太田述正コラム#6869(2014.4.11)
<米国の分裂をどう克服するか(その4)>(2014.7.27公開)

 (5)マースデン批判

 「<マースデンの言うように、>本当に、プロテスタンティズムによって屈曲された啓蒙主義が、米国人の生活に首尾一貫性をもたらしたのであれば、どうしてこの国が1880年代や1850年代や1800年代にあれほど深く分裂していたのだろうか。
 マースデンは、20世紀央のジャーナリストたるウォルター・リップマンを、自分自身の諸憂慮のうちの多くについて声を上げるために用いるが、マースデンもリップマンも、米国の政治が常にどれほど細分化されていたかを認めることに積極的であるように見えない。」(A)

 (6)もう一つの方策

 「<さしずめ、>ライオネル・トリリング(Lionel Trilling)<(注7)>・・・なら、マースデンの諸批判の多くを認識していたに違いない。

 (注7)1905〜75年。米国の文芸評論家、著述家、教師。ユダヤ系で、コロンビア大学士・修士・博士。同大教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lionel_Trilling

 <というのも、>彼は、リベラリズムが大衆における道徳的行動を鼓吹することに失敗したことを嘆いていた<からだ>。
 しかし、彼は、人間(humanity)の道徳性への能力(capacity)は、自然の法則や神への恐れに依拠しているのではなく、他人が苦しんでいる時にそれを自分自身の苦しみとして立場を置き換えて想像力を働かせる行為、すなわち、共感能力(empathy)に依拠している、と主張した。
 トリリングにとっては、このことが、<文学作品等の>芸術<に親しむことによって共感能力を醸成することが、>文化の道徳的健康の観点から枢要であることを説明していたのだ。・・・
 「要するに、互いに繋がれ!(Only connect!) 砕片のまま生きることはもう止めよう」と、E・M・フォースター(Forster)<(コラム#84、484、3535、4539、5031)>以来のあらゆるリベラルな道徳家達が、この共感に向けての指令(command)を繰り返し発してきた。・・・
 しかし、果たして、共感と理性が大衆を鼓吹することができるだろうか。
 マースデンが、それに懐疑的であるのは正しい。」(D)

3 終わりに

 前にも、米国の分裂の克服を含め、およそ、社会問題について、救いを求めるのであれば、ダライ・ラマではなく平均的日本人に、そして、チベットではなく日本に、目を向けよと私は主張しているところ、米国人達が、相も変わらず、ダライ・ラマ/チベットに憑りつかれていることが分かる記事に、再び本日遭遇したので、その記事のさわりをご紹介しましょう。

 「その魅力(appeal)を除去しようとする中共の諸試みにもかかわらず、チベットのシャングリラ視は、世界の想像力の中に堅固に打ち立てられているように見える。
 かつて独立しており、ヒマラヤに隣接する広大な高原に高く佇立しているこの国(nation)は、広く世界において、神秘、大望(aspiration)、精神性、及び可能性の象徴となっている。
 世界の指導者達は、依然、その亡命した精神的指導者たるダライ・ラマと会うことに熱心であり、彼は、旅先のどこででも、講堂群を<聴衆で>一杯にすることができる。・・・
 チベット人達の漢文化に対する抵抗は、欧米における、過去半世紀にわたる伝統的なチベットに対する深い同情心(sympathy)によって同伴(parallel)されてきた。
 これは、中共のチベット問題に対して、新しく、かつ、異なった次元をもたらしてきた。
 欧米におけるチベット神話への心酔は、中共政府が、コントロールすることも改善することもできないところの、独特な「ソフトパワー」・・道徳的非難の力・・をチベット人達が行使することを可能にしてきた。
 このソフトパワーは、中共の社会とガバナンスを満たしている(inform)諸価値に対して、根源的な諸疑問を投げかけるものだ。
 中共政府を最も苛立たせることに、それは、世界舞台における中共の前進を遅延させてきた。・・・
 中共の、「一国二制度」なる型板(template)は、不完全ながらも、香港に関しては機能した。
 その一つヴァージョンをチベットにも適用したらどうか。
 チベット人達に、より大きな宗教の自由とともに、域内ガバナンスに対するより大きなコントロール権を与えるのだ。」
http://www.latimes.com/opinion/commentary/la-oe-halper-tibet-20140411,0,6882498.story#axzz2yY14t71z

 さて、結論です。
 マースデンは、米国社会の問題点の同定にそもそも失敗している(ので、問題点の克服法を論じるまでもない)のに対し、トリリングは、その同定には成功しつつも、問題点の克服方法において間違っています。
 芸術に親しめ、と一般の米国人に促したところで、その大部分は聞く耳を持つはずもなく、また、聞く耳を持った少数者も、その余りに迂遠な方法では、さして共感能力を高めることはできないことでしょう。
 しかし、マースデンと違って、一般の米国人の多くが問題点の同定を正しく行っている証拠が、彼らの間における、ダライ・ラマ/チベットの高い人気です。
 しかし、前にも指摘したように、個々の米国人が仏教的瞑想を実践するのは必ずしも容易ではありませんし、そもそも、チベットそのものが、昔も今も、到底シャングリラではなく、単なる後進地域でしかありません。
 要は、彼らに、平均的日本人/日本に対して、ダライ・ラマ/チベットへの関心を上回る関心、できうれば、(ダライ・ラマ/チベットを敵視していることに照らせば皮肉なことですが、)中共当局や中共国民が抱いている日本人/日本への関心に匹敵するような関心、を喚起させられるかどうかなのです。
 いずれにせよ、まずは、米国の指導層がこのことに気付かなければ話になりません。
 その上でならば、日本人や日本が、米国民や米国に、この点で協力できることはいくらでもある、と思います。

(完)