太田述正コラム#7233(2014.10.11)
<皆さんとディスカッション(続x2412)/セミナー5:イスラム世界、インド、人間主義>

<太田>(ツイッター)

 村上春樹が今年もノーベル賞をとれなかったことについて、人民網が何本も記事を載せている。例えば、
http://j.people.com.cn/n/2014/1010/c94473-8792875.html
http://j.peopledaily.com.cn/n/2014/1010/c94473-8792939.html
 後者では、「「村上春樹は泣かない」というスレッドが立てられた。
 あるネットユーザーは、「ノーベル界の村上春樹は、アカデミー界のレオナルド・ディカプリオ、サッカー界のオランダのよう……」とコメント。
 多くのネットユーザーが、「受賞してもしなくても、私の中では一番の作家。読書がそれほど好きでない私でも、村上春樹の本なら読み始めたら最後まで一気に読んでしまう。彼の作品は本当にすごい」、「村上春樹の成果を、1つの賞だけで証明することはできない。残念に感じるべきなのは、村上春樹でなく、ノーベル賞のほう」などと、村上春樹氏を応援する声を寄せた。…」と中共の人々の声を伝えている。
 邦字紙も真っ青っていうぐらいの力の入れ方だわ。
 村上春樹サンに代わって謝謝。

 「ノーベル物理学賞:赤崎・天野氏を30年支え続けたトヨタ…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/10/10/2014101001017.html
 受賞記事は、こうありたいね。
 朝鮮日報に〇。
 それにしても、本件についても企業間で訴訟合戦が行われてたんだー。
 裁判官をもっと増やさないとトンデモ判決出現を防げないぞ。

<太田>

 最盛況であったところの、本日の講座・・この講座を企画された市長ご本人が初めて(しかも最後まで)聴講されました・・の終了後、最終回だったこともあり、市のお誘いに応じて、八幡市にある石清水八幡宮に参拝しました。
 たまたま、本日の講座を聴講されていた、古参コラム読者にもお声掛けをし、一緒にお世話になった次第。

さて、京都からの帰途、1〜4回同様、新幹線の中からこのコラムをアップする予定だったのですが、かつて一度あり、つい最近二度目があったところの、スマホに「SIMカードが入っていません」表示が出、過去2回は、SIMカードを取り出し、SIMカードを拭いた上で元に戻して解決していたのですが、今回は、SIMカードが取り出せず、結局、コラムのアップを断念し、アップが大幅に遅れてしまいました。
 (アップルの保証期間中なのか、そもそも、故障と認められるのか、不安ですが、明日問い合わせてみます。)

 なお、これは予定通りですが、本日の記事の紹介は明日に回します。

 10月18日の東京オフ会まで一週間になりました。
 市民講座で使用した全スライドを使って講座を要約します。
 参加申し込みは下掲から。↓
http://www.ohtan.net/meeting/
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VI イスラム世界、インド、人間主義

 1 イスラム世界

  (1)中東イスラム世界の苛烈さ

 「エジプトは、基本的にナイル渓谷(地中海付近での扇状地を含む)にしか可住地がなく、その周りは全て砂漠であるという意味で領域的一体性があり、かつまた、住民の均質性が高い・・91%が民族的な意味でのエジプト人である・・という2点において、中東アラブ世界の中では例外的な存在です。・・・
 つまり、エジプトは、本来であれば、求心力が働き内紛が起きにくいし、そもそも、社会の中で信頼関係が醸成され易い、というわけで、ホッブス的世界<(万人が万人と闘争している世界)>にはなりにくいはずなのです。
 ところが、エジプトもまた、ホッブス的世界であることは、<「1922年2月28日に・・・成立<したが、>1953年に共和制へと移行し<た>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E7.8F.BE.E4.BB.A3.EF.BC.881882.E5.B9.B4.E7.8F.BE.E5.9C.A8.EF.BC.89 >
王政<の>打倒後に長期にわたって継続したところの、事実上の軍部独裁政権が、アラブの春の一環で2011年に打倒された途端、収拾がつかなくなったという点一つ取っても明らかでしょう。
 一体どうしてそうなってしまったのでしょうか。
 私は、民族的な意味でのエジプト人が、その歴史の大部分を、他民族の支配者<(ペルシャ人→ギリシャ人→ローマ人(キリスト教化)→アラブ人(イスラム教化+アラビア語化)→クルド人→チェルケス人等→トルコ人→フランス人→アルバニア人→英国人)>の下で生きることを余儀なくされてきたからである、と考えています。」(コラム#6985)

  (2)イスラム教の外形性と普及力

 「どうしてイスラム教が中東世界に広まったのでしょうか。
 また、どうしてイスラム教は、依然としてアフリカを中心に信徒数を増やしつつあり・・・、信徒数世界一のキリスト教に迫りつつあるのでしょうか。」(コラム#7001)
 「イスラム教に帰依すれば、<ホッブス的世界における>バラバラの個人や集団の間で、共通の神アラーをいただき、共通のイスラム教的生活規制に従うことを通じた擬似的な連帯感が生まれ、イスラム教が「喜捨」による相互扶助を勧めていることともあいまって、人々が抱く根元的な不安が多少なりとも軽減されるからです。」(コラム#87)

 「<さて、この際>、基本の基本みたいな話ですが、信徒にとってのイスラム教を簡単に纏めてみました。

一、「六信とは、<イスラ>教徒>が信じなければならない6つの信仰箇条。五行とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。
1.唯一全能の神(<アッラー>)
2.天使の存在(マラーイカ)
3.啓典(神の啓示、キターブ)<(注<α>)>
4.使徒・預言者(ラスール)
5.来世の存在(アーヒラ)
6.定命(カダル)<(注<β>)>」・・・

 (注<α>)「唯一神(<アッラー>)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。
1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)
2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)
3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)
4.ムハンマドに下された<『コーラン』>・・・
 モーセ五書とは、「旧約聖書の最初の5つの書」。・・・
 詩篇とは、「旧約聖書に収められた150篇の神(<エホバ>)への賛美の詩。」・・・

 (注<β>)「すべての人間(あるいは万物そのもの)の運命が神(アッラー・・・)によって定められていること。」・・・

 簡単極まるなって思いませんか?
 何せ、信じりゃいいだけなんですから。
 啓典だって、読む必要はないんで、ただ、それらに書いてあることは正しいって信じりゃいいだけですよ。
 (そもそも、クルアーン(コーラン)は非アラブのイスラム教徒用に翻訳することはないので、アラビア語のできない人には読めません。)

二、「五行(ごぎょう)とは、ムスリム(イスラーム教徒)に義務として課せられた5つの行為であり、六信とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。・・・
信仰告白(シャハーダ)「<アッラー>の他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である。」と証言すること。
礼拝(サラー)一日五回、<メッカ>に向かって神に祈ること。
喜捨(ザカート)収入の一部を困窮者に施すこと。<(注<γ>)>
断食(サウム)ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと。
巡礼(ハッジ)<メッカ>のカアバ神殿に巡礼すること。<(注δ)>・・・

 (注<γ>)「<コーラン>においては・・・自由な喜捨を意味した<が、>・・・<後に、イスラム教徒>に課せられた財産税で、貧者の救済を主眼におく目的税<になった。>」・・・
 <(注δ)「実行出来る体力や財力のある者のみが行えば良いものとされている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%B8 >

 これまた、簡単極まりないですよね。
 何も考えず、ただ、そうすりゃいいってことなんですから。
 つまり、一般信徒に関しては、イスラム教は教義なんて無きに等しいと言っていいでしょう。」(コラム#7001)

 なお、イスラム教徒に課されるその他の義務として、ハラール、ヴェール着用を含む女性差別、飲酒禁止、賭博禁止等がある。(コラム#7003)

 他の宗教と比較しつつ、まとめると、こういうことになります。

 「仏教はそもそも言葉にあらわせない悟りを伝えようとしているんだし、キリスト教は旧約聖書と新約聖書の間に齟齬があるだけじゃなく、新約聖書がそもそも、少しずつ食い違いがある四つの福音書、等から成っている。
 それに対して、イスラム教は、第一の聖典であるコーランはムハンマド一人が口述した「神の啓示集」であり、第二の聖典であるハディースについても、本来は種々の伝承者達によるムハンマドの現行の記録だが、ハディース中の「真正集」がほぼ確立していることから、仏教やキリスト教に比べてイスラム教の教えは極めて明確である、というのが特徴の第一点だ。
 そして、イスラム教徒は、六信を信じ、五行を実践すればよい・・・ところ、六信はその表明という外形的行為で充足され、五行は外形的行為そのものによって充足されるので、単純明快であり、信仰心を本当に持っているか、とか、その信仰の内容はいかなるものか、などといったことは問題にならない、というのが特徴の第二点だ。」(コラム#7195)
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〇《スライド》イスラム教の外形性

 六信:イスラム教徒が信じなければならない6つの信仰箇条。

1.唯一全能の神
2.天使の存在
3.啓典(旧約聖書の二カ所・新約聖書中の福音書・コーラン)
4.使徒・預言者
5.来世の存在
6.定命(すべての人間あるいは万物そのものの運命が神によって定められていること)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E4%BF%A1

