太田述正コラム#6997(2014.6.14)
<長い19世紀(その7)>(2014.9.29公開)

 (8)オステルハンメル批判

 「<この本における>抽象的スタイルと同時代人の声々の欠如は、<オステルハンメル>によってカバーされていない、広い人間の営み(endeavor)を顕現させてしまっている。
 すなわち、芸術的、知的、そして科学的な諸趨勢はさっさと片付けられてしまっている。・・・ 
 芸術的な、そして、科学的な諸趨勢・・例えば、真に全球的影響力(scope)を持ったもののうちの二つである印象派とダーウィニズム・・は、殆んどないしは全く関心を払われない。
 <また、>いささか驚くべきことだが、農業における変化の議論の中で、この著者は、主として穀物諸収穫量の伸び、及び、耕作のための諸処女地の開拓・・この二つは紛らわしいやり方で一緒くたにされている・・、をカバーする一方で、地域的特化(specialization)の極めて顕著な増大を無視している。
 後者は、明確に交易に関わる進展であって、恐らくは穀物諸収穫量の伸びよりも、農業生産性の増大に極めて大きな貢献をしているというのに・・。・・・
 オステルハンメルは、・・・19世紀を際立たせている特徴は、奢侈財だけではなく庶民用日用品群(mass commodities)の全球的交易、諸市場の全球的統合の増大、そして、全球的な分業(division of labor)、等である、と主張する。
 <しかし、>もちろん、これらの諸進展は、18世紀においても、同様、目に付いた(prominent)ところでもある。
 著者の全球的アプローチのとりわけの難点は、最近の経済史研究の3つの諸結論・・インドと支那の1800年前後の生活諸水準は欧州と同程度だった、工業化の最初の何10年間は経済成長率のとりたてての加速化をもたらさなかった、19世紀央において欧州における産出高と生活水準は大いに増加したけれどアジアにおけるそれらは停滞した・・を是認(endorsement)していることだ。
 <しかし、>これらの諸結論全てが同時に正しいと考えることは困難だ。
 私は、歴史学者達が、18世紀のアジアの豊かさ(affluence)を顕著に過大推計しているのではないかと疑っているのだが、<それはともかくとして、>これらの諸問題(questions)を前面に押し出したのは、オステルハンメルの全球的アプローチの賜物である<と言えよう>。」(C)
 
3 終わりに

 このような本は、ディテール(細部)に意味がある、いや、意味がないとしても、知らなかった、或いは失念していた事実を知らされ、思い出させられるといったあたりが、それを読む醍醐味であるところ、遺憾ながら一般的かつ雑駁な話に終始している書評類をもとに、この本に関する、私自身による一般的かつ雑駁な話を付け加えることには躊躇を覚えるのですが、私が言いたいことは次のような感じになりましょうか。
 オステルハンメルは長い19世紀には中心的なストーリーなどなかったと主張していますが、私自身は、長い19世紀は、欧州文明諸国とアングロサクソン文明の国であるイギリスが、相互に、争いつつ、競い合いながら、全球的に、それぞれの文明を伝播させて行った、という中心的なストーリーがあった、と考えています。
 (ただし、このストーリーの前史は17世紀初頭から始まっていることに注意。)
 この伝播は、(オステルハンメルが指摘するところの、)欧州とイギリスを中心とする交易網の全球への拡大それ自体に起因する部分もあったものの、もっぱら、欧州人及びイギリス(英国)人の(それぞれ、基本的に)、中南アメリカ大陸及び北アメリカ大陸/オセアニア、等への植民、及び、欧州とイギリスの交易者等による(それぞれの)文明のアジアへの積極的移植、並びに、(私として付け加えたいところの、)アジアの側からの、処々における欧州文明ないしアングロサクソン文明の一部の継受、の形をとって行われたものです。
 (アフリカについては、捨象します。)
 欧州文明の一部を移植され、或いは継受したアジアの諸国ないし諸地域に関しては、その一部が技術や制度であった場合には基本的に成功せず、その一部がイデオロギー・・ナショナリズム/スターリン主義/ファシズム・・であった場合には往々にして激しい副作用に見舞われ、他方、アングロサクソン文明の一部を移植され、或いは継受したアジアの諸国ないし諸地域に関しては、移植された諸国ないし諸地域中、香港とシンガポール以外においては基本的に移植が失敗に終わったのに対し、アジアの側から継受したのは基本的に日本だけであったところ、日本がその継受に大成功を収めたことはご承知の通りです。 

(完)