太田述正コラム#6953(2014.5.23)
<欧州文明の成立(その6)>(2014.9.7公開)

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<脚注:日本に農奴は存在したのか>

 表記については、今では、当たり前過ぎる(すぐ後の脚注参照)ということなのか、専門家による、そのものズバリの典拠がインターネット上ですぐ出てこない。
 下掲も一好事家による記述だ。

 「日本の農民というのは、元々は自作農です。領地という概念はあくまで徴税権であって、土地の所有とは分離されていました。ただ、時代が下ると、自作農ではやっていけなくなった農民が出てきました。土地を担保に借金をして、借金のカタに土地を取られてしまう、というケースが増えてきたんです。そこで、土地を失って流浪化した農民に土地を貸し与えて農作物を作らせる権利を与える代わりに収穫物を一定の割合で地主に納める、という小作農が出てきた。だから、小作農というのは他人の土地を借りて耕しているだけにすぎない。要は地主の搾取率が問題となる。これが解消したのは、戦後の農地改革・・・
 <農奴と日本の小作農の>どっちが自由で、どっちが自由じゃないかという議論は難しいのですが、日本の小作農の方が、所有の対象とされていなかった分まだ救われていたはずだと推測します。農奴制だと、農民も地主の所有の対象となるので、たとえば土地を捨てて都会で工場労働者になる(賃金を稼いで内需を主導する消費者となる)とか、徴兵して兵士として活用するといった、近代化に必要だった各種政策を実施することができないのです(ロシアの近代化が遅れた理由でもある)。強引にやれば、地主(領主)の所有権を侵害することになります。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1019550320

 これに異を唱える好事家もいないわけではないが、肝心の「土地を去る自由がなかった」点についての説明すらなく、到底説得力がない。

 「土地を去る自由がなかった江戸時代の農民は、ヨーロッパの農奴に相当します。・・・彼らをきちんと「農奴」と呼ばないところに、臭いものに蓋をしたがる日本人の本性の一端が見えてきます。」
http://reviva.blog1.fc2.com/blog-entry-1158.html
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ここでプロト欧州文明とアングロサクソン文明と日本文明を封建制という観点から比較すれば、プロト欧州文明と日本文明は封建制を持ったがアングロサクソン文明は基本的に持たなかった、ただし、プロト欧州文明の封建制は農奴制を伴ったが、日本文明の封建制は農奴制を伴わなかった、すなわち、アングロサクソン文明と日本文明には、一貫して農奴が存在しなかった、ということになりそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Feudalism (及び脚注上掲)
 なお、欧州文明においては、フランク王国カロリング朝の崩壊によって封建制がフランスで生まれ、それが、欧州の他の地域に普及した(ウィキペディア上掲)のに対し、日本は大和王権の崩壊が封建制を生み出した(私見)、ということになります。
 ちなみに、日本では封建制の中から武士道が生まれたところ、欧州では封建制が、上述したように、支配階級の中で完結し、農奴は蚊帳の外に置かれていたことから、牧民思想を伴うところの騎士道は生まれえず、イギリスにおいて生まれたわけです。(その後、この騎士道が欧州にもある程度波及しましたが・・。)(「イギリスと騎士道」シリーズ(コラム#4910〜)参照。)
 換言すれば、武士道/騎士道が内包するところの、支配階級が弱者/被治者達に対して自らを律するという道徳は、日本のような人間主義社会ないしイギリスのような人間主義的社会でしか生まれえない、ということです。

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<脚注:日本に封建制は存在したのか>

 日本では、「1980年代〜1990年代以降、<日本における>封建制ないし封建領主というカテゴリに対する疑問が提示され始め」ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E5%BB%BA%E9%A0%98%E4%B8%BB
 しかし、「仮に日本中世・近世社会を封建制と見たとしても、同様の社会構造がインドや東南アジアにも検出されており、決して西欧と日本に特化した社会体制とは言えない」(ウィキペディア上掲)ということを前提にしつつ、私は、欧州(西欧)同様、日本にも封建制が存在した、という立場を取りたい。
 いずれにせよ、「<江戸時代の>近世封建制について、封建領主たる大名や一部の武士も土地・人民を支配していたわけではなく、石高に相当する年貢・夫役の徴収権を有するに過ぎなかったこと」(ウィキペディア上掲)から、日本には江戸時代には農奴が存在しなかったと言ってよかろう。
 それでは、中世封建制においてはどうか。
 農地に関し、「直接の耕作者の権利」、のみを認めた・・すなわち、耕作者に農地の所有権を与えた・・ところの、太閤検地に至るまで、農地には「重層的支配構造」があり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%9C%92%E5%85%AC%E9%A0%98%E5%88%B6
「室町時代になると、・・・直接の耕作者である作人の耕作権が作職として確立し、惣村の形成が見られ始めた。」 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E3%81%AE%E4%BD%93%E7%B3%BB
とされているところ、私は、農地に係る「重層的支配構造」はもとより、「耕作者<の>耕作権」たる「作職」も、弥生時代以来のものである、と推測しており、太閤検地に至るまで、日本では、耕作者が、農地所有権の一端を、耕作権(作職)の形で、各級の上級支配者達と共に分有(共有)していた、と考えている。
 (そもそも、日本の「重層的支配構造」というか、「エージェンシー関係の重層構造」は、太閤検地に至るまでの農地に限らず、日本において普遍的に存在していたことに注意。)
すなわち、私は、イギリス同様、日本にも、一貫して農奴はいなかった一方で、イギリスには基本的に存在しなかった封建制が日本には存在した、と考えている次第だ。
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(続く)