 五行:イスラム教徒に義務として課せられた5つの行為

信仰告白(「アッラーの他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である」)
礼拝(一日五回、メッカに向かって神に祈ること)
喜捨(収入の一部を困窮者に施すこと。後に目的税たる財産税になった)
断食(ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと)
巡礼(実行できる者がメッカのカアバ神殿に巡礼すること)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C_(%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99)

 その他:ハラル(食物禁忌)、ヴェール着用を含む女性差別、飲酒禁止、賭博禁止等
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  (3)中東イスラム世界近代化の困難性

 住民の大多数がイスラム教徒である、この中東アラブ世界においては、これまで近代化に成功した事例が一つもありません。
 代表的な事例を見ていきましょう。
 (ここでは、非アラブであるイランは扱っていませんが、基本的に事情は同じです。)

 「ア 欧州文明部分的継受・・・

一、<オスマントルコの>タンジマートも<エジプトのムハンマド・>アリーの政策も、いずれも、アングロサクソン文明ではなく欧州文明の継受を目指したこと、しかも、全体的継受ではなく部分的継受・・後者にあってはつまみ食い的継受と言うべきか・・であった点では大差ない。
 すなわち、二重の意味において、そもそも問題があった。
二、しかし、アリーの政策には、それに加えて以下のような問題があった。
 ・<トルコ人たる被治者が、少なくともアナトリア半島には多数いたオスマントルコとは違って、>外国人支配者であったことからも、民本主義的観点が欠落していた。(非民主的)
 ・富国が強兵のための手段でしかなかった。(前近代的) 
 これでは、アリーの政策の成功する可能性は、タンジマートが成功する可能性よりも顕著に低かった、と言わざるをえません。」(コラム#7017)

 「イ アングロサクソン文明全面的継受<(但し、漸次的)>

   ・ヨルダン王国(1923年〜。独立:1946年)・・・」(コラム#7019)
 <まだ、現在進行形であり、結論は出せない。>

 「ウ 欧州文明全面的継受

   ・トルコ共和国<(トルコ民族ファシズム:1923〜2002年)>・・・
   ・エジプト<(汎アラブ・ナショナリズム:1956〜70年、エジプト・ナショナリズム:1970年〜)>・・・
   ・イラク<(汎アラブ・ファシズム:1963〜2003年)>・・・
   ・シリア<(汎アラブ・ファシズム:1963〜)>」(コラム#7100)

 これは、中東アラブ社会では、いとこ婚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93%E5%A9%9A
等によって結束を固めた部族内でしか基本的に信頼関係が成立していないために、近代化のための前提であるところの、統治者と被治者(の大部分)との間での信頼関係の確立が困難であり、かつまた、中東アラブ世界の大部分の人々が帰依しているイスラム教が、これまた、近代化のための前提であるところの、政教分離(すなわち世俗化)が原理的に困難・・「『<イスラム>とは、単なる宗教の枠組みに留まらない、<イスラム教徒>の信仰と社会生活のすべての側面を規程する文明の体系である』という理解」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0
が一般的・・で、しかも、後述するような、復古に向けたベクトル・・真正イスラム教に戻ろうとする傾向・・を持っている宗教だからです。
 そんな中東アラブ世界を近代化させるにはどうしたらよいかですが、私の考えはこうです。

 「アラブ諸国には、以上のほかにもたくさんあるわけですが、要は、中東アラブ世界なるホッブス的世界において、かろうじて秩序らしきものを与えているのがイスラム教であること、しかし、中東アラブ世界にはクルド人やベルベル人のような非アラブ民族もいること、かつまた、イスラム教自体、大きくスンニ、シーア両派に分かれているだけでなく、それぞれが更に種々の派に分かれているだけでなく、アラウィ派のように、イスラム教と他の宗教が混淆した宗派が存在すること、キリスト教徒・・キリスト教にも様々な宗派がある・・やユダヤ人等も存在すること、から、できうればムハンマドの血を引くと目される、しかし、世俗的な君主が統治する、イギリス的な立憲君主制が、「国」を問わず、本来、中東アラブ世界の現状に最も適している、というのが私の考えです。
 もちろん、私の念頭にあるのはヨルダンの政体です。
 過激イスラム勢力や急進的イスラム勢力の権力掌握は回避すべきだし、欧州由来のファシズムやナショナリズムも排するべきである、ということです。
 そうは言っても、君主制を採用しなかった、或いは廃止した、という歴史を今更逆転させるのは困難でしょうから、民主主義は、中東アラブ世界には時期尚早であって<(コラム#3581以下のシリーズ)>できる限り回避するのが筋ではあるものの、せめて、<そもそも、党派的になりがちな上に、政治的>権威と権力が一致しているために独裁的になりがちな(欧州由来の)大統領制ではなく、(イギリス由来の)議院内閣制を採用するのが望ましい、と私は思っているのです。
 なお、汎イスラム主義・・Isis等の過激イスラム勢力が信奉・・はもとより、汎アラブ主義も、エジプトを始めとして、独自のアイデンティティを持っている「国」が少なくないことから、基本的に時期尚早である、と言ってよいでしょう。」(コラム#7100)

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〇《スライド》中東イスラム世界の近代化挫折史

 欧州文明部分的継受
  オスマントルコ(タンジマート:1839〜78年)⇒失敗
  エジプトのムハンマド・アリー期(富国強兵:1805〜48(49)年)⇒失敗

 アングロサクソン文明漸次的全面的継受
  ヨルダン王国(1923年〜。独立:1946年)⇒現在進行中

 欧州文明全面的継受
  トルコ共和国(トルコ民族ファシズム:1923〜2002年)⇒失敗
  エジプト(汎アラブ・ナショナリズム:1956〜70年)⇒失敗
      (エジプト・ナショナリズム:1970年〜)⇒失敗?
  イラク(汎アラブ・ファシズム:1963〜2003年)⇒失敗
  シリア(汎アラブ・ファシズム:1963〜)⇒失敗
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  (4)イスラム国(Isis)とは何か

 ここで、現在、耳目を集めているIsis問題を説明しておきましょう。
 Isisを理解するためには、若干の予備知識が必要です。

 「サラフィー主義(Salafism)は、「初期イスラムの時代(サラフ)を模範とし、それに回帰すべきであるとするイスラム教<スンニ>派の思想。・・・シャリーアの厳格な施行を求め、聖者崇拝やスーフィズム、シーア派を否定する。祖は13世紀から14世紀にかけ中世シリアで活動した・・・イブン・タイミーヤ[(1258/63〜1328年)]であるとされ<る。>」・・・
 <彼は、>シーア派やギリシア哲学の影響を受けた<イスラム>神学と神秘主義(スーフィズム)に反対し、その影響を排除することを唱えた。そのために、・・・シャリーアの絶対性を唱え、・・・コーラン・・・とスンナ<(預言者ムハンマドの言行)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%8A >こそが信仰の基本であり、このふたつをシャリーアの法源の第一とすべきであるとし、また、シャリーアの厳守と完全な実施がイスラム国家の指導者の義務であると主張した。・・・イスラム国家であってもこの義務を果たさない国家及び指導者は出自や資質を満たしても正当な指導者とは認められず、彼らに対するイスラム教徒の戦いにはジハードが成立すると・・・した。
 当時モンゴル帝国のイランにおける政権であるイルハン朝は、・・・イスラーム政権としての権威も主張し始めていた。イブン・タイミーヤは・・・イルハン朝との闘争はジハードであると主張した・・・。後世においては・・・〈サラフィー主義ジハード派〉・・・が西欧法を受容したイスラーム国家を否定して革命を起こすための名分に用いられ、彼らは既存のイスラーム国家を「現代のタタール(モンゴル)」と呼んでいる。」・・・
 「近世に生じたワッハーブ派・・・はサラフィー主義から派生したもので、今もこれに含む考えもある。・・・
 サラフィー主義者は・・・基本的には非暴力的である。これに対しシャリーア施行などを実現するために武力行使をジハードと位置づけて優先する流れ(1990年代以降に台頭した)については、区別して『サラフィー・ジハード主義』(サラフィー主義・ジハード派)などと呼ばれ、アルカーイダ・・・など日本メディアがイスラム過激派と表現するものの一部はこれにあたる。・・・
 ムスリム同胞団・・・などもサラフィー主義を源流とするとみられるものの、より社会福祉を重視するなど経済や貧富の格差に注目する社会運動としての性格を強く築いてきた点が区別される(このため必然的に同胞団の社会政策は大きな政府となろう)。これに対しアラブの春以降の現在のサラフィー主義にはワッハーブ派であるサウジアラビアの影響も強く、利子を禁止するイスラム金融を重んじるほかは、商業や経済活動に肯定的で、ある意味資本主義的、市場経済的であり夜警国家指向ともいえる。このようにアラブの春後の各国では同胞団系とサラフィー主義系は別々の宗教政党を作り、つば競り合いを演じた。」(コラム#7007)

