太田述正コラム#7019(2014.6.25)
<中東イスラム世界の成り立ち(その10)>(2014.10.10公開)

  イ アングロサクソン文明全面的継受

   ・ヨルダン王国(1923年〜。独立:1946年)

 アングロサクソン文明の全面的継受を目指して、緩慢な前進を続けている(コラム#4805)のが、現在立憲君主制・・いわば明治憲法体制・・のヨルダンです。

 「国王は内閣と共に行政権を執行する。二院制の議会を有している。・・・
 ジャスミン革命(アラブの春)の影響で、首相を国王が任命するのでは無く国民に直接選ばれた議会が選出する議院内閣制への移行と選挙法改正を要求<する声が出ている。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3

 ヨルダン王国が(イラク王国同様)英国の保護領から出発しているということが当然大きいわけですが、下掲からも分かるように、前国王が大いなるイギリス好き(Anglophile)であったことや、現国王がイギリス人とのハーフで、イギリス育ちであることが決定的でしょう。

 前国王のフセイン1世(1935〜99年。在位:1952〜99年)<(注10)>は、「ヨルダンで中等教育を終え、アレクサンドリアのヴィクトリア大学に入学し、サンドハースト王立陸軍士官学校で教育課程を終えた」人物です。

 (注10)存命中、フセイン国王は、英国の国防大学で毎年講義をしており、私も1988年にその謦咳に接したことがあることを以前記した。(コラム#失念)
その時の講義内容は、中東情勢についての一般的な話だったが、質疑応答の時に、英国人同僚が「ヨルダンをなぜ民主化させないのか」と質問した。私の近くに座っていた別の英国人同僚は「国王に対して何という質問をするんだ」と舌打ちしていたが、同国王は笑みを浮かべたまま、しかし、答えをはぐらかしてしまった。
 それも当然であり、具体的に「どうして即民主化ができないか」を述べた途端、国内政情等が不安定化しかねないからだ。

 彼は、4回結婚していますが、2番目の王妃はイギリス人で、彼女との間の長男が現国王です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%B31%E4%B8%96
 その現国王のアブドゥッラー2世は、「1966年、4歳のときにイギリスに留学し教育を受け、1981年にサンドハースト英陸軍士官学校卒業。1983年にはオックスフォード大学で国際政治学を聴講。1987年〜1988年にはアメリカのジョージタウン大学大学院修士課程(国際関係論)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC2%E4%B8%96
という人物です。

 どうして、漸進的な全面的アングロサクソン文明継受にならざるをえないかですが、現時点で議院内閣制に移行すれば、下掲のような事情から、どんなに拮抗的な制度を設けたとしても、国政運営がパレスティナ人の意向を踏まえたものになることが必定であるところ、そのパレスティナ人の主導権をハマス等のイスラム過激派が掌握する恐れが依然としてあること、四囲が紛争多発地帯であり、難民の流入や紛争の波及の危険性に常に備える必要があること、がその理由です。

 「<人口は630万人だが、化石燃料を殆んど産出しないこともあり、GDPは人口がヨルダンの1割強の島根県くらいしかない。>
 住民はほとんどアラブ人である<(注11)>。・・・1967年の第三次中東戦争以降流入したパレスチナ難民の人数は、2002年6月現在、7割を越えている。

 (注11)但し、様々な少数民族がいる。チェルケス人が「武勇の評判により、今でも<ヨルダン>王室の護衛の中核を占めている」ことを以前(コラム#3902)で紹介したことがある。

 宗教は・・・スン<ニ>派が<90%>・・・キリスト教<が10%>。
 2013年時点で、隣国シリアの騒乱から逃れてきた難民が大量に流入、ヨルダン人口の1割に達しつつある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3 
 「1970年にヨルダン・ハシミテ王国において発生した、ヨルダン政府とパレスチナ解放機構(PLO)と・・・ヨルダン内戦」が起こっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6

(続く)