太田述正コラム#7078(2014.7.25)
<米独立革命とキリスト教(その6)>(2014.11.9公開)

 (6)キリスト教ナショナリズム

 「私は、米独立革命はまだ終わっていないと考えるに至った。・・・
 キリスト教ナショナリズムの最初の間違いは、国家(nation)を共和国(republic)と混同することだ。
 米国は、キリスト教共和国ではないし、そうなるべく意図されたことも一度もない。
 <米国人>達は米国憲法のことはよく知っていることから、私はこの点に立ち入るつもりはない。
 もう一つの、より広範に見られる間違いは、「キリスト教」と呼ぶことができる何か単一の国家的(national)宗教が存在したことがあると想定することだ。
 実際、「キリスト教米国」の「古き良き時代」は、怒りに満ちた分断状況にあった(angrily divided)。
 恐らく、最も広範に存在した宗教的信条は、間違った宗派(religion)を信じていることでもって、隣町の人々は永久に地獄に堕ちることが運命づけられているというものだったことだろう。
 無信仰の人々(Nonbelievers)・・一般に、自分達自身を「理神論者達」と同定した・・は、通常想定されているよりもはるかに数が多く影響力も大きかった。
 (必然的に漠然としたところの)何らかの共通文化が当時存在していたことを認めたとしても、更なる間違いは、革命の重要な部分・・世界を永久に変えた・・がこの一般的文化と大きく関わっていたと想定することだ。
 実際、米国の建国の父達に関して最も驚くべきことは、彼らが、その時代と場所とを、一定程度、超越することができたことだ。

⇒スチュアートと、というより、米国人の大部分と私が決定的に異なっているのは、私が米独立革命などというものは、客観的に見て、世界とってはもちろん、北米人達自身にとってさえ、無意味であったどころか、マイナスでしかなかったと考えていることです。
 このように、大前提において、180度異なっている私からすれば、この種の誇大妄想狂的な議論など、馬鹿馬鹿しいというか、憐れというか、腹が立つというか、到底読むに耐えない、と申し上げておきましょう。(太田)

 キリスト教ナショナリズムについての最も頑迷なる(tenacious)間違いは、米国の政府の諸制度が宗教に立脚した何らかの特定の一連の諸価値・・今日、殆んど完全に時代錯誤的に「ユダヤ・キリスト教諸原理」と呼ばれているところのもの・・に依拠している、という誤った観念だ。
 私は、これは、道徳理論における共通の流言(canard)の政治理論版だと思う。
 つまり、宗教的信条のみが人々を善人にできる、という・・。
 実際、米国の建国の父達の天才性は、ジェファーソンの言を言い換えれば、我々の道徳性と我々の市民諸権が、特定の宗教的諸見解にではなく、我々の理性へのコミットメントにのみ依存していることを発見した点に存する。・・・

⇒スチュアートは、一般の米国人同様、依然としてジェファーソンが大好きなようですが、ジェファーソンの醜悪極まる本当の姿がほぼ明らかになっている現在、米国の哲学の教授たる一知識人の、何の留保も加えないジェファーソン礼賛には、ただただ、嫌悪感と当惑感を覚えるのみです。(太田)

 私が「異端的(heretical)」と言う時、私はあらゆる宗教の排除的なことを必ずしも意図していない。
 異端者達は、一般に、宗教的諸伝統から立ち現われ、一つの形態ないし他の形態の急進的宗教にコミットし続けていたものだ。
 <その>彼らが反対したのは、<あくまでも、>共通の、主流の、ないしは、正統的な、宗教だったのだ。
 そして、彼らが、その共通の宗教の中の反対した部分、というか、私がそうだと主張するところのものは、道徳性、心、知識、正義、等々についての共通の一連の諸概念(conceptions)・・それぞれ自体においては宗教的ではないけれど、共通の宗教の信憑性を増す諸概念・・なのだ。
 少なくともソクラテスの時代以来、急進的哲学の営みは、この共通の宗教意識に挑戦し反対することだった。
 さて、要するにだ、この急進的にして異端的な哲学は、この世界における最初の大規模な世俗的な共和国<たる米国>を創建する際に決定的な役割を果たしたのだ。・・・

⇒ここでも、スチュアートは、米国人らしい、自国に関する自惚れに由来する、大変な思い違いをしています。
 イギリスの議会主権は、議会が、最高権力を持ち、国王にそれに次ぐ権力を与え、かつ同時に、最高権威を与えるというものであり、この国王の権力を次第に削いで行くことで、国王を「単なる」最高権威へと純化させていくベクトルをその内に孕んでいたというのに、米独立革命は、大統領に最高権力と最高権威を二つながら与える、という、退行、堕落をやってのけてしまい、この大統領制(共和制)が議会主権制(議院内閣制)と並ぶ政治体制の全球的標準になったことで、大統領制を採用した数多くの諸国の大部分において、その政治を機能不全に陥らせることになった、というのが私の見方なのです。(太田)

 米国の建国の父達は、実際には槍の矛先に過ぎなかった。
 偉大な哲学者達は、槍を作って空中にそれを投げた人々だ。
 私は、第二のラシュモア山(Mt. Rushmore)<(注25)>を建設し、大統領達に代わってそこに哲学者達を据えたい。・・・

 (注25)「サウスダコタ州キーストーンに所在し、<米>国の成立、発展、開発を記念する建造物である。・・・ラシュモア山の白い花崗岩の露頭に・・・ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルトとエイブラハム・リンカーン・・・<各大統領の胸像が彫られている。>・・・ラシュモア山を含むブラックヒルズは、古くよりアメリカ・インディアンの聖地とされていた。1868年、ララミー砦で、<米国>政府は一帯を「グレート・スー・ネイション(偉大なるスーの国)」、「スー族固有の土地」として条約で確約した。しかし、数年後には条約は一方的に破棄され、この土地も<米国>政府によって没収されていった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A2%E3%82%A2%E5%B1%B1

 最初のはエピクロスになるだろう。・・・

(続く)