 「ワッハーブ派も<ムスリム同胞団>もサラフィー主義・・創生期のイスラム教への回帰を目指す・・に立脚している点では同じです。
 ワッハーブ派と<ムスリム同胞団>の違いは、第一に、ワッハーブ派が(私の言葉で言えば、)時間を圧縮して一気に創生期に回帰することを旨とするのに対して、<ムスリム同胞団>は、ムハンマドがそうしたように、情勢の不利な時には雌伏し擬態をとり、情勢が有利になった時に初めて創生期に回帰することを旨とする点です。
 想像するに、ワッハーブ派は、真正でない者が少なくないとはいえ、既に多数のイスラム教徒が世界に存在する以上、ムハンマド当時と違って情勢は基本的に有利である、という考えなのではないでしょうか。
 違いの第二は、ワッハーブ派はイデオロギー集団であるのに対し、<ムスリム同胞団>は国家内国家的な組織である点です。・・・
 サウディアラビアないしワッハーブ派がこの<ムスリム同胞団>を敵視するに至ったのは、サウディアラビアの支配者たるサウド家とイデオロギー集団たるワッハーブ派とは、後者が前者に支配の正統性を付与し、他方で、前者が後者に対して宣教活動の資金等の支援を行う、という相互依存、共栄関係にあるところ、<ムスリム同胞団>は、イスラム教徒が多数を占める国家を内部から次々に乗っ取って行くことで、イスラム教徒全体を包摂するイスラム帝国の構築、ひいてはその全球への拡大を目指していて、サウド家にとって、本質的には敵対的存在であることに気付いたからでしょう。
 で、アルカーイダは、どこが目新しいかと言えば、対外的ジハードの実践をメンバー達に課すところの、テロリスト/イデオロギー集団である点です。
 サウディアラビアがこのアルカーイダをも敵視するようになったのは、ビンラディンが「メッカ・<メディナ>という聖地を有するサウ<ディ>アラビアの国内に<米>軍を駐留させないよう求めた<ものの>、サウディアラビア<が、米>・・・軍の駐留を認め<ただけでなく、>・・・<米軍等による>湾岸戦争<を積極的に支援したことを契機に、>急速に反米活動に傾倒<し>ていった」・・・からです。
 このように、対外的ジハードの主要対象をソ連だけから米国にまで拡大したことで、アルカーイダは、サウディアラビアないしワッハーブ派、及び、欧米、から、サラフィー・ジハード主義・・・の烙印を押されるに至り、現在に至っているわけです。 
 さて、それでは、一体、アルカーイダとIsisは、どこが違うのでしょうか。
 どちらも、同じくサラフィー主義であることには違いはないのですが、前者は、分散型組織でもって対外的ジハードに従事するテロリスト/イデオロギー集団であるのに対し、後者は階統的組織でもって領域的支配の維持拡大を図りつつ対外的ジハードに従事する戦闘集団である、という違いがある、というのが私の見解です。
 バグダーディーが2010年5月に「イラクのイスラム国」・・・の指導者になった時点では、「イラクのイスラム国」はアルカーイダのイラク支部でしたが、彼は、アルカーイダの方針に反して2013年にシリアにまで活動領域を拡大し、同年4月に、「イラクのイスラム国」を「イラクとレヴァントのイスラム国(ISIL)」ないし「イラクとシリアのイスラム国(Isis)」へと改称し、シリア内のアルカーイダ組織と抗争を始めたため、ついに、2014年2月、アルカーイダはIsisを破門・・・します。
 そして、2014年6月29日にバグダーディーが、カリフを自称するとともに、Isisの名称を「イスラム国」へと再び改称したことはご存知の通りです。・・・
 で、両者の違いなのですが、アルカーイダはワッハーブ派の母斑を残しており、その中枢は、かつてはサウディアラビア、そして現在ではタリバンという「国家」と相互依存、共栄関係にあるのであって、そのことによってイデオロギー集団としての純粋性を維持しているわけです。
 ですから、その対外的ジハードの対象は、旧ソ連及び欧米ないしキリスト教徒ないしユダヤ人、次に(広義の)シーア派、そして次に「堕落した」スンニ派までであって、スンニ派の「国家」に至っては、基本的に対象とはしません。
 それに対して、Isisは、イデオロギー集団としての純粋性を維持しつつ「国家」形成とその領域の拡大を旨としており、論理必然的に、全方位的な対外的ジハードを展開することにあいなるのです。」(コラム#7204)

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〇《スライド》サラフィー主義

 「サラフィー主義(Salafism)は、「初期イスラムの時代(サラフ)を模範とし、それに回帰すべきであるとするイスラム教スンナ派の思想。・・・シャリーアの厳格な施行を求め、聖者崇拝やスーフィズム、シーア派を否定する。祖は13世紀から14世紀にかけ中世シリアで活動した・・・イブン・タイミーヤ[(1258/63〜1328年)]であるとされ<る。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 「「サラフィー主義・・・はシャリーアの厳格な施行やイスラーム国家の樹立を求めるなど政治性が強いものの、基本的には非暴力的である。これに対し・・・<目的は同じくしつつも、>武力行使をジハードと位置づけて優先する流れ(1990年代以降に台頭した)については、区別して『サラフィー・ジハード主義』(サラフィー主義・ジハード派)などと呼ばれ、・・・イスラム過激派と表現するものの一部はこれにあたる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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〇《スライド》サラフィー主義の系統図

サラ
フィー主義→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
(イデオロギー集団)   |
|
→a→ワッハーブ派→→→→→→→→→  |  →→→→→
(イデオロギー集団) |         |
              |         |
              |         |
              |         | 
              |          →d→イスラム国
              |         |(戦争「国家」)
              | |
              |         |
              →c→アルカーイダ゙系→→→→→→→
              |  (テロ集団)
     →→b→ムスリム |
          同胞団→→→→→→→→→→→→→→→→→→
          (「国家」内「国家」)

a 追加:急進主義/「国家」との提携(但し、「国家」=サウド家)
b 追加:漸進主義/「国家」内「国家」構築
c 変更:急進主義/対イスラム世界外ジハード≒テロ(但し、「国家」=タリバン等)
d 変更:「国家」構築/対イスラム世界内ジハード≒戦争
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 そのIsisは、サラフィー主義諸団体中、換言すれば、イスラム原理主義諸団体中、最も創世期のイスラム教に忠実な、「真正」な存在なのです。

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〇《スライド》Isis(バグダーディー)は創成期のイスラム教(ムハンマド)に忠実
       略
〇《スライド》Isis(バグダーディー)と創成期のイスラム教(ムハンマド)の相似性(1)
       略
〇《スライド》Isis(バグダーディー)と創成期のイスラム教(ムハンマド)の相似性(2)
       略
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 「このところ、非真正イスラム教徒の真正イスラム教徒化、そして真正イスラム教徒の最真正イスラム教徒化が加速度的に進行し<ており、ついに、Isisの出現にまで至っ>ているのは、中東イスラム世界を中心とするイスラム世界の(女性を含む)教育程度が高くなった結果、インターネット等を通じて、真正イスラムとは何ぞや、ということが、彼らの間で知れ渡ったから」(コラム#7215)であり、いわゆるアラブの春は、民主化運動というより、真正イスラム化運動、と見た方がよいのです。
 ですから、Isisが、中東アラブ世界で、ひいては、(その大部分がスンニ派イスラム教徒であるところの、)全世界のイスラム教徒の間で絶大な人気を博しているのは、当然なのです。

 「<最後に、アラブの春でエジプトに一時的に誕生したムルシ政権や、ガザで権力を握っているハマスに代表される>ムスリム同胞団<について、もう少しだけ説明しておきましょう。>
 <同団は、>サラフィー主義を源流とするとみられるものの、より社会福祉を重視するなど経済や貧富の格差に注目する社会運動としての性格を強く築いてきた点が区別される(このため必然的に同胞団の社会政策は大きな政府となろう)<の>に対し・・・現在のサラフィー主義にはワッハーブ派であるサウ<ディ>アラビアの影響も強く、利子を禁止するイスラム金融を重んじるほかは、商業や経済活動に肯定的で、ある意味資本主義的、市場経済的であり夜警国家指向ともいえ<、現在、中東アラブ世界の>各国では同胞団系とサラフィー主義系は・・・つば競り合いを演じ<ているところです>。」(コラム#7198)

  (5)Isis対策(私の提言)

