太田述正コラム#6919(2014.5.6)
<戦争の意義?(その9)>(2014.8.21公開)

 (8)モリス批判

 「政治理論家のフランシス・フクヤマは、モリスの雄大な規模のアプローチを評価している。
 しかし、フクシマは、重要な諸出来事のより短期的諸原因を考慮に入れていないとして非難(fault)する。
 <また、>宗教、文化、そして諸観念(ideas)だってそれら自身、重要である、と彼は言う。
 それらは、唯物的諸条件の単なる諸派生物ではないのだ。
 例えば、マックス・ヴェーバー(Max Weber)の古典的主張では、プロテスタント宗教改革が資本主義と近代世界の発展を形成し、個人主義と教養ある文化の興隆をもたらした。」(J)

→過剰適応日系米人のフクシマも、たまにはまともなことを言うものです。
 なお、ヴェーバーのこの説が誤りであるとの私見はご存知のことと思います。(太田)

 「モリスが駆使する年号とデータの山はあなたの頭をクラクラさせるかもしれない。
 彼はお急ぎ人間だ。
 諸事実が彼の立場を支えない場合は、彼はフェイントをかけ、さっと身をかわし、或いは、当てずっぽう(conjecture)と当て推量(guess work)をやってのける。」(G)

→ここも、言いえて妙ですね。(太田)

 「15世紀にはじまり1914年に終わったところの、欧州による植民地化の長い過程の中における軍事的革新の役割について<の>彼<の説明>は、とりわけ良い出来だ。
 彼の、戦争の生産的役割に係る見栄えのよい(neat)公式(formula)は、<ギリシャ・ローマの>古典時代において最も適合的だが、時代が18世紀に達し、イデオロギー、高等財政(high finance)、そして外交が方程式(equation)の中に入ってくると、足取りが覚束なくなってしまう。・・・
 彼は、地理的諸説明を好み、諸観念の役割を割引きし、「欧米の知的伝統」を軽視する(downplay)。

→和辻が『風土』で犯したのと、基本的に同じ誤りをモリスも犯しているわけです。
 それにしても、生産的戦争などという奇妙な概念に対する批判を書評子達が誰も正面から行っていないのは不思議でなりません。
 私に言わせれば、モリスは、(アングロサクソンたる)イギリス・・自分の生国・・と米国・・自分の生活国・・が行った(行ってきた)戦争は帝国形成戦争であって生産的だが、同時代において他の諸国が行った(行ってきた)戦争は基本的に非生産的だ、という、お国自慢的与太話を学術を装って図々しくやってのけているだけのことなのです。
 で、それだけだと余りにミエミエなので、時代がずっと遡ったところの、ローマによる帝国形成戦争も生産的だった、と付け加えることで、韜晦・・私見では全然そうなっていませんが・・を図ったというわけです。
 なお、モリスは、いわば、地勢(地理)を転轍機とし、戦争を蒸気機関車として歴史を描いているところ、この唯戦争論的志向も、いかにも、(かつて戦争を生業としていた)アングロサクソン的ですね。(太田)

 だから、彼は、「恐らく、全軍事史における最も重要な問題」と自分が呼ぶところの、どうして支那が火器における初期のリードを維持できなかったのか<という問題>について、長きにわたる、欧米(West)の、合理主義、自由な追及(inquiry)、そして知識の普及(dissemination)、という文化的スタンスが、欧州が先頭を切ることへと導いた、というヴィクター・デーヴィス・ハンソン(Victor Davis Hanson)<(注9)>の主張を退け(dismiss)、欧州は、大いに闘ったし、欧州の地勢(topography)がその人々が諸銃器に投資することを奨励したから、欧州は諸銃器に得手になった、というより単純な答えを好むのだ。」(B)

 (注9)1953年〜。米国の軍事史家、コラムニスト、元古典教授、古代戦争の学者。現在、スタンフォード大フーヴァー研究所フェロー。カリフォルニア大サンタクルス校卒、スタンフォード大古典学博士。
http://en.wikipedia.org/wiki/Victor_Davis_Hanson

→欧州が大いに闘ったという点についても、モリスは、恐らく地勢的(地理的)説明をしているのでしょうから、要は、地理決定論(地理転轍機論)であるわけです。(太田)

(続く)