太田述正コラム#7065(2014.7.18)
<ロシア亜文明について(その1)>(2014.11.2公開)

1 始めに

 昨日読んだコラム
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/07/15/sources_putin_conduct_kremlin_cold_war_arms
の下掲の記述に触発されて、表記について大急ぎで纏める気になりました。

 「長い電報として知られる、ジョージ・ケナン(George Kennan)<(コラム#1233、1568、2534、2846、3328、3423、4060)>による長文の外交公信・・後に「ソ連の行動の源泉(The Sources of Soviet Conduct)」という題でフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたもの・・<にはこうある。>
 その諸国境の外側の世界からの脅威(menace)に直面しているソ連社会において、ソ連政府に加えられている重圧(stress)は、外国の敵意の諸現実にではなく、自国における独裁的権威(authority)の言い訳をする(explain away)必要性に立脚している」とケナンは記した。・・・
 クレムリンがロシア民衆(populace)をコントロールする衝動は、要するに(simply)、ロシアの諸隣国から更にその向こうにまで延びて(extend)いるのだ。
 この世界観が恐ろしい(threatening about)のは、ソ連政府が、この緩衝地帯がドイツの中心部(heart)にまで延びていた時ですら、安全だとは思わなかったことだ。・・・
 <そこで、>ゴルバチェフは統一されたドイツをNATOの埒外に置くことを追求したわけだが、それに失敗する。
 プーチンの外交政策の中心的焦点は、<まさに、>ドイツ政府を、NATOから引き剥がそう(pry away)という試みにある。・・・
 米国政府は、この<ロシアからの新たな>挑戦を理解するのが遅れ過ぎている。
 今や、ロシア政府が、米国政府とドイツ政府の緊張関係をもたらしてきたところの、<スノーデンによる告発が発端となったところの、>一連の諜報醜聞群に喜んでいるというのに・・。・・・
 1990年代全般において、ドイツ政府が、NATOにおける核の非先制使用政策の採用と欧州からの全ての米国の核兵器群の撤廃を執拗に求めた政党群との連立であった<ことを忘れてはなるまい>。」

 私は、あのケナンも含めて、米国人は、ロシア(含むソ連)についても、根本的なところで分かっていないのではないか、という感を改めて深くしたのです。

2 ロシア亜文明の成立

 ソ連や現在のロシアの対外行動を理解するためには、ロシア亜文明・・欧州文明の外延文明なので「亜」をつけました・・の成立まで遡らなければなりません。
 一体、それはどのように形成されたのでしょうか。

 ロシアは、ローマ文明を継受した、という点ではプロト欧州文明と同じです。
 しかし、西ローマ帝国ならぬ東ローマ帝国のローマ文明を継受した(注1)結果、ローマ文明の2大特徴たるローマ法とキリスト教のうち、ローマ法はともかく、キリスト教が、カトリックではなく正教であったこと、とりわけ、その正教が政治権力者に隷属していた(注2)点が、まず、プロト欧州文明と異なります。

 (注1)1453年にビザンツ帝国が滅亡した後、モスクワ大公国(Grand Duchy of Moscow)は同帝国を継承したと宣言し、イヴァン3世(Ivan III)は最後のビザンツ皇帝のコンスタンティヌス11世(Constantine XI)の姪と1472年に結婚することで、血統的にもロシアはローマ文明を継承した。また、彼は、ビザンツ帝国の紋章を自分の紋章とし、それが後にロシア帝国の紋章となった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Russia
http://en.wikipedia.org/wiki/Sophia_Paleologue
 (注2)「東ローマ帝国では西ヨーロッパのように神聖ローマ帝国「皇帝」とローマ「教皇」が並立せず、皇帝が「地上における神の代理人」であり、コンスタンティノポリス[・エルサレム・アンティオキア・アレクサンドリアの]総主教・・・の任免権を有していた。<ただし、>・・・正教会において<は、>教義の最終決定権はあくまでも教会会議にあ<った>」点に注意が必要。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD
http://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%84%E5%B8%9D%E5%9B%BD

 もう一つ異なるのは、プロト欧州文明のように、ゲルマン人が(西)ローマを征服し、ローマ人を被支配層にしたことに相当する歴史をロシア亜文明は持っていないことです。
 もともと、ロシア人の祖は印欧語族に属する東スラブ人とウラル語族に属するフィン人の混血であり、そこに更に、ごく少数のノルマン人と思われる人々が入植、混血し、このノルマン系のリューリクが、862年にノヴゴロド公国を建国したのがロシアの国としての始まりです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E4%BA%BA
 そこには、支配層も被支配層もいなかったと思われます。
 また、この国は、やがて現在のウクライナにその中心を移すところ、いずれにせよ、欧州及びビザンツ帝国(東ローマ)それぞれの辺境に位置していたことから、深刻な外部からの脅威に直面することもなかったと思われるのです。
 そのためであると私は考えるのですが、この国は、プロト欧州文明地域のような、戦争体制である封建制とも、また、それとコインの裏腹の関係にあるところの、収奪体制である農奴制とも、無縁でした。
 ところが、そこへ、後に、ロシアを、(前述した宗教面を除き、)全面的にプロト欧州文明化させることになった大事件が起きます。
 モンゴルによるこの国の征服です。

(続く)