 「ムハンマド当時のサーサーン朝ペルシャの領域・・・<と>現在のシーア派地域・・・<は、>1,400年を隔てているにもかかわらず・・・ほぼ重なってい・・・ます。
 これは、決して偶然の一致なのではありません。・・・
 「イスラム帝国・・・は<サーサーン朝>ペルシアを軍事的に<は>征服した<けれど>、古くから文明を発展させてきたペルシアは官僚や学者としてこれを支え、むしろイスラム帝国を内部から文化的に征服したとも評され<、>イスラム帝国のもと、ペルシアの文化は再度開花した」・・・<わけですが、シーア派は>ペルシア人<が創り出した自分達の>民族宗教としての側面<が>ある」・・・のです。
 私見では、Isisは、・・・ペルシャ人ないしシーア派への宥和政策が、その後のイスラム世界にとって最大の癌となった、という認識なのであり、Isisの領域拡大の第一段階において、拡大レバント(イラク・シリア・レバノン・ヨルダン)における、シーア派系政権からの権力奪取とシーア派霊廟群の破壊、ひいてはシーア派の壊滅、を目論んでいるのです。
 これを達成できれば、非ペルシャ人たるシーア派・・サーサーン朝時代のペルシャの植民地原住民の後裔達・・の大部分を一掃でき、その上で、おもむろにシーア派の本家のペルシャ(イラン)攻略に取り掛かる、という構想をIsisは抱いているように思われます。」(コラム#7208)

 現在、米国中心の欧米諸国が、湾岸諸国の尻を叩く形で、対Isis空爆が行われていますが、地上部隊の投入なくしてIsisの進撃を食い止めることなど絶対にできませんし、地上部隊を投入したところで、必ず軍事的に展望が開けるというものでもないばかりか、その帰趨に関わらず、事態を一層悪化させることは必至です。
 そこで、私の提言は以下の通りです。

 「米欧は、湾岸諸国やエジプトに対する支援を止めるとともに、同地域から米軍等を撤退させる。
 また、パキスタン(すなわちスンニ派の隠れた総帥)の核能力を(核装備や核施設等を爆撃する等の形で)除去した上で、イラン(シーア派の総帥)に核放棄を実効性ある形で誓約させ、その上で、イランに支援を与え、イランが、中東アラブ世界において、サーサーン朝並或いはそれ以上の地域に覇権を確立することを黙認する。
 更に、ヒズボラに、シーア派以外の安全の確保、及び、対イスラエル非攻撃を誓約させた上でレバノン全域の支配権を認め、更に、軍事援助を与える。
 アサド政権は立ち枯れさせ、アサド政権に連なる人々は、(レバノンとの国境付近の)アラウィー派地区に籠らせ、この地区をヒズボラの保護下に置かせる。
 トルコに、NATO残留を希望するなら、国外のスンニ派国ないしハマス等のスンニ派団体への公然非公然の全ての支援や便宜供与を止めるように働きかけ、実行させるとともに、スンニ派非スンニ派いかんにかかわらず、クルド人の支援を誓約させる。
 そして、在イラククルド人への支援の継続と相俟って、クルド国家のイラク内における建国を実現する。・・・
 しかし、以上は、仮に採用されたとしても、あくまでも暫定的な措置に過ぎないのであって、脱イスラム教化のための抜本的な戦略を我々は練るべきでしょう。・・・
 暫定的措置も抜本的戦略も、言うは易くして行うは難し?
 しかし、そう言っている限りは、事態は悪化するばかりなのです。」(コラム#7216)

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〇《スライド》イスラム・インド文明の人物群

 ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(Muḥammad ibn `Abd Allāh、570年頃 - 632年)
 「ムハンマドは・・・マディーナのイスラーム共同体と敵対していたマディーナ東南部のユダヤ教徒・・・の集落を・・・包囲襲撃し・・・無条件降服した彼ら の内、戦闘に参加した成人男子を全員処刑して虐殺し、女性や子供は捕虜と して 奴隷身分に落とさせ、彼らの財産を没収させた・・・<また、>敵対的な態度を取る・・・・<二つのアラブ人>部族を平定した。・・・<更に、キリスト教を国教とする>ビザンツ帝国への大規模な遠征もおこな<っ>たが失敗した。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95

釈迦 (Gautama Buddha、前563年〜前483年(諸説あり))
「釈迦は、<長期>に亙る厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても、これでは悟りを得ること ができないとして苦行を捨てた。これを中道を覚ったという。釈迦は、苦行を捨て断食も止めて中 道にもとづく修行に励み、つ いに目覚めた人(=仏陀)となっ た。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%93
 「修<行とは、>・・・ 財産・名 誉・性欲といった人 間的な欲望(相 対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶 対的幸福)を追求することを指す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E8%A1%8C

 スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose、1897年 〜 1945年)
 「ボー ス<は、>・・・インド高等文官試験・・・に・・・合格したものの、このままではイギリス植民地支配の傀儡となるだけだと判断して資格を 返上した。・・・<彼は、>イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念を抱いており、ガンディーの非暴力主義には強く反対し・・・た。・・・ また・・・統 一インドとしての独立を望んで<いた。>・・・ 河辺中将は日本軍によるインド侵攻のためのインパール作戦<(コラム#1250)>の・・・指揮を執ることになるが、・・・チャンドラ・ボースと心中するのだ・・・と考えていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9
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 2 インド

  (1)インド文明(カースト制)の成立

 近々、世界一の人口大国になろうとしている、一応自由民主主義国であるインドについても、簡単に触れておきたいと思います。
 そのインドの文明は、端的に言えば、カースト制の文明です。

 そこで、「インド亜大陸におけるカースト制成立の経緯に係る私の仮説を簡単に再整理してお<きましょう>。

1.平等で平和な先住民社会があった。(インダス文明)
←インダス文明瓦解
2.平等で平和だが落魄した先住民社会になった。
←渡来民来訪・戦乱の始まり
3.渡来民間で、権力者層が、自分達をあえて次等に位置づけるバラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャの3つの区分を導入し、先住民をシュードラとし、バラモンは輪廻思想でもってこれを説明し、バラモン教が成立した。
←混血進捗・感染症蔓延
4.バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ相互の混淆が禁止された。
←釈迦が出現し、平等、平和への方法論を説く
5.より平等的で平和的な社会になった。
←マウリヤ朝のインド亜大陸初の帝国形成の試みがアショーカ王の仏教化により挫折
6.戦乱や新たな諸渡来民の侵攻から既先住民の生活の自律性を守るために上記区分が相互の混淆禁止とともに、より細分化された形で復活強化され、ヒンドゥー教が成立した。」(コラム#7172)

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〇《スライド》インド亜大陸におけるカースト制成立の経緯
        略
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  (2)仏教の陥穽

 インドのカースト制文明を成立させたのは、実は仏教であったという話をしたわけですが、その点について、もう少し説明しておきます。

 「「アショーカは即位後仏教に帰依し、仏教の教えを広めるためにヘレニズム諸国やスリランカに使節を派遣した<が、>・・・彼の摩崖碑文などでダルマの内容として繰り返し伝えられるのは不殺生(人間に限らない)と正しい人間関係であり、父母に従順であること、礼儀正しくあること、バラモンやシャ<−マ>ンを尊敬し布施を怠らないこと、年長者を敬うこと、奴隷や貧民を正しく扱うこと、常に他者の立場を配慮することなど<であ>る<ところ>、統治上の理由から辺境の諸住民に対しては「ダルマ」の仏教色を前面に押し出さないように配慮がなされている。彼はダルマが全ての宗教の教義と矛盾せず、1つの宗教の教義でもないことを勅令として表明して<いる。>」・・・という次第で<あり、>・・・アショーカは、仏教が本来宗教でないことを正しく理解していた、ということ<でしょう>。
 しかし、その結果はインド亜大陸に大きな悲劇をもたらすことになります。
 「アショーカ王は晩年、地位を追われ幽閉されたという伝説があり、また実際に治世末期の碑文などが発見されておらず、政治混乱が起こった事が推測される。・・・<そして、>アショーカの死後、マウリヤ朝は分裂<する>」・・・ところ、その最大の原因はアショーカの仏教に基づく平和志向/軍事軽視であった、というのが私の考え・・・ですが、それにとどまらず、インド亜大陸において、アショーカがインド亜大陸全体に広めた仏教の平和志向/軍事軽視の姿勢は、仏教と切り離された形でその後も「堅持」されることとなり、マウリア朝以後、インド亜大陸は、内生的な統一、ないし帝国形成を果たせぬまま、後に、外来の、イスラム勢力やイギリスによる支配を受け続けることになるのです。
 私は、アショーカ後に、インド亜大陸において、復活強化されたカースト制、及びそれと不可分の関係にあるヒンドゥー教が、バラモン教を換骨奪胎して生まれ、仏教に代わって大部分の亜大陸住民の間に広まったのは、仏教では、打ち続く戦乱、就中、外来勢力による略奪的侵攻や支配に抗して、彼らの生活の自律性を維持することができなかったからであり、彼らは、ヒンドゥー教によって聖化されたカースト制に拠って自分達の生活の自律性をカーストごとに維持する以外に抗する手段がなかったからだ、と思うのです。
 なお、仏教が、西方には伝播せず、東方にだけ伝播したのは、西方が畑作地域であったのに対し、インド自体東半分は水田耕作地域であった・・・ところ、東方においては、東南アジアや日本列島のような水田耕作地域や、支那大陸のような南半分が水田耕作地域だったからだ、と私は、最近思うに至っています。
 稲作地域の人々は人間主義的・・・なので、人間主義の仏教を受け入れる基盤がある、と言えそうだからです。」(コラム#7170)
 
