太田述正コラム#7055(2014.7.13)
<米独立革命の起源(その1)>(2014.10.28公開)

1 始めに

 トマス・P・スローター(Thomas P. Slaughter)の『独立--米革命のもつれた諸ルーツ(Independence: The Tangled Roots of the American Revolution)』の概要を書評類をもとに紹介し、私のコメントを付そうと思います。

A:http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2014/0704/Independence-tells-in-rich-detail-how-the-American-Revolution-grew
(7月5日アクセス(以下同じ)。書評(以下同じ))
B:http://www.dallasnews.com/entertainment/books/20140628-history-review-independence-the-tangled-roots-of-the-american-revolution-by-thomas-p.-slaughter.ece
C:http://www.openlettersmonthly.com/book-review-independence/
D:http://www.roanoke.com/arts_and_entertainment/columns_and_blogs/blogs/back_cover/book-review-independence-headline-goes-here-and-here-and-here/article_5a4cb525-ed35-5755-9cd3-ae46d8215007.html
E:http://hnn.us/article/156129
(著者による解説)
F:http://www.common-place.org/vol-14/no-03/slaughter/#.U7dfPJXlqUk
(書評)
G:http://www.philipvickersfithian.com/2014/04/the-authors-corner-with-thomas-p.html
(著者のインタビュー)

 なお、スローターは、1983年にプリンストン大学で博士号取得、米ロチェスター大学歴史学教授、という人物です。
http://www.rochester.edu/College/HIS/faculty/slaughter_thomas/index.html

2 米独立革命の起源

 (1)総論

「<この本は、このテーマを扱ったこれまでの本とは違って、米独立革命の淵源を、>更に昔に設定し、イースト・アングリア(East Anglia)<(注1)>人達とスコッチ・アイリッシュ人(Scotch-Irish)<(注2)>達が、自分達の祖先の生息地よりも、<北米への植民という>不完全で危険な道をを選んだところの、大西洋の向こう側のイギリスとアイルランドに求めている。

 (注1)「イングランド東部の地方名。東のアングル人の土地という意味である。アングロ・サクソン<七>王国時代のイースト・アングリア王国に因む。・・・616年頃・・・ライバルのノーサンブリア王国を破り、覇権を確立した。しかし、その後・・・794年にはマーシア王オッファの支配下に入った。825年から827年にかけてマーシアの支配に対する大反乱が起こり、イースト・アングリア王国は一時的に復興された。だが、870年デーン人が・・・イースト・アングリア王国を滅ぼした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%A2
 17世紀まで、イーストアングリアのかなり大きな部分は湿原と沼地であり、1630年代に数千人のイーストアングリアの住民達がニューイングランド地方に移住した。
http://en.wikipedia.org/wiki/East_Anglia
 (注2)Ulster Scots。「その祖先の大部分が、低地スコットランド及び北部イギリスのプロテスタントであった人々で、多くが「境界強奪者達(Border Reivers)」文化出身。彼らは、アルスター(Ulster)<(=現在の北アイルランド)>植民(Plantation)、すなわち、スコットランド王ジェームズ6世兼イギリス王ジェームズ1世の後援の下で行われた、最も幅広くアルスター州における、しばしばアイルランド貴族から没収した土地への植民の計画されたプロセス、の一環として、大人数でアイルランドに移住した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ulster_Scots_people
 境界強奪者達とは、「13世紀末から17世紀の初頭までのイギリスとスコットランドの境界付近における襲撃者達(raiders)。彼らの仲間達はスコットラント人とイギリス人の諸家族から成っており、彼らは、彼らの犠牲者達の<スコットランドとイギリスの>国籍の頓着することなく境界線近くの全地域をを襲撃した。
 彼らの全盛期は、恐らく、スコットランドではチューダー朝、イギリスではテューダー朝の諸国王の時代、つまりは、彼らの存在期間の最後の百年間だった。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Border_Reivers

 ・・・スローターは、未来の北米人達(Americans)は、<北米の>プリマス(Plymouth)やジェームズタウン(Jamestown)で下船するはるか前に自分達の母国にうんざりしていたと措定(posit)する。
 彼らは、宗教的、経済的、或いは社会的自由、もしくは、この三つ全てを欲し、それらを獲得するためには自分達の命を危険に晒すことを厭わなかった。・・・
 <ところが、>英国は、北米人達を自分達とだけ交易させたいと、そして、<西>インド諸島に手出しをする(encroach on)ことを止めさせようと、した。
 彼らはまた、植民者達に、諸税でもって自分達の生活必需品(keep)<たる本国軍駐留経費>を支払わせることに固執した。」(A)

⇒初期の英領北米植民地人は、英国教徒たる気位だけは高い食い詰め者(イーストアングリア人)とプロテスタントたる山賊くずれ(スコッチ・アイリッシュ)、つまりは、いずれ劣らぬ人間主義抜きの裸の個人主義者達であった、ということです。(太田)

 「この本の主張は、北米植民者達は、常に17世紀における<北米の英領>諸植民地の創建の時に回帰(reach back to)しており、「独立的」であって、自分達が「独立的」であることについて自分達自身を褒めていた、というものだ。
 <他方、>大英帝国の国王達と政治的指導者達は、常に、北米人達が分離を狙っていると思っており、彼らを「独立的」であると批判した。
 すなわち、<北米人達は>この帝国から分離する大志を抱いている、というのだ。
 やがて、北米人達は、この帝国が、自分達が独立的であること(independence)を抑制(restrain)しようと試みていると感じ、最終的には、自分達が、大英帝国の独立的な臣民達にして立派な(proud)臣民達という二つを両立させることはできないと決するのだ。
 その時点で、北米人達が自分達の独立性の擁護と見、英国人達が無法な叛乱と信じたところの、戦争が起こったわけだ。」(G)

 「植民者達はこの帝国内における独立に向けて奮闘を続けたのに対し、英国の行政官達は<植民者達が>この帝国からの独立を狙っていると信じ続けた、ということだ。」(B)

(続く)