太田述正コラム#6977(2014.6.4)
<長い19世紀(その3)>(2014.9.19公開)

「この本は、「反ベイリー」ではない、と著者は宣言する。
 これは、もう一つの最近の傑作である、クリストファー・ベイリー(Christopher Bayly)<(注6)>の『近代世界の誕生 1780〜1914(The Birth of the Modern World, 1780-1914)』(2004年)に言及しているわけだ。

 (注6)Christopher Alan Bayly(1945年〜)。英国の歴史家で専攻は英領インドと全球史。オックスフォード大学士・修士・博士。現在ケンブリッジ大教授。なお、上出の本には、「全球的諸連接と諸比較(Global Connections and Comparisons)」という副題が付けられている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Alan_Bayly

 <ベイリーの>その本よりは、3倍も長く、同じ世紀を扱い、かつまた、人類の経験をより多く扱いつつも、この<オステルハンメルの>本は、<ベイリーの本への>「共感的精神(sympathetic spirit)」でもって、その代替物を提供している。
 <つまり、>それは、ベイリーのと同様の全球的諸アナロジーの探究によって鼓吹されつつも、ベイリーの、増殖する、諸ナショナリズムや宗教的信条と「肉体的諸実践(bodily practices)」、から、移住、全球的経済、環境、国際政治、そして自然科学と人文科学双方における国際的な地の諸文化、に強調点を移動させているのだ。
 更に、それ以外のこともあげられる。
 ベイリーの本よりも、4〜5年の後発である重荷と利点でもって、オステルハンメルは、入植諸コミュニティ及び移動諸コミュニティ、生活水準、諸都市、諸辺境、諸帝国、及び諸国家(nations)、権力の諸体系、諸革命、及び国家(state)の変化する意味、の望遠諸パノラマを展開する。
 <この本では、>この肥沃なる(generous)諸パノラマの後に、エネルギー及び工業、労働、諸ネットワーク、諸階統、知、「<大文字の>文明」、そして排斥(exclusion)、更には、最終的に宗教、の全球的諸変動(fluctuation)を記録(trace)するところの、手際のよい(neat)主題ごとの諸塊が続く。
 これらの歴史上の諸現象の宝の山は、その大部分が世界の特定の地域内においてではなく、地域横断的に顕現して行った(unravel)ものだが、<それを描写するためには、>精緻な、組織化と説明の体系が求められる。
 著者による、単一原因(mono-causality)の執拗な否認は、それに同意する人々の頷きを引き起こし続けることだろう。
 <著者は、>「欧米」における、単独の、動力源(powerhouse)、経済機構(economic machine)、或いは奇跡的心性(mentality)、のみでもって、それ自身の不平等性に絡めとられていたところの、拡大された社会的舞台(arena)たる20世紀初頭の世界を創造することはできなかった<、と主張する>。
 であるからして、その代わり、この、諸国家ないし諸社会のいかなる一つの集団も舞台(stage)の中心に立たないというような「時代の肖像(portrait of an epoch)」にあっては、それまでと比べて、舞台(stage)ははるかに広くな<らざるをえなか>った。
 オステルハンメルは、<また、>欧州の全球的影響力は、それより前やそれより後に比べてより包含的(encompassing)ではあったけれど、この影響力は両価的なもの(ambivalent)であった、と主張する。
 すなわち、欧州の「革新(innovation)の力」は、その<他の諸地域を>従属させようとする決意及びその傲慢さと同等に過剰(excessive)であった、と。
 この本が良いのは、それが、<欧米におけるところの、>欧州の拡大に関して歴史<を>編集(historiography)するにあたっての、欧州の優位(preponderance)へのかくも長き没頭、を、上述したところの諸探索(investigations)の各々における拮抗諸力(countervailing powers)の複数性、との間で、均衡を保っている点だ。
 
(続く)