党政権が打倒され、2006年から議院内閣制政府になったのはよかったのだけれど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF
現在、過激イスラム勢力の挑戦によって、(クルド地区の独立への動きもあり、)国家解体の危機に直面しています。

   ・シリア

 シリアは、1946年の独立から70年にかけての混乱期を経て、イラクと同じく、1963年に汎アラブ・ファシズムのバース党政権が成立し、現在に至っています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2
が、2011年、アラブの春の影響で叛乱が勃発し、やがて叛乱の中心勢力が過激イスラム勢力となり、この国もまた、国家解体の危機に直面しています。

5 終わりに

 アラブ諸国には、以上のほかにもたくさんあるわけですが、要は、中東アラブ世界なるホッブス的世界において、かろうじて秩序らしきものを与えているのがイスラム教であること、しかし、中東アラブ世界にはクルド人やベルベル人のような非アラブ民族もいること、かつまた、イスラム教自体、大きくスンニ、シーア両派に分かれているだけでなく、それぞれが更に種々の派に分かれているだけでなく、アラウィ派のように、イスラム教と他の宗教が混淆した宗派が存在すること、キリスト教徒・・キリスト教にも様々な宗派がある・・やユダヤ人等も存在すること、から、できうればムハンマドの血を引くと目される、しかし、世俗的な君主が統治する、イギリス的な立憲君主制が、「国」を問わず、本来、中東アラブ世界の現状に最も適している、というのが私の考えです。
 もちろん、私の念頭にあるのはヨルダンの政体です。
 過激イスラム勢力や急進的イスラム勢力の権力掌握は回避すべきだし、欧州由来のファシズムやナショナリズムも排するべきである、ということです。
 そうは言っても、君主制を採用しなかった、或いは廃止した、という歴史を今更逆転させるのは困難でしょうから、民主主義は、中東アラブ世界には時期尚早であってできる限り回避するのが筋ではあるものの、せめて、権威と権力が一致しているために独裁的になりがちな(欧州由来の)大統領制ではなく、(イギリス由来の)議院内閣制を採用するのが望ましい、と私は思っているのです。
 なお、汎イスラム主義・・Isis等の過激イスラム勢力が信奉・・はもとより、汎アラブ主義も、エジプトを始めとして、独自のアイデンティティを持っている「国」が少なくないことから、基本的に時期尚早である、と言ってよいでしょう。
 ついでに言えば、イラクは、もはや、クルド人地区、スンニ派地区、シーア派地区に分割するほかなく、そのスンニ派地区とシリアは合体するのが自然でしょうね。

(完)