太田述正コラム#6885(2014.4.19)
<フランス革命再考(その5)>(2014.8.4公開)

 「<まともな啓蒙主義観を提示した>ゲイ(Gay)<(注11)>とカッシーラー(Cassirer)<(注12)>の後、<再び、まともな>イスラエルが舞台に登場するまでの間は、二つの<誤った>趨勢が啓蒙主義史で支配的だった。

 (注11)ピーター・ゲイ(Peter Gay。1922年〜)。ドイツ生まれのユダヤ系歴史学者。1939年にドイツから脱出し、1941年に米国に渡る。米デンヴァー(Denver)大学卒、同大博士。コロンビア大、エール大で欧州比較思想史等の教鞭を執る。1969年に『自由の科学(The Enlightenment: An Interpretation: The Science of Freedom)』上梓。
http://www.wako.ac.jp/~michael/wiki/index.php?%A5%D4%A1%BC%A5%BF%A1%BC%A1%A6%A5%B2%A5%A4
 (注12)エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer。1874〜1945年)。「ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。」ベルリン大とマールブルク大で学ぶ。ナチス政権樹立とともに、イギリス、スウェーデンを経て米国にに移り、エール大、コロンビア大で教鞭を執る。「シンボリック・アニマル(象徴を操る動物)”として人間をとらえた。>・・・1946年に、没後出版された『国家の神話』では、ナチスなどの全体主義的国家理論を批判的に考察し、・・・20世紀の全体主義体制を運命の神話と非合理主義によってシンボル化されたものとした。」1932年に『啓蒙主義の哲学(Die Philosophie der Aufklarung)』を上梓。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

 一番目<の趨勢>は、啓蒙主義諸文献の国際的流通(circulation)と教育を受けた人々の間でのフランス語に係る広く普及していたところの知識(knowledge)に殆んど注意を払わないまま、啓蒙主義を特定の国家的(national)文脈の中に位置づけ(situate)た。・・・
 二番目の趨勢は、啓蒙主義を、社会的かつ政治的に、社交仲間達、政治的反対派、諸サロン、フリーメイソンの諸集会所(Masonic lodges)、の中に位置づけ、共和主義的諸趨勢を啓蒙主義者達の間に置(locate)いた。
 この学派によれば、この知的運動は、その起源が1680年代であり、ルイ14世のフランスとジェームズ2世イギリスの活気づけられた絶対主義に対する反応(response)だった。
 彼らは、迫害から逃げたフランスのプロテスタント達、及び、彼を捕縛すべくジェームズ2世によって送られた工作員達から逃れてオランダ共和国に身を潜めたロック(Locke)に、宗教的寛容、代議政府(representative government)、ニュートン的科学、そして、教会と国家における絶対主義に代わる様々なもの、に係る新しい諸観念の形成(formulate)を帰している。
 <しかし、>政治的かつ国際的次元<を勘案した視点>が回復するとともに、左翼の文化的諸戦士は、ポストモダニズムに幻滅し、<本来の>啓蒙主義を回収(reclaim)し<始め>たのであり、それが、イスラエルが絵柄の中に入ってきた時点における物事の有様だったのだ。
 イスラエルにとっては、啓蒙主義の諸観念の統一性は、一種の哲学的唯物論・・自然及び人間の諸営為(works)が動く物質(matter in motion)の見地からのみ説明されるべきことを認める・・に立脚していたのだ。
 イスラエルの本群の全ては、(1677年に亡くなった)スピノザが、啓蒙主義プロジェクトを導き、民主主義的平等主義に立脚した諸共和国を樹立することへの希求(quest)にはずみを与えたことに、哲学的かつ倫理的負債を負っていることを見出している。
 スピノザの、神と自然の融合(conflation)、聖書の迷信的かつ原理主義的読解への攻撃、そして、自由意志の否定・・諸情熱を単に非道徳化して存在させる・・、は、新しい知的アジェンダ(agenda)を設定し、それらの諸効果は、18世紀初期の秘密著述の中において、そして1750年以降は、ディドロ(Diderot)<(コラム#496、516、1257、1259、3329、5238、6459)>、エルヴェシュース、そしてドルバックのようなフランス唯物論者達の成熟した思想の中において明白だ。
 イスラエルにとっては、彼の2001年の本が「急進的啓蒙主義」と呼んだものに啓蒙主義運動の真の統一性が横たわっているのであって、今回<の本で、>彼は、その影響がフランスの革命家達にとって根本的なものであった、と主張しているのだ。・・・
 イスラエルは、二つの啓蒙主義を見出す。
 一つは急進的で善であり、もう一つは穏健的でせいぜい善悪交じりである、と。
 英国で生まれ、教育を受け、現在は米国で教えている彼は、英国ないし米国の歴史的経験に価値を殆んど発見しない。
 米独立革命は、奴隷達を解放することに失敗し、欧州及び米国の急進主義者達の観点からは、「非公式の貴族政の出現」を意図的に奨励したのだ。
 イスラエルの類型論では、米国の建国の父達は、穏健的啓蒙主義を体現しているのであって、世界主義的(cosmopolitan)諸衝動(impulses)を抱かず、革命の営為を私的に(at home)行うことで満足したのだ。・・・
 穏健的啓蒙主義とは異なり、急進的啓蒙主義は、唯物論的・決定論的形而上学に立脚しており、最も最近<、つまりこの本の中で、>のイスラエルのテーゼの反復にあって、<急進的啓蒙主義と>「戦いあい、完全に両立不可能な」穏健的啓蒙主義は反平等主義に堕した、とされる。
 これらの狡猾な穏健主義者達は、彼らの貧困と不平等の無視に科学の装いを纏わせ(make scienticic)、アダム・スミスとテュルゴー(Turgot)<(注13)>によって率いられつつ、経済学という陰気な学問(dismal science)を発明した、と。

 (注13)ローヌ男爵アンヌ=ロベール=ジャック・テュルゴー(Anne-Robert-Jacques Turgot, Baron de Laune。1727〜81年)。「政治家であり、また重農主義経済学者である。1774年から1776年まで財務総監を務める。財務総監時代にはギルドの廃止や穀物の取引の自由化を行い、自由主義的改革を推進して財政再建を図るが、特権身分の反対を受け、1776年に失脚している。また、テュルゴーの思想はアダム・スミスに影響を与えたといわれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BC

 イスラエルは、イメージされた(imagined)ところの、穏健主義者達による、宗教的寛容、貴族的特権の削減、或いは貧困の改善の実現、の失敗を、スピノザの真の後継者達たる、ペイン、ドルバック、ディドロ、及びエルヴェシュースの火のような解放的修辞と対比させる。」(G)

→私に言わせれば、イスラエルは、イギリス人でありながら、米国とイギリスを同一視するという第一の裏切りを行いつつ、欧州を持ち上げ、イギリスを貶めるという第二の裏切りを行っているわけです。(太田)

(続く)