太田述正コラム#6865(2014.4.9)
<米国の分裂をどう克服するか(その3)>(2014.7.25公開)

 「<米国>社会において支配的であったのは、おおむねプロテスタンティズムによって駆動された一連の諸価値だった、とマースデンは主張する。
 もっとも、その<米国の>コミュニティは、他の諸宗教と喜んで心地よく共生していたが・・。・・・
 技術進歩があらゆる人々の水平線を拡大するにつれ、自己決定(self-determination)が米国人の実存にとって、より重要な訓示的事項(precept)になった。
 自分自身の女神(muse)<の命ずるところ>に付き従う自由が、次第に大きくなっていった。
 市民諸権、女性の諸権利、そして同性愛の諸権利さえも、我々の議論好きな社会の一部となった。
 この国は、もはや、郵便番号(zip code)がゼロから始まる地域に住んでいたWASP達によって切り盛りされることはなくなった。
 「自分自身のことをせよ(do your own thin)」なるインセンティヴの一環として、世俗主義は、我々の社会のより大きな部分となった。
 暫くの間、多くの人々によって、科学が自然の諸法則についてより大きな理解を付け加え、世俗主義が影響力を増大させ、宗教は没落し、続けることが当然視された。
 しかし、世俗的社会への途上において、奇妙なことが起こった。
 組織宗教が劇的な復活を遂げたのだ。
 1950年から1960年の間に、教会加入率は、総人口の55%から69%に跳ね上がったのだ。
 その間、社会は、わずか数十年前にははぐれ者達(outliers)であった人々を同化させるという点で大いなる前進を示した。
 今や、男性達より女性達の方が学士号をたくさん取るし、同性婚はもうちょっとで当たり前になろうとしている。
 マースデンのテーゼは、文化的エスタブリッシュメントの中心にいる穏健なるリベラル思想家達が、世俗的社会の多様性を抱懐する一方で、急成長する強力な宗教諸コミュニティを<かかる世俗的社会に>適応(accommodate)させることに失敗した、というものだ。
 宗教右派は強力な政治的影響力を持った存在となったが、<リベラル思想家達と>彼らとの間の妥協は殆んど成った試しがない。」(E)

 (4)分裂をいかに克服するか

 「事態を打開するために、マースデンは、彼の改革プロテスタント的伝統における知的巨人であるところの、オランダの政治家にして神学者であったアブラハム・カイパー(Abraham Kuyper。1837〜1920年)<(注5)>に目を向ける。

 (注5)オランダ首相:1901〜5年。ライデン大神学部卒、同大博士。「1879年に反革命党を結成・・・1886年、オランダ国教会改革派教会から分離し、オランダ改革派教会<を>形成」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC

 向こう見ずなネオ・カルヴィン派の諸サークル以外では、彼は今日殆んど知られていないが、カイパーは、恐るべき思想家であり、示唆するものは大きい。
 例えば、彼の一般恩寵(common grace)<(注6)>なる観念(notion)・・神の神意による配慮(providential care)は全人類に及ぶという観念(idea)・・は、キリスト教の排他主義の狭量さに対する有益なる対位旋律(counterpoint)を提供する。・・・。
 (注6)「キリスト教のうち改革派の神学における用語で、創造主、主権者なる神が与えられる神の恵みのうち、<キリスト教徒と非キリスト教徒を問わず、>すべての人に与えられる恵みである。」
http://ejje.weblio.jp/content/common+grace

 マースデンは、1950年代におけるプロテスタントの権威の崩壊の後、「この<米国>社会は、公的領域において宗教的諸観点がいかに反映されるか(represented)について、真の準備(provision)なきまま放置された」、と大胆に宣言するが、彼は、この主張について、殆んど証拠を提供しない。・・・
 <いずれにせよ、>マースデンは、カイパーの思想を、正しくも、宗教右派の神政的諸衝動の和らげられた代案である、と見ている。」(A)

→カイパーは、後の米国におけるリベラル・キリスト教の、欧州における先駆者である、と見ることができるのかもしれません。
 そうだとすれば、私見では、現代の米国における、「穏健なるリベラル思想家達」を中心とする勢力はリベラル・キリスト教勢力であるところ、マースデンは、要するに、現代の米国における「宗教右派」に対して、一方的に、「「穏健なるリベラル思想家達」を中心とする勢力」への同化、すなわち転向、を求めているのに等しいのであり、到底、実現可能性はない、と言うべきでしょう。(太田)

(続く)