 ちなみに、「ギリシャ人たるミリンダ王(Menander I Soter。BC165/155〜BC130年)が仏教に改宗するや、同王の死後、彼の帝国が数カ国へと分解してしまい、それから1世紀ちょっと経った紀元前後には、インド亜大陸からギリシャ人による王国が消滅してしまう・・・わけであり、ここでも、仏教の平和性、というか、非人間主義環境における仏教の悲喜劇性、を思い知らされるところです。」(コラム#7199)

 なお、日本文明が、インド亜大陸(や東南アジア)とは違って、この仏教の陥穽的なもの、すなわち、人間主義の陥穽を克服することができ、その原初形態を維持できたのは、日本列島が海によって大陸から隔てられていて外からの侵攻が容易ではなかったことに加えて、元は渡来人たる弥生人が、縄文モード化しつつも、その非人間主義性・・人間不信・戦闘性等・・を完全には失わなかった結果、日本内が乱れたり、日本が外から脅威を受けた時に、その都度、日本を弥生モード化させることによって、日本を救ってきたおかげです。

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〇《スライド》振幅の激しさ – 日本の誕生(再掲)
   略
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  (3)チャンドラ・ボースがインドに残した宿題

 チャンドラ・ボースの重要性は、インドの指導層の中で、殆んど唯一、アングロサクソン文明の至上性を信じず、だからこそ、武力による独立を追求したところにあります。
 人間主義への回帰を実践した釈迦を生み出したインドのボースが、人間主義文明の日本と手を組んだ背景には、ボースと日本の指導層の間に文明的ケミストリーが生まれたからである、と私自身は考えています。
 そう考えないと、直接的にはビルマ方面軍司令官の河辺正三が、間接的には東條英機首相が、軍事的合理性がなく、ボースとの心中に等しかった、インパール作戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
を1944年に発動した理由の説明がつかないのではないでしょうか。
 そのボースへの評価が、インドにおいて、どんどん高まりつつあることは、心強いものがあります。
 
 「インドの国会議事堂・・・の中央大ホールにはガンディー、ネルーらの肖像画が掲げられているが、1978年にはそれに並んでボースの肖像画も掲げられるようになった。
 デリーの赤い城(<Red Fort=>ラール・キラー)には、かつてイギリス国王にしてインド皇帝であったジョージ5世の銅像が存在したが、現在その台座にはインド国民軍とそれを率いるボースの銅像が建っている。また1998年にはネータージー・スバース工科大学・・・が設立されている。
 ボースの出身地であるベンガルの中心地コルカタにはボースがインドを脱出する直前まで住んでいた邸宅(ネタージ・バワン)もあり、記念館となっている(2007年に安倍晋三首相が訪問した)。またコルカタには彼の名を冠したネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港が存在<している。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9

 しかし、その評価は、まだまだ不十分であると思います。

 「チャンドラ・ボース記念館は、正式には『Netaji Research Bureau(ネタジ記念館)』と呼ばれており、スバス・チャンドラ・ボース将軍の邸宅を記念館に改装し、敷地内にボース将軍の遺品や写真などが展示されているとのこと。
 しかし、国内のガイドブックやカルカッタ市内の観光マップには記念館に関する情報が全く載っておらず、辿りつくのに半日近くかかってしまいました」(2007年)
http://kokueki.sakura.ne.jp/colum/travel/191006.htm
という有様ですし、コルカタにはヴィクトリア女王記念館(Victoria Memorial Hall)
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g304558-d311680-Reviews-Victoria_Memorial_Hall-Kolkata_Calcutta_West_Bengal.html
もあって、私が1988年に同館を訪れた折には、中の展示の多くがボース関係であったものの、そもそも、「ヴィクトリア女王記念館」という名称を残していたことに、ボースの遺志に反するのではないか、と強い違和感を覚えたものです。
 とまれ、国章として、熱心な仏教徒であった「アショーカの獅子柱頭(Lion Capital of Asoka)」を採用し、この国章の一部分を担っている法輪を国旗の中央部に描いているインド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%AB%A0
の今後の発展は、どれだけ本格的に、アショーカ、より端的には釈迦、に回帰できるか、そして、その上で、どれだけ日本と緊密な提携ができるかにかかっている、というのが私の考えです。


 3 人間主義

  (1)人間主義の起源

 最後の最後に、人間主義そのものについて、掘り下げてみましょう。

 人間主義の萌芽形態は、哺乳類一般に見出すことができます。

 「ベンガル虎は豚の子供を育てるし、ボノボ類人猿は傷ついた鳥が飛ぶことを助けるし、アシカ(ないしアザラシ)は溺れている犬を救助する・・・
 アカゲザルが、食物を引き寄せるための鎖を引くと連れ合いに電気ショックが与えられる場合、食事を入手する機会を見送るなどということを誰が予期するだろうか。・・・
 チンパンジーたちは、豹達によって傷つけられた、その集団内の仲間に対して、血を嘗め、注意深く汚れを取り除き、傷の近くにやってくる蠅を追い払うといった世話をする。
 彼等は、傷ついた連れ合い達を守り、移動している時に彼等がついてこられない時は、その<歩く>速度をゆるめた。」(コラム#3571)

 これを、萌芽的人間主義と呼ぶことにしましょう。
 人間と類人猿は、より高度な人間主義を共有しています。

 「「・・・共感は少なくとも三層構造をなしている。第一層は、感情的感染であり、鷲が猿の集団の頭上に現れるとか混雑した通りで人間の男が殴られるといったような何か劇的なことが起こった場合、動物の集団の中を不随意的に感情のほとばしりが走り抜けることだ。
 第二層は、他者に対する感情であり、他者が困っていることを見て取った場合の同情的反応だ。・・・
古い記録映画を見ると、積み重なった箱の上に乗って高いところにあるバナナをとろうとしているチンパンジーをもう一匹のチンパンジーが見ていて、同情して背伸びして自分の両手を伸ばしている<、という光景が出てくる>。<このような「体でのマネ・・・」は動物でも人間でも幾度となく見出されている。>
 共感の第三層は、・・・見物人が、誰かの助けを必要としている人の頭の中がどうなっているのかを考える能力であり、とりわけ、必要とされる種類の助力を与える能力だ。・・・
 しかし、我々(<人間・類人猿>)とより遠い親戚関係にある猿の場合は話が異なる。・・・」
 人間主義は、<この限りにおいては、>より正しくは「<人間・類人猿>間主義」<である>、ということになりそうです。」(コラム#3573)

 これを個別的人間主義と呼ぶことにしましょう。
 でも、何と言っても、日本人の多くに典型的に見られるところの、人間特有の人間主義は、ある人間の、他の(人間を含む)生物の特定の個体への、または他の生物の非特定の個体への、もしくは他の生物の集団への、更には自分を含む生物の総体への、ひいては自分を含む自然そのものへの、共感に立脚しており、突出しています。
 これを一般的人間主義と呼ぶこととして、そもそも、一般的人間主義は、人間にもともと備わっていたのでしょうか。
 必ずしもそうではなさそうです。

 「「最近の分子生物学的研究によれば、FOXP2と名づけられている遺伝子に生じたある種の変異が言語能力の獲得につながった可能性がある。さらにその変異は現生人類とネアンデルタール人が分化する以前の30-40万年前にはすでに生じていたとの解析結果が発表されており、現生人類が登場とともに既に言語を身につけていた可能性も考えられる。しかしFOXP2は言語能力を有しない他の動物の多くが持っていること、FOXP2の変異が言語能力の獲得の必要条件であるとの直接的な証明はまだなされていないことなどに留意する必要がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E 
<をまず、頭に入れてください。>・・・
 トバ・カタストロフ理論とは、「いまから7万〜7万5000年前に、・・・インドネシア、スマトラ島にある・・・トバ火山が・・・大規模な噴火を起こし・・・大気中に巻き上げられた大量の火山灰が日光を遮断し、地球の気温は平均5℃も低下し・・・劇的な寒冷化<が>およそ6000年間続<き、>・・・人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人にまで激減し・・・<たとし、この寒冷化を契機に、人類>が衣服を着るようになったのではないかと想定している」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E7%90%86%E8%AB%96
理論です。
 このカタストロフによる人間の数の激減時において、それまで、平均的な人間は、哺乳類の間で広くみられる人間主義<に毛が生えた>・・・程度の人間主義しか実践できなかったと考えられるところ、高度な人間主義(組織的相互協力)を実践しなければ生存できなくなり、(それ以前における遺伝子の突然変異によって、高度な人間主義を実践できる人々が既に存在していた可能性と、その時点で、新たに遺伝子の突然変異が起こって高度な人間主義を実践できる人々が生まれた可能性とが考えられますが、)その結果、高度な人間主義を実践できる人々だけが生き残り、その子孫が現在の人類の隆盛をもたらした、と考えたらどうか、ということです。
 なお、高度な人間主義の実践の必要性に迫られたことが、既に人間が他の多くの動物達と共有していたFOXP2遺伝子を言語による高度なコミュニケーション用に転用する結果をもたらした、と考え<ることもでき>・・・そうですね。」(コラム#7220)

