太田述正コラム#7084(2014.7.28)
<米独立革命とキリスト教(その9)>(2014.11.12公開)

 「スチュアートの推算では、1776年の精神は、「史上最も有名な無神論者たる」エピクロスに遡ることができる。
 この古代のギリシャの哲学者は、無限で永久の宇宙を措定し、先験的神性の可能性を排した。
 何世紀も後に、ベネディクト・デ・スピノザ、トーマス・ホッブス、そしてジョン・ロックのような急進的な啓蒙主義思想家達が、これらの異端的諸公理を政治に適用した。
 この過程で、彼らは、彼らの、「非敬虔的で反先験的な」市民政府の諸起源についての理解を、「神を恐れない(ungodly)米共和国の建国者達」に遺贈した。
 スチュアートが、この人物群の配役の裏に潜んでいた無神論を誇張したかどうかの評価は哲学者達に委ねたい。
 (彼のロックについての描写は、少なくとも、間違いなく議論を呼ぶだろう。)
 歴史学者として、私は、彼が、米国の建国に無神論的信条が及ぼした影響を証明(establish)することに完全に失敗したことの方により関心を抱いている。
 歴史学者達は、自分達の最も重要な任務は、証拠に基づいて原因と結果について我々の諸声明を我々が見ているものに関して説明することである、と信じている。
 <ところが、>スチュアートは<それとは>異なったアプローチをとっている。
 バーモントの奥地(backwoods)の指導者たるアレンとトーマス・ヤングという名前のボストンの医者の書き物群の中でそれを発見して以来、彼は、<証拠に基づくことなく、>急進的哲学が一般の北米人達の間で普及していた(widespread)と結論付ける。
 同じような形で、彼は、<無神論と>競争関係にあった全ての諸<思想の>影響を容赦なく無視することによって、無神論的諸前提(presuppositions)が最も著名な建国の父達の政治哲学を決定したことを発見する。
 これは証明(demonstration)ではなく、宣明(pronouncement)でしかない。・・・
 しかも、それに続く数頁は、キリスト教を見下す侮蔑で一杯だ。
 建国の父達が賢明にも拒絶したプロテスタントのキリスト教は、彼の見解では、「憎悪を助長(foment)」する「驚くほどひどい諸教義(strikingly cruel doctrines)」によって定義される。
 その核心には、「永久の天罰の痛みに立脚した絶対的屈辱を要求する怒れる神の観念」が横たわっている。
 完全に非合理的にして、完全に反知的なこの「病理」が、この世の問答無用の服従への容赦なき諸要求を募らせた(fed)。
 「無知の誤った確実性」を燃料とした「狂気」の一形態であって、「思考する人々」にとって耐えがたいものだった、と。」(B)

3 終わりに

 スチュアートが、私とほぼ同じキリスト教観・・カトリシズムは基本的に儀典宗教であって、教義が個々の信徒を拘束する、近代的宗教とは必ずしも言えない面があり、その限りではキリスト教ではない、と言ってもあながち大げさではないと私は思います・・に到達したのは慶賀の至りです。
 キリスト教を科学的に客観的に見れば、誰しもがそのような結論に達するはずであり、キリスト教社会の中から、同様の結論に達し、その旨を表明する人の少なさが私には解せません。
 しかし、スチュアートの場合、そこから先が極めて問題です。
 仮に米国の建国の父達がまともなキリスト教徒であったとすれば、米国「文明」の先進性、普遍性を主張するどころではなくなってしまうので、建国の父達が、実は無神論者であった、ということに無理やりしてしまったのですからね。
 「例外性」の国であるところの、いや、より端的に言えば、異常な国であるところの、米国は、実験・観察科学の分野を除き、知識人の墓場である、という感を深くします。
 (戦後日本も基本的に同じですが、それは外交安保を擲ったためであり、また、そのコインの裏面として、このような米国の属国であるためです。)
 既に、このシリーズの途中で申し上げたことの繰り返しになりますが、英領北米植民地の「文明」は、最初から、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラであったことから、その建国の父達の多くはリベラルキリスト教徒、大衆の多くは原理主義的キリスト教徒であったところ、この図式がそのまま現在にまで続いている、と見てよろしかろうと思います。

 ここで、ロックについて一言。
 スチュアートのロックについての見方が具体的に紹介されていないので、どうしてそれが論議を生むのが必定だと最後の書評子が言ったのか分からないのですが、私のロックについての見方は、あらあら、次の通りです。
 ロックの政治思想は、イギリスにおける議会主権とは相いれない三権分立を推奨し、イギリス人が嫌いな民主主義を含意しているところの革命権を提唱し、イギリス人の自然宗教観に根差す英国教制に反する政教分離ないし宗教の自由を求めた点で、イギリスの歴史と実態に異議申し立てを行ったところの、非経験主義的/合理論的な理想論である、と英領北米植民地やフランスの知識人に誤読されたのでしょう。
 そう考えないと、ロックの政治思想が、イギリス国内では殆んど無視され続けたというのに、英領北米植民地やフランスの知識人にはもてはやされることとなり、米独立革命、ひいてはフランス革命、に大きな影響を与えることになった理由の説明が付きません。(そのせいで、その後、イギリス本国でも若干注目されるところとなりましたが・・。)
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Locke (←事実関係のみ。)

 最後に、スピノザについてですが、いずれ、彼の思想・・スコラ哲学を無神論的に再編成したもの?・・について、改めて、より踏み込んで取り上げたいところ、一般に言われている啓蒙主義に及ぼした影響はもとより、スチュアートが主張するところの、米独立革命に与えた影響についても、スピノザ単独では、それほど大きなものではなかった、という気が私はしています。
 ユダヤ人つながりで、どちらも誤謬であったところの、彼の唯物論がマルクスに、そして、彼の理性では感情を統御できないとの主張がフロイトに、それぞれ、与えた影響こそ大きかったのではないでしょうか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Baruch_Spinoza (←参考にした。) 

(完)