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〇《スライド》人間主義の成立と維持

萌芽的人間主義(本能的・具体的):哺乳類個体の、同種/異種動物個体間
       |          への
       |
       |←?
       |
個別的人間主義(意識的・具体的):類人猿個体の、同種/異種動物個体への
       |
       |←トバ・カタストロフ(突然変異+言語能力習得)?
       |
一般的人間主義(意識的・抽象的):人間個体の、特定/非特定の同種/
       |         異種生物の個体/集団、更には自分を
       |         含む生物の総体、ひいては自然への
       |←定着生活
       |
       |[農業]             [土器]
       |ーーーーーーーーーーーーーーーーー 
       |                 |
    日本列島以外:人間主義抑圧     日本列島:人間主義維持
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 以下、ご参考まで。

 「協力的繁殖が始まったことは、人類の進化に甚大なる影響を与えた。
 巣に手助けをする人々がいることで、女性達はより長い少年時代を送る子孫を生むことができるようになったからだ。
 これによって、人類はより大きな脳を形成したり、より強い免疫システムを形成したりすることができるようになった。しかも、逆説的にも、より短い間隔で子孫をつくることができるようになったのだ。
 チンパンジーの母親が出産する間隔は約6年だ。これに対し、人類の母親は2〜3年だ。」(コラム#3140)

 「人々を公正に扱ったり、社会の中で正義を実現したりする行為は、進化的ルーツを有する・・・。「それは、我々の生存可能性を高めるのだ」。・・・
 我々の全球的支配への上昇は、まことに逆説的だが、我々が硬い階統制を脇にどけた時に始まった。」(コラム#4850)

 「男性の脳には、獲物に武器を当てて仕留め、居住地から離れた場所から(仕留めた動物が腐らないうちに)最短距離で戻る能力に淘汰が働いた。女性には、居住地近くで、位置が固定した植物を探し、子どもの世話をしながら触れあい、衣類などを作るといった能力に淘汰が働いた。・・・
 人間は、狩猟採集時代に最も適合的な遺伝子群を備えている、ということが・・・よく分かります。」(コラム#5627)

 「<宗教>は、何よりも、人々が、直接的な私利・・・を集団の利益に従属させるように説得されるプロセスなのだ。」(コラム#3593)

 赤ん坊達は、一般的な・・・見かけのはっきりしない様相を帯びた丸ぽちゃの顔つきをしているのが通例であり、このことによって、赤ん坊等は自分達の本当の父親が誰であるかがばれるリスクを大きく緩和しているのだ。」(コラム#3593)

 「子供の父親が誰かを知るすべがなかったことから、子供達は、単一の単婚ペア達によってではなく、狩猟採集者のコミュニティーによって育てられた。・・・
 女性が財産として、或いは物々交換用の物・・・としては使われなかったので、両性の間の平等が進展した。」(コラム#4162)

  (2)農業革命による非人間主義化

 ところが、農業革命によって、人間の大部分は定住生活に入り、その生来的人間主義性が抑圧されることになるのです。
 定住生活に入らなかった人間も、その影響を受けてしまいます。

 「なぜ、約1万年前に狩猟採集から農業に移行したのかについては様々な説<が>あるが、大方の説は狩猟採集民が農業に魅力を感じたからではなく、人口圧力の高まりや環境変化で農業に追い込まれたと考えている。
 一旦農耕が始まると、農民は狩猟採集民より人口が圧倒的に多いので、両者間に争いがあれば常に農民が狩猟採集民を駆逐した。過去1万年の人類史は極論すると、いわば悪貨(農業)が良貨(狩猟採集)を駆逐したグレシャムの法則史ということになる。農業社会は人口増加率が高く、常にマルサスの罠<(人口増加速度に食料増産速度が追いつかない)>にはまり、生活水準はほとんど常に限界的なものになった。・・・
 なぜ狩猟採集社会は人口増加率が低かったのかは様々な説があるが、移動生活によって幼児の授乳期間が平均3年以上にならざるを得ず、結果母親の生理機構から、出生間隔が最低4年以上であったことも要因とされている。・・・
 産業革命前の王侯貴族や、産業革命後の金持ち、あるいは現代の中流階級はどのような生活をしているのだろうか? 一言で言えば、清潔、余暇、移動、高栄養生活という狩猟採集民の生活の模倣と言ってもいいように見える。」(コラム#3613)

 その結果、悲劇が人間を襲います。

 「人間は、本来的には狩猟採集社会に適合的であったところの人間主義的な存在であったが、(狩猟採集社会に比べて、貧しく、栄養失調気味で、余暇がなく、権威・権力・富が少数に集中し、定着していて、不衛生で、人口過多で、戦争が多く、ストレスが多い)農業社会・・・ないし(本来の自然から疎外された)都市社会になったために、この人間主義的な本性が壊れてしまっている」(コラム#5402)

 「<・・・母方居住婚の社会においては、その社会以外の社会にも血縁関係にある者が多数存在するため、自分の属する社会以外の社会に対する攻撃性は生じない。>
 ・・・<ところが、>夫方居住婚制度の下では、<同じ社会に属する>者は互いに血縁関係にあることが多い。・・・
 <すなわち、>このボスの子供は、彼の率いる集団以外にはほとんどいないわけだ。
 <だから、父方居住婚の社会においては、自分の属する社会以外の社会に対する攻撃性が生じる。>」(コラム#3589)

 「一夫一婦制と核家族は我々の大部分が思っているよりも最近の発明であって我々が信じるに至ったよりもはるかに自然なことではない・・・
 遊牧的生活様式は、彼等に財産や所有権の感覚がなかったことを意味した。
 従って、紛争が生じる真の原因がほとんどなかった。・・・
 そして、集団セックスがあった。」(コラム#4160)

 「一たび、家、土地、動物その他の「家族が保持するための」富の形態を保有するに至ると、父性は、突然枢要なる関心の対象となった。
 当然ながら、父性を確かなものにする唯一の方法は、女性の性的ふるまいをコントロールすることだった。・・・」(コラム#4164)

 「纏足や女子割礼・・・から<インド等における>女性の遮蔽・・・、ベール、チャドル、更には女性の活動を制限する法や慣習の陣揃えという方法でもって、男性達が、自分達の子供達を育てることになっている女性達への排他的アクセスを確保することに大わらわになってきたことは、驚くことではない。
 これらの手段がどんなに忌まわしくても、その動機は、母親の赤ん坊ではあっても父親の赤ん坊かどうかは蓋然性に過ぎない、という男性の再生産戦略が抱える本来的脆弱性に根ざしているのだ。」(コラム#3593)

  (3)縄文文化の特異性

 ところが、世界の人間社会の中で、ほぼ唯一、基本的に非人間主義化しなかった社会があります。
 それが日本社会です。
 それは、日本列島の人々が、農業革命を経験する前に、狩猟採集生活を基本的に維持したままで、恵まれた環境と、土器の導入により、定着生活に入り、それが約1万年続いたからです。
 これが縄文文化です。

 「縄文人は殺人専用の武器も、武器から身を守る防具も持たず、ムラのまわりには堀も 柵も造っていません。
 縄文人骨<が>数千体みつかっていますが、殺傷痕のあるものはごくわずかです。
 ところが、弥生時代になると、日用の工具や農具とははっきり区別される武器が現れ、道具の中にヨロイや盾が加わり、地域の中核をなした大きなムラは周囲を二重、三重の環濠や乱杙(逆茂木)で囲うようになります。
 これまでに発掘された弥生人骨は数百体と、縄文人骨より<ず>っと少ないのですが、総数の一割前後には殺傷痕が認められ、実際に矢や槍や剣先が体内にうちこまれた状態のものもたくさん発見されています。 ・・・ 
 虫歯は狩猟採集民に少なく、農耕民に多いという特徴があるんですが・・・縄文人に虫歯が多いということです。・・・
 「縄文は貧しい」というのは、現代人の頭が考えた思い込みです。」(コラム#5075)

 縄文文化でいかに戦争が少なかったかは、以下からも推し量れます。

 「牛の脳を食べると発症する狂牛病と同じように、人間の脳を食べるとプリオンが摂取され、狂牛病的なものを発症するはずであると考えられる。
 この発症を防ぐ、ある特徴・・・が日本人以外のすべての人間には備わっている。唯一、それとは異なる防御特徴を持っているのが日本人だ。
 これだけ防御特徴をみんなが持っているということは、自然淘汰によってそうなったと考えられる。>
 他の諸テストの結果、この特徴は非常に古いもので、恐らくは人間群がアフリカから全世界へと拡散する以前から持っていたであろうことが示唆されている。
 かかるシナリオの下、日本人は、多分、<一旦、防御>特徴を遺伝的浮動・・・というプロセスを通じ失った後、高い必要性から、新しい<別個の>特徴を発展させたのだろう。・・・
 人肉食の頻度の高さは、とりもなおさず、最初期の人間群の間における戦争の蔓延を裏付けるものなのだ。」(コラム#3591)

 ナトゥーフ人も定着的狩猟採集社会を形成したという説があるのですが、どうやら人間主義は維持できなかったようです。

 「成功裏の長期間にわたる定住コミュニティーの最初の明確な証拠は、ナトゥーフ人・・・と呼ばれる人々のものだ。
 彼等は、近東に、15000年から11500年前頃から住んだ。
 彼等は、現在イスラエル、ヨルダン、そしてシリアであるところの、地中海の東側の地域の土地を占拠した。
 初期のナトゥーフ人は、そこに生えていた二粒系小麦・・・と大麦を採集した。・・・
 ナトゥーフ人は、栽培植物化した形の穀物を開発しはしなかった。
 しかし、群れ集まって、これらの穀物を準備し貯蔵することによって、彼等は、彼等の後継者達が栽培植物化を行うための技術的基盤を整えつつあったのだ。
 ナトゥーフ人が、知られている最も初期の定住民として、それまで及びその後の諸社会を形作った二つの独特の人間活動たる、戦争ないし宗教を知らなかったわけではないことは興味深いものがある。
 ナトゥーフ人は、一貫して平和的であると描かれてきたが、ある場所からの遺骨のより詳細な検証により、最近、ナトゥーフ人の集団の間での暴力的な紛争の証拠が示されたところだ。」(コラム#3587)

  (4)仏教と人間主義

 ここで、もう一度仏教・・というより釈迦の事績・・と人間主義との関係を考えてみましょう。

 「座禅を勤行の中に含む仏教宗派の長年の信徒の左前頭葉前部・・・の活動は、座禅をしていない時も活発である<のです>・・・。
 この大脳の部位は前向きの感情、自己コントロール、気分を司っていることから、このような信徒は、幸福でありかつ心の平安が得られているはずだというのです。
 また、・・・同様の信徒について、恐怖の記憶を司る大脳の部位が平静化していること<が分かり>ました。
 つまりこれら信徒は、ショックを受けたり、イライラしたり、びっくりしたり、怒ったりすることが少ないはずだというのです。
 最近の米国での一連の研究は、仏教・・のうち座禅を伴う仏教の宗派・・のみが科学によって裏付けられた宗教であること、従ってまたてんかん患者や宗教的天才だけの宗教ではなく凡愚の衆生のための宗教であること、を証明しつつあります。」(コラム#337)

 「<仏教における>瞑想は、人間の集中力をより「粘着的」でなくする結果、通常の脳ではできないような、すばやく切り替わるイメージの断片を知覚することができるようになる。」(コラム#3295)

 「座禅が、内因性脳神経系と外因性脳神経系の同時活性化やテロメールの保護をもたらすこと<も>・・・分かったのです。」(コラム#4707)

 「瞑想的諸技術に関する比較的短い訓練によってさえ、他の人々の嘆き・・・を共感的に理解することに係る脳領域・・当該脳領域の反応度・・・が、その人の他の人々との一体感の度合い・・・に応じて調整・・・される・・神経的機能・・・が変更・・・されうる」(コラム#6313)

 「<なお、>どシロウトへのわずか8週間の瞑想訓練でもって、被験者達は、人を互いに相隔てさせるところの、我々と彼ら、自分と他者という範疇から自由になり、より思いやりを持つようにな<るのですが、>・・・瞑想/座禅等、人間主義化方法論による人間主義化は一時的なものであって、それだけで、人は人間主義者(悟った人=阿羅漢≒仏)になることは<ないことに注意が必要です。>・・・」(コラム#6311)

 「要するにキリスト教を始めとする有神論は科学によって否定されつつあるけれど、仏教だけは科学が進めば進むほど、正しさが裏付けられつつある<のです。>」(コラム#2629)

 「<キリスト教におけるような、>利他主義の<勧めによる信徒のプロとアマへの分離>や権力との癒着のいずれとも、釈迦は無縁でした。・・・
 <イエスと違って、>釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生の問題の実務的解決だった<のです。>」(コラム#5414)

 「釈迦の世界観は、最先端の物理学の世界観をある意味で先取りしており、仏教は、自然科学と最も抵触するところの少ない「宗教」・・カギ括弧をつけるのは、仏教は無神論だから・・であると言ってよいでしょう。
 その釈迦の人間洞察力は、更に凄いなと思います。
 現代心理学の最先端が、ようやく釈迦に追いつきつつある、といったところでしょうか。」(コラム#3868)

 「<欧米人の知識人の間で、>数千年にわたって、区分された個人的自我という観念が幻想であるという立場をとり続けてきた<仏教という>思想体系があり、その思想体系は、心を変革して同情(compassion)や勇気といった倫理的諸習慣を陶冶するプロセスについての意識を高める訓練をすべきだ、としている<ところ、まさにその通りだ、といった指摘をする人が増えてきています>。」(コラム#3489)

 なお、その大部分が基本的に人間主義者である日本人は、わざわざ、座禅(瞑想)等の手段によって人間主義者化する必要は必ずしもない・・もちろんやってマイナスではありません・・、という点に注意が必要です。

 (5)人間主義に関する科学的知見

 人間にとっての人間主義の生来性は、科学によって証明されつつあります。

 「我々の脳が他の霊長類のそれよりもはるかに大きいのは、共感・・・、協力、そして公正さといった社会的技術に係る瞠目すべき能力のためだ。・・・
 毎日の行動を決定するにあたって、恐らくより重要なのは、我々は狭く観念された利己・・・よりも、協同し、互いに他者の承認を求めあう内在的傾向を持った社会的生き物である、ということだ。」(コラム#3489)

 「ほとんどの機能は、<脳の>両方の半球が掌っている。
 しかし、この二つの半球の働き方にはすこぶる大きな違いがあり、世界に対して全く異なった姿勢をとる。
 通常、我々は、無意識のうちにこの二つ<の姿勢>を総合する。
 しかし、二つの半球のどちらかが支配的になることがある。
 ある個人についてこれが起こりうるのと同様、ある文化全体についてもこれが起こりうるのだ。・・・
 右脳は、物事を、文脈の中で、切り離すことができなく相互連結されているものとして見ることから、それは、暗黙裏のままの巨大な広がりを認識する。
 これとは対照的に、左脳は、その狭い焦点のゆえに、孤立的にものを見、間接的にしか伝達できない様々な事柄について相対的に盲目だ。」(コラム#3750)

 「他の人々との一体感」、ひいては全てとの一体感を、我々は右脳で潜在的には常に感じているらしい・・・これが正しいとすると、悟りというのは、右脳で潜在的に感じていることを(左脳、ないしは左脳と右脳における)新神経回路の形成か休眠神経回路の活性化によって意識化させる(顕在化させる)ことである、ということになりますね。」(コラム#6315)

 「我々の大部分は、三次まで勘案すれば、<1人が平均して>1000人以上の人々と<友人として>つながっている。」(コラム#3525)

 「<ある人のふるまいはその人の友人の友人の友人にまで影響を与えるという事実は、>人間のふるまいについての「三次影響・・・」法則と名付けられている。・・・
 ・・・良い気持ち・・・や悪い気持ちが伝播するのは、部分的には、脳の中の、我々の周りにいる人々の顔を見て取りそのマネを自動的にする「鏡神経細胞群・・・」のせいかもしれないとされている。」(コラム#3523)

 「<なお、>男性同士の友情は、女性同士の友情に比べると儚いものであるようです。
 強い友情は、ストレスを減らし、健康を増進させるようなので、このことも、男性より女性が一般に長命である理由の一つなのかもしれません。
 また、ステディな男女関係も親子関係も、友情に比べれば「値打ちが低い」もののようです。」(コラム#3228)

 「アジア人達は文脈・・・を重要視するが、欧米人達は個々人をより重要視する。・・・
 もしあなたが米国人達に鶏と牛と草が描かれている絵を見せれば、彼等は鶏と牛を一括りにするだろう。というのは、これらはどちらも動物だからだ。
 アジア人達の場合は、牛と草を一括りにしがちだ。というのは、牛は草を食べるからだ。この二つは関係があるというわけだ。・・・
 東アジア人達はより全体に配意しがちであるの対して、欧米人達はより全体の中の特定の対象に焦点をあてがちである」(コラム#3662)

 「個人主義性向<について、>・・・同じ基準で世界56地域で意識調査を実施し、指標で表した<(>100に近いほど個人主義的で、1に近いほど集団主義的<)ところ、>個人主義性向が最も強いのは米国(91)、最も集団主義的な国はグアテマラ(6)だ。韓国(北朝鮮除く)は18で、アジアの平均値24を下回った。中国は20、日本は46だった。」(コラム#4882)

 日本人の大部分は、基本的に、この生来的人間主義性を失わない形で大きくなるわけであり、そのように日本社会がつくられている、ということです。

  (6)人間主義と日本の使命

 人間主義を、そして人間主義の日本を、発見したのは和辻哲郎です。

 「「人間」とは、輪廻転生の五道(六道)の一つを表す仏教用語(漢語)であって、本来は「人(human、man)の世界」を意味し、「人」の意味はありません。(「人間萬事塞翁馬」という用例を想起せよ。)しかし、日本ではそれが「人(ひと)」と同じ意味の言葉として転用されるようになりました(和辻「人間の学としての倫理学」岩波全書1934年、16~17頁)。それは、「ひとの物を取る」、「ひと聞きが悪い」、「ひとをばかにするな」のように、もともと大和言葉の「ひと」には、「他人」、「世間」、「自分」の三つの意味があった(14頁)からです。」(コラム#113)

 しかし、和辻の同時代人たるイギリス人哲学者も、事実上、人間主義を発見し、その推奨を行っています。
 どうやら、珍しく、アングロサクソン文明も、人間主義的な文明ではありそうなのです。

 「現在の世界を実質的にリードしているのは、<できそこないの>アングロサクソンたる覇権国米国を「善導」しつつ米国と手を携えて歩んでいる英国だとすれば、その英国の<ブレア>政権<(当時)>を支える哲学にわれわれはもっと関心を持っていいのではないでしょうか。
 そして英国の現政権を支えるマクマレーの哲学が、同時代人である日本の和辻哲郎のそれと生き写しだということはいかなる意味があるのでしょうか。
 それは、アングロサクソン文明と日本文明の親和性がここにも現れているということです。」(コラム#114)

 「スコットランド人のアダム・スミスは、「隣国」イギリスにおけるイギリス的生活様式、すなわち資本主義は、個人主義だけに立脚していないからこそ機能していることを、十分承知していました。
 また、イギリス人たるダーウィンは、イギリス人を含む人間が人間主義的存在であることを当然視していました。
 ところが、イギリス人の中から、ダーウィンを矮小化して誤解した、ハーバート・スペンサー・・・らが出現し、その社会ダーウィン主義や優生学が、もともと利己主義的な社会であった<できそこないの>アングロサクソンたる米国を席巻するに至るのです。」(コラム#3575)

 「イギリスには人間主義的側面もあるという私のかねてからの主張がヴィクトリア時代の英国の主要小説によっても裏付けられる」(コラム#3038)

 なお、人権観念は、人間主義の堕落形態である、と考えることができます。

 「<ある欧米の学者は、>・・・「「伝統的・・・」社会は、一般に義務の精緻な体系、すなわち、人権<なる観念>とは全く無関係であるところの、人間の尊厳、繁栄、あるいは福祉の実現を図るための、正義、政治的正統性、そして人間的繁栄、の体系を持っている」と述べている。
 これらの制度と慣習は、人権の異なった形態というより、代替物なのだ」と。・・・
 すなわち、人間主義社会においては、人権概念は必要がないのです。」(コラム#4880)

 「我々は生まれつきの利他主義者であるところ、生まれてから、戦略的利己心・・・を学<び身に付けなけれ>ばならないのだ・・・
 人権観念は、非人間主義社会中のキリスト教を共通の宗教とするところの、欧州文明が、その農業社会から工業社会への移行期の初期に、イギリス社会の理想化を通じてつくり出したところの、硬直化した人間主義とでも形容すべき観念である。」(コラム#4884)

 堕落形態ながらも、人権観念を生み出したのですから、アングロサクソン文明は、やはり、人間主義的な文明なのです。

 下掲は参考まで。

 「アングロサクソン社会(=本来的資本主義社会)では、とりわけ、その社会が時に陥ることがある、裸の個人主義や、資本主義の病理形態たる市場原理主義の下では、人間の本性たる人間主義が抑圧されてしまっている、ということです。
 この抑圧が、災害時には取り払われて、人間の本性が回復する、というわけです。
 日本のような本来的人間主義社会においても、災害時には、人々の人間主義的傾向が一層強まります。
 ただし、その場合、いかなる「人」を人間主義の対象たる「人」と人々が意識するかが問題になってきます。
 災害時には、エリートのみならず、大衆もまた、「少数民族と移民」を「人」とは意識しなくなりがちであり、関東大震災の時にエリートと大衆の「協力」の下で朝鮮人虐殺が行われたのはその典型例です。
 戦争もまた、災害の一種、というか災害の最たるものであり、だからこそ、人々は、戦場体験を「驚くべき感謝の念をもって・・・思い出すの」です。
 その戦場において、「人」とは意識されないところの、外国人たる一般住民が虐殺され、強姦されることは何ら不思議ではありません。」(コラム#3491)
 
 結論的に申し上げますが、「日本人にとっての<使命>は、<中共にだけはその必要はないところ、>世界、就中アングロサクソン社会中、非人間主義社会化した部分の矯正であると同時に、自らの潜在意識における人間主義の「人」の範囲の着実な拡大・・最終的には全人類までの拡大・・である、と私は思うのです。」(コラム#3491)

 但し、人間主義の普及は容易でないことに留意する必要があります。

 「人々が速やかな意思決定を直観に基づいて行わなければならない場合、協力の水準が上昇する。
 <他方、>彼らに智慧を働かせて自分達がとる行動を考慮する時間を与えると、その反対のことが生じた。
 人間は、生来的には人間主義的である、ということはもはや証明された、と言ってよいのではないでしょうか。
 しかし、人間主義が発露するためには、相互信頼性が社会において成立していなければならないのですから、鶏が先か卵が先かのような話です。」(コラム#5954)

  (7)(参考)日本型政治経済体制

 他国において、最初に、中共が、当局の指導の下に、日本型政治経済体制ないし人間主義を継受しつつある、と私は見ているところ、この日本型政治経済体制中の政治体制については、戦前戦中の大政翼賛会と、その戦後版である自社55年体制をイメージしてもらえればよろしいかと思います。
 ここで大事なことは、日本では、政治体制と経済体制がオーバーラップしていることです。
 なお、日本型政治経済体制を経済体制の側から描いたものをスライドにしましたので、後でご覧ください。

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《スライド》日本型経済体制
       略  
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VII 終わりに

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〇《スライド》終わりに

 戦後日本を呪縛し、日本を米国の属国状態に貶め続けたところの、吉田ドクトリンが、どうして成立し、どうして維持されてきたかを説明する予定だったのですが、時間の都合で省かざるをえません。
 成立させたのは吉田茂であり、彼の出身官庁である外務省であり、55年体制が成立してから、それを維持してきたのは外務省と自民党である、ということを覚えておいてください。

 日本の「独立」は、宗主国の米国だけでなく、中国当局も、それぞれ別の理由で待ち望んでいるところですが、潜在的には、世界中の人々のためになることであって、その一日も早い実現が望まれるところです。
 そのことともあいまって、人間主義が世界に普及することを、私は、願ってやみません。
 日本は、この世界史的使命から逃れることはできないのです。
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(完)
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 一人題名のない音楽会です。
 今回は、軽ーく石川ひとみといきましょう。
 その1回目です。

 あざやかな微笑 いわゆるアイドル系歌謡曲歌手の中で最も可愛かったのが彼女ではなかろうか。紹介されている写真群を一緒にどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=_S7nODjPRVE

 オリーブの栞 今度は彼女のセミヌード歌唱をどうぞ。コメントの中にも出てくるが、タレントのTVにおける露出度は爾来むしろ後退しているように思う。
https://www.youtube.com/watch?v=-ctNbA5A0vI

 ひとりぼっちのサーカス 容姿の話ばかりしてきたが、彼女は、アイドル系歌謡曲歌手の中で最も歌唱力があったのかも。
https://www.youtube.com/watch?v=K_eq7WPQRwY

 坂道
https://www.youtube.com/watch?v=QVXIAKB1eIM

 右向け右
https://www.youtube.com/watch?v=YObEOZ6yWO0

 君は輝いて 天使にみえた
https://www.youtube.com/watch?v=qf_abra08lU

 まちぶせ(コラム#5625)
https://www.youtube.com/watch?v=og3-Z3ysjfc

 冬のかもめ(コラム#5625、5627)
https://www.youtube.com/watch?v=iZt0cPcxdL0

 夢で逢えたら
https://www.youtube.com/watch?v=tkLEo0U1jQE

 みなしごハッチ
https://www.youtube.com/watch?v=mdq-HvY53YU

 涙くんさようなら
https://www.youtube.com/watch?v=TjPmxP_q9KA

 なごり雪 +南こうせつ これも、比較的最近の彼女の様子が分かる。
https://www.youtube.com/watch?v=VASf55_rT40
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 <おまけ>

愛の奇跡(ロザンナ+(ヒデ)) これは泣ける!
https://www.youtube.com/watch?v=UQ_0beslH_g

さよならをするために(松山千春)  好きな曲だが松山によるカバーはうまいねえ。
https://www.youtube.com/watch?v=q5k85YVtwy4

サンセット・メモリー(杉村尚美) 知らなかった名曲。もう少し歌い上げて欲しかった。
https://www.youtube.com/watch?v=Qrop4Qk5ikk

異邦人(コラム#省略) 藤あや子 坂本冬美と並ぶ演歌界の美女だ。
https://www.youtube.com/watch?v=rIb0bgdcm_Q

(続く)
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太田述正コラム#7234(2014.10.11)
<宗教の暴力性?(その4)>